第五章:永遠の誓い
5-1 訪れる試練
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アリエッタとヴィンセントの間には、確かな信頼と愛が育まれていた。氷のように冷たかった彼の心も、アリエッタの温もりによって少しずつ溶かされ、公爵邸には穏やかな時間が流れていた。
しかし、幸福な時間の影には、新たな試練が静かに忍び寄っていた。
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ある日の朝、書斎で公務をこなすヴィンセントの元に、彼の側近レオナードが慌ただしく駆け込んできた。
「公爵様、緊急の報告がございます!」
「何事だ?」
ヴィンセントが手を止めて顔を上げると、レオナードは神妙な表情で答えた。
「王都から急報が届きました。隣国の軍が国境に兵を集結させているとのことです。現時点では動きはありませんが、状況は緊迫しています」
ヴィンセントの表情が一瞬で硬くなった。
「……ついに動いたか」
隣国との間には、数年前から領地を巡る不穏な動きがあった。今回の兵の集結は、明らかに挑発行為であり、戦争の火種になる可能性が高い。
「すぐに防衛の準備を進めろ。近隣の領地と連携し、騎士団を動かす」
「承知いたしました!」
レオナードが書斎を出ていくと、ヴィンセントは重い空気の中で窓の外を見つめた。広大な庭が平穏に揺れているが、それが今にも崩れ去るような予感が彼を襲った。
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その報告を耳にしたアリエッタも、すぐに事の重大さを察した。庭に出て花に水をやっていた彼女の元に、リリアが青ざめた顔で駆け寄る。
「アリエッタ様、大変です!」
「どうしたの、リリア?」
「公爵様が、隣国との対立の件で防衛の指揮を取られることになりました。軍を率いて、前線に立たれるご決断をされたそうです」
その言葉に、アリエッタの心臓が大きく跳ねた。
「公爵様が、前線に……?」
「はい。この事態を収めるためには、ヴィンセント様自らが動くしかないと」
リリアの言葉を聞きながら、アリエッタは胸の中に冷たい恐怖を感じた。彼が命の危険にさらされる――それが何よりも怖かった。
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その夜、ヴィンセントがいつものように書斎にいることを知ったアリエッタは、意を決して彼を訪ねた。
「公爵様、お話があります」
「……何だ」
ヴィンセントは淡々と答えながらも、アリエッタの表情がいつもと違うことに気づき、静かに彼女の言葉を待った。
「お聞きしました。公爵様が前線に立たれると……本当ですか?」
「ああ」
その一言に、アリエッタの胸が痛む。
「危険です……! 公爵様がそんな場所へ行かなくても、他に方法は――」
「私が行くしかない」
ヴィンセントは静かに言い放った。その金色の瞳には、揺るぎない決意が宿っている。
「公爵家を、そしてこの領地を守るのは私の役目だ。誰よりも私が動くことで、戦争を未然に防ぐ可能性が高まる」
「でも……!」
アリエッタは言葉を詰まらせた。彼の言葉が正しいことは分かっている。それでも、彼が危険な場所へ向かうことが耐えられなかった。
「……公爵様がいなくなったら、私はどうすればいいのですか?」
その小さな呟きに、ヴィンセントは僅かに目を見開いた。彼女が不安と恐怖を押し隠しながらも、自分の気持ちを伝えようとしていることが分かった。
「お前はここで待っていろ。私が必ず戻る」
ヴィンセントはゆっくりと立ち上がり、アリエッタの前に立つ。そして、彼女の肩にそっと手を置き、真っ直ぐに目を見つめた。
「お前は私の妻だ。だからこそ、守られるべき存在だ」
「……私は、公爵様と共にいたいのです」
涙がこぼれそうになるのを堪えながら、アリエッタは必死に言葉を絞り出す。
「公爵様がどれほど強くても、あなたも一人の人間です。だから……どうか、無事に戻ると約束してください」
その言葉に、ヴィンセントは静かに頷いた。
「約束しよう。必ず戻る」
そして彼は、彼女の手を取り、優しくその手の甲に口づけた。
「お前を残して死ぬようなことはしない。それだけは信じろ」
その言葉に、アリエッタの瞳から涙が零れ落ちた。彼の不器用な優しさと誓いが、彼女の心を強く支えてくれる。
「……分かりました。私は、ここで待っています」
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翌朝、ヴィンセントは防衛のための軍を率いて公爵邸を出発した。庭で彼を見送るアリエッタの姿は凛としていたが、その胸には彼の無事を願う祈りしかなかった。
「必ず戻ってきてください、公爵様……」
彼の背中が遠ざかり、見えなくなった時、アリエッタはそっと胸のペンダントを握りしめた。それは彼から贈られたものであり、彼女にとって、彼がここにいる証だった。
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静かな邸宅に残るのは、祈りと決意――アリエッタは彼の帰りを待ち続ける。二人の愛が試される、本当の試練が今、始まろうとしていた。