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第6話 白雪紗月は、視線の理由を知らない

放課後の学校。廊下に西日が差し込み、床には長い影が伸びていた。昇降口へ向かう生徒たちの声や笑い声が、遠くで響いている。




私は教室の前で、なぜか足を止めていた。


本当は、ただの用事のはずだった。風紀委員の資料を机に置き忘れて、それを取りに戻ろうとしただけ。でも、教室の前まで来たとき、無意識に中をのぞいてしまっていた。




教室の中では、生徒たちが帰り支度をしていた。椅子を引く音、鞄を閉じる音、友人同士の何気ない会話。


その中に、瀬名紫音の姿があった。




鞄にプリントをしまっている。


少しだけ雑な手つき。でも、妙に整って見えた。


姿勢がまっすぐで、動きに無駄がない。




(なんなのかしら……あの動き)




転校生。まだ二日目。


それなのに、周囲の空気に馴染んでいないというよりは、“混ざっていない”ように見える。




私は人の挙動に敏感なほうだ。


ちょっとした癖とか、目線とか、間の取り方とか。


別に好きで観察しているわけじゃないけど、気づいたら目に入ってしまう。




紫音さんの動きは、ひとつひとつが精密だった。


立ち上がる角度、手の動き、呼吸のリズム。


それがすべて、“整えられている”というより、“崩せないようにできている”感じがした。




(礼儀じゃないわね。……規律?)




そう考えた瞬間、自分の中で何かがざわついた。




隣にいる結城さんと、楽しそうにパンの話をしている。でも、紫音さんの返事はどこか浮いていて、笑ってるのに目が笑っていなかった。




……いや、違う。そもそも“楽しそうにしてる”っていうのも、もしかしたら私の勘違いかもしれない。


彼女は、ちゃんと話を聞いているように見える。でも、実際にはどこか遠くを見ているみたいだった。




(演技……なのかしら。でも、誰に向けて? なんのために?)




わからない。


でも、気になって目を逸らせなかった。




それにしても、不思議な子だった。


ふと、転校初日の自己紹介を思い出す。


丁寧だったけど、どこか形式的。


教室に入ってくる足取りも、静かで揺れがなくて。


まるで、何かを“踏み越えないように”気をつけているみたいだった。




「無理をしてる」とは違う。




それは、無理を通り越して、もはや「それしかできない」状態。


彼女が何者なのか、どこから来たのかなんてどうでもいい。


でも、どこかで“ここじゃない何か”を背負ってるようにしか見えなかった。




私の立場からすれば、転校生の様子を見ておくのは当然の仕事。


でも、それだけじゃ説明がつかないくらいに、気になっていた。




そんなことを考えてると、彼女と目が合った。


ほんの一瞬。でも、その一瞬で、私の体がびくりと固まった。




彼女の視線には、はっきりと「拒絶」があった。


近づくな、という警告。


言葉にしなくても、それははっきりと伝わってきた。




私は反射的に目を逸らした。何をしているんだろう、私は。


資料を取りに来ただけなのに。




彼女が結城さんと並んで教室を出ていく。


背中はまっすぐで、振り返らない。


ただ歩いていくだけの後ろ姿に、どうしようもなく目が引き寄せられるのが悔しかった。




(どうして……気になるの)




理由なんて、本当に分からなかった。


でも、ずっと心のどこかが騒いでいる。


私は資料を取るのも忘れて、しばらくその場に立ち尽くしていた。




夕日が射し込む廊下の隅。


自分の影が、細く、長く伸びていた。




――夜。




風の音がしていた。


カーテンの隙間から漏れる街灯の光が、部屋の天井をぼんやりと照らしている。窓を少し開けていたせいで、外気が冷たく入り込んでくるけれど、それすら今は都合が良かった。




暑くも寒くもない、ちょうどいい空気。


私はベッドの上で寝返りを打った。掛け布団がくしゃりと音を立てる。




眠れない。


目は重たいのに、脳だけが騒がしい。昼間の記憶が、必要もないのに何度も再生される。




あのとき、紫音さんと目が合った瞬間。


はっきりと“拒絶された”と感じた。




別に何かしたわけじゃない。


でも、あの目は私に向かって、確かに言っていた。


「見るな」って。




だけど、私は見ていた。


彼女の動きを、声のトーンを、呼吸の間さえも。




(いや……見てた、んじゃないわね。見ずにはいられなかった、の方が近い)




気づいたら、目で追っていた。


知りたかったのかもしれない。


彼女の中にある、あの静かすぎる空気の正体。




無駄のない動き。


隙のない姿勢。




どれも“育ちの良さ”とか“真面目さ”とか、そういうものじゃない。


もっと違う。もっと硬くて、深くて、痛いところから出てきてる感じ。




(なんでこんなに……気になるの)




私は布団をかぶり直し、目を閉じた。




頭の中ではまだ、彼女の声が残っていた。


「うん」「そうなんだ」


淡々とした返事。


けれど、どれも意味があるように聞こえてしまう。




私は彼女の“間”を、探していた。


それが無防備な瞬間だと思ったから。




でも、そんな瞬間はどこにもなかった。




(……疲れてるわね。寝よう)




目を閉じて、数を数える。


でも、紫音さんの声が、仕草が、気配が、消えてくれない。




私はそのまま、薄く息を吐いた。


そして、もう一度寝返りを打った。




外の風がまた、カーテンを揺らした。


それに合わせて、紫音の横顔が、脳裏にまた浮かんだ。




(……私、何してるのよ)




自分でも、自分の気持ちがわからなかった。





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