第五章:永遠の誓い
5-2 不安な日々と決意
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ヴィンセントが軍を率いて公爵邸を離れてから数日が経った。彼が最後に残した「必ず戻る」という約束は、アリエッタの胸の中で強い光となっていたが、それでも不安が彼女を支配する日が続いていた。
邸内にはヴィンセント不在の緊張感が漂い、使用人たちもどこか落ち着かない様子を見せている。
「公爵様は……大丈夫よね」
アリエッタは窓辺に立ち、遠くの空を見上げながら小さく呟いた。北の地の空はどこまでも灰色で、冷たい風が冬の訪れを告げている。
その時、控えめなノックの音がし、侍女のリリアが部屋へ入ってきた。
「アリエッタ様、温かいお茶をお持ちしました」
「ああ、ありがとう、リリア」
アリエッタは微笑みを浮かべたものの、その表情はどこか力なく見えた。リリアは彼女の様子に心を痛め、優しく声をかける。
「公爵様は、必ずお戻りになります。あの方はどんな時でも冷静で、誰よりも強いお方ですから」
「……ええ、そうですね」
アリエッタは頷くが、その声には少し震えが滲んでいた。リリアは彼女の傍らに立ち、静かに続ける。
「ですが、アリエッタ様もどうかご無理なさらないでください。公爵様が何よりも心配なさるのは、貴女が倒れることですから」
その言葉に、アリエッタの心が少しだけ温かくなった。
(そうね。私が弱気になっていては、公爵様を待つ妻として失格だわ)
彼女は小さく息を吸い込み、リリアに微笑んだ。
「ありがとう、リリア。私は大丈夫。公爵様が戻られるまで、しっかり待つわ」
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それから数日、アリエッタは公爵夫人として邸宅を守り続けた。公爵不在の中、領地の報告や使用人たちの指揮を執るのは彼女の役目だ。
ある日、執務室に届いた手紙を見て、アリエッタは胸をなでおろした。それは戦況の報告書であり、ヴィンセント率いる軍は隣国の動きを抑え、いまだ大きな衝突には至っていないという内容だった。
「……良かった。公爵様が無事で」
だが、手紙の最後には「隣国が再び動きを見せているため、緊張状態は続いている」とも記されていた。
(まだ安心はできない……。でも、公爵様なら必ず乗り越えてくださる)
アリエッタは再び決意を胸に刻み込み、今日も公爵邸を守るために動き続けた。
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そんな日々の中、ある晩、邸内で不穏な報せがもたらされた。玄関に現れた一人の兵士が、息を切らせながら声を張り上げる。
「急報です! 隣国軍が再び攻勢に出たとのこと!」
「なに……?」
その場に居合わせたアリエッタは、息を呑んで兵士を見つめた。
「公爵様は……!」
「公爵様は前線に立ち、兵を率いております! しかし、敵は数が多く、状況は厳しいとのこと……!」
「公爵様が危険な状態だというのですか!」
アリエッタの声が震える。冷たい恐怖が彼女を襲い、心が締め付けられるようだった。
(どうしよう……。公爵様が危ないかもしれない……!)
だが、アリエッタはその場で拳を握りしめた。恐怖に飲まれそうになる自分を必死に奮い立たせる。
「私が……私が何かしなければ」
彼女は静かに目を閉じ、決意を固めると、リリアに向かって力強く言った。
「馬を用意して。私も前線へ向かいます」
「アリエッタ様、それは……! 危険でございます!」
リリアは目を見開き、必死に引き留めようとするが、アリエッタは譲らなかった。
「分かっています。でも、私は公爵様の妻です。私の居場所は、あの方のそばなのです」
その強い言葉に、リリアは驚きつつも、彼女の意思が揺るがないことを悟った。
「……承知いたしました」
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翌朝、アリエッタは馬に乗り、最小限の護衛を引き連れて前線へと向かった。冬の北風が容赦なく吹きつける中、彼女の心にはただ一つの願いがあった。
(どうか、公爵様のもとへ……。どうか無事でいてください)
険しい道を進む中、彼女の心に浮かぶのはヴィンセントとの日々だった。冷たい表情の裏に隠れた優しさ、彼がくれた言葉と約束――それだけが、彼女を前へと進ませる力となっていた。
「必ず、公爵様を迎えに行くわ」
彼女は呟き、強く手綱を握る。その瞳には、恐れではなく決意の光が宿っていた。
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その頃、前線ではヴィンセントが兵を率いて戦況の打開を図っていた。敵軍の数は多く、緊迫した状況が続いている。
彼は剣を手に、冷徹な指揮を執りながらも、心の片隅にアリエッタの姿を思い浮かべていた。
(必ず戻ると約束した。私が守らなければならないものがある)
だが、その瞬間、前方から敵の大軍が押し寄せる気配がした。
「全軍、布陣を整えろ!」
ヴィンセントは強く号令をかける。そして、彼の瞳には揺るぎない決意と、必ず帰るという誓いが宿っていた。
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アリエッタが前線にたどり着くまで、あと少し。
二人の想いは交わり、最大の試練を乗り越えようとしていた――。