第四章:揺るがぬ誓い
4-2 二人の絆を試す者
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ヴィンセントからの真摯な言葉を受け取って以来、アリエッタの心は喜びと安らぎに満ちていた。彼の冷たく硬い氷のような心が少しずつ解け、二人の間には確かな絆が生まれつつある――それは、まるで冬の終わりに芽吹く小さな蕾のようだった。
しかし、幸せな時間は長く続かなかった。再び二人の関係を引き裂こうとする影が、公爵邸に忍び寄っていた。
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ある日の午後、公爵邸に一人の客人が訪れた。その男は、ヴィンセントと同じく王都の貴族であり、彼の古くからの友人でもあるという。
「フランツ・ハーデン侯爵だ」
ヴィンセントは渋々といった表情で彼をアリエッタに紹介した。フランツは金色の髪を後ろでまとめ、涼しげな青い瞳を持つ優男だ。どこか軽薄そうな微笑みを浮かべながら、アリエッタに向かって深々と頭を下げる。
「初めまして、公爵夫人。ヴィンセントの妻になる女性がこんなに美しいとは聞いていなかったよ」
「ご丁寧にありがとうございます、ハーデン侯爵」
アリエッタは礼儀正しく微笑みを返したが、彼の視線にどこか居心地の悪さを覚えた。その視線はまるで彼女の本質を見透かそうとするかのように鋭く、そして冷たいものだった。
「アリエッタ、こいつの言うことはあまり気にするな」
ヴィンセントが低い声で言い、フランツを睨む。その険しい表情に、フランツは悪びれた様子もなく笑い声を上げた。
「怖い顔をするな、ヴィンセント。ただ挨拶に来ただけだ」
そう言いつつ、フランツの目は再びアリエッタに向けられる。
「……公爵夫人、お噂は色々と耳にしていますよ。舞踏会での騒動や、アストリア伯爵家の問題など――」
「……!」
アリエッタの胸がぎゅっと痛んだ。そのことをまだ蒸し返されるのか、と。フランツは彼女の反応を見逃さず、さらに言葉を続ける。
「正直なところ、公爵夫人がこの男にふさわしいのかどうか……ねえ?」
「フランツ、口を慎め」
ヴィンセントの声がさらに低く響く。彼の怒りの気配に、室内の空気が張り詰めた。だがフランツはどこ吹く風といった様子で、軽く手を上げて笑う。
「おっと、これは失礼。だがヴィンセント、お前のような男が、真に人を愛するとは思えなくてね」
その言葉に、アリエッタは驚いてフランツを見つめた。彼の言葉にはどこか挑発的な響きがあり、それはヴィンセントだけでなく、アリエッタ自身にも向けられているように感じた。
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その後、フランツはしばらく公爵邸に滞在すると言い残し、部屋へと案内された。
「……あの方は一体、何を考えているのでしょうか」
アリエッタはリリアと共に廊下を歩きながら、眉をひそめた。フランツの態度はどこか不快で、彼の存在がこれから何か良くないことを引き起こすのではないか――そんな予感がしてならなかった。
「ハーデン侯爵は昔から、ヴィンセント様の良き友であり、同時に彼を試すようなことを好んでいらっしゃいます」
リリアが静かに答える。その言葉に、アリエッタの不安がさらに募った。
(公爵様を試す……? 私たちの関係を試しているということ……?)
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その夜、ヴィンセントは書斎に籠もっていたが、アリエッタはどうしても彼に確認したいことがあり、扉をノックした。
「公爵様、少しお話を……」
「……入れ」
中に入ると、ヴィンセントは机に肘をつき、何やら考え込んでいるようだった。彼はアリエッタを一瞥し、ゆっくりと背を正す。
「どうした」
「……ハーデン侯爵のことです。彼は一体何をお考えなのでしょうか?」
ヴィンセントは少しだけ目を細め、静かに答えた。
「フランツは、昔から私をからかうのが趣味だ。あいつは私が結婚したことが信じられないのだろう」
「……私たちの関係を疑っている、ということですか?」
アリエッタが恐る恐る尋ねると、ヴィンセントは少しだけ目を伏せた。
「……そうだ」
その言葉に、アリエッタの胸の中に小さな痛みが走った。
「私……公爵様の妻として、ふさわしくないのでしょうか」
思わず漏れたその言葉に、ヴィンセントの表情が僅かに動く。彼は椅子から立ち上がり、アリエッタの目の前に立った。
「そんなことはない」
「でも……」
「お前は私の妻だ。誰が何を言おうと、それが事実だ」
ヴィンセントの低い声は静かに、だが確かに響いた。彼の金色の瞳が、真っ直ぐに彼女を見つめている。
「私が選んだのはお前だ。何があろうと、揺るがない」
その言葉に、アリエッタの胸が温かくなった。
「……公爵様」
彼の言葉が、彼女の心の不安を溶かしていく。その瞬間、彼女は彼の信頼と愛情を信じてみようと、強く決意した。
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だが翌朝――。
広間にフランツが現れ、笑みを浮かべながら声を上げた。
「公爵夫人、どうか私とお茶でもいかがですか? あなたが本当にヴィンセントにふさわしいか、私自身が確かめたいのです」
その言葉に、アリエッタは静かに息を吐き、フランツに向き合った。
「分かりました。お相手いたしましょう」
彼女の目には、決意の光が宿っていた。二人の絆を試そうとする者に、アリエッタは堂々と立ち向かおうとしていた――。