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第2話 甘い給食と鋭い視線と、学力テストの悪夢

朝の自己紹介から数時間。

あれだけの緊張を乗り越えたにもかかわらず、今私は再び戦場に立たされていた。


戦場──それは、現代日本の授業である。


黒板の前に立つ教師、均一な速度でノートを取る生徒たち、まるで軍事訓練のように整然とした授業進行。

だが私にとってはすべてが未知で、敵地でひとり身を隠しているような気分だった。


(……どうする? この世界の授業内容、何ひとつ頭に入ってない)


ノートを開き、ペンを握る。しかしその動作からして既におかしい。

ペンの持ち方が妙にぎこちなく、まるで訓練中の新兵のようだ。


前世では、報告書と命令書と弾薬管理表くらいしか書かなかった。

それに、文字の書き方そのものが“軍人式”だった。

ここでは通用しない。


「瀬名さん、問題3。解いてもらえる?」


声が飛んできた。


(えっ、いきなり当てる!? 初日で!?)


黒板には連立方程式。


(これは……数式……なのか……?)


見たことのある記号たち。だけど、何も思い出せない。紫音の記憶から、出せればいいんだが......。

何か霧がかかって思いだせない。

砲弾の角度計算なら得意だったが、これとは別の話。


「……すみません、まだ内容が……」

「そう。無理しなくていいから、分からないときは早めに言ってね」


先生の言葉は優しかった。

けれど、その背後から刺すような視線を感じる。

振り向かずとも分かる。白雪 紗月だ。


(くそ……今ので“勉強できない転校生”って思われたかも……)


ちらりと目をやると、彼女は静かにペンを走らせながらも、私のほうに注意を向けていた。

表情は変わらない。

でも、明らかに“何か”を考えているような気配があった。


(絶対これ、監視対象としてロックオンされてるやつだ)


そんな警戒を抱えたまま、午前の授業は終了した。


昼休み。


「購買のパン、今日はチョコデニッシュとツナパンが人気らしいよー」


教室が一気に明るくなった。 数人の女子がカゴに入れたパンとドリンクを手に戻ってくる。

私は慣れないながらも、結城と一緒に購買に行ってみた。 押し寄せる人波、聞き取れないパン名、そして次々と消えていく人気商品たち。


(戦場の物資争奪戦より過酷……)


結局、手元に残ったのは照り焼きチキンパンと、バナナ味の紙パックミルクだった。


席に戻って袋を開け、一口かじった瞬間、私は固まった。


(……あまっ!?)


甘辛ソースのチキンに、柔らかい白パン。 そしてミルクは完全に“おやつ”の域。


(これは……糖分で士気を削ぐタイプの拷問か……?)


「紫音ちゃん、食べるの遅いね?」


声をかけてきたのは、隣の席の結城。


「あ、うん……ちょっと……味が……」

「えっ? 美味しくない?」

「いや、そうじゃなくて……なんか、想像と違ってて……」

「そっか、転校してきたばっかだもんね。慣れてないよね」


その笑顔に救われる気がした。ほんの少しだけ、この世界の“日常”が近づいた気がした。

しかし。


「瀬名さん」


また、声がした。

聞き慣れた――というより、聞き間違えようのない冷静な声。


振り向けば、風紀委員長・白雪紗月。


「明日、学力確認テストがあるわ。転校生も例外じゃないから、勉強しておいた方がいいわよ」

「えっ……確認、テスト……?」

「当然、国数英の3教科。初期の理解度を見るためのものだから」


(ちょっ……え、……初期から全力すぎるだろ!?)


「一応、参考に去年の問題をコピーしておいたわ。放課後、余裕があれば職員室前の机に置いてあるから」


そう言って、彼女はきびすを返す。

その後ろ姿が妙に気になってしまって、視線を逸らせなかった。


(なにあれ……完璧人間なのに、やけに気配りできるし……ズルい……)


「紫音ちゃん、テスト不安そうだったね?」


結城がサラダをつつきながら笑う。


「でもね、紗月ちゃんって、他人にあんな風に声かけるの珍しいんだよ?」

「え……そうなの?」

「うん、ほんっとに珍しい。もしかしてちょっと気に入られてるんじゃない?」


(ま、まさか……!)


放課後。


職員室前の長机。

そこに、何の名前も書かれていない無地の封筒が一つ、ぽつんと置かれていた。


中身を確認すると、去年の確認テストのコピー。

そして、一枚の手書きのメモ。


『分からないところは早めに質問して。白雪』


(うわ……字、綺麗……というか、達筆……)


ほんの一言。だけど、そこに込められた意図は十分に伝わってきた。

責任感。そして、少しだけの気遣い。


(勉強もできて、字もきれいで、気配りまでできて……何者だよ、あの人)


封筒を丁寧にしまいながら、私は大きく息を吐いた。


(……この世界の“勉強”は、戦場より難しいかもしれない)


けれど。


(誰かが見てくれてるなら……やってやろうじゃないか。明日のテスト、全部分からなくても、白雪に「何もしなかった」とは思われたくない)

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