────広島空港、午後六時半。
折り鶴型に構成された天井、そこに埋め込まれた照明。それはいつもよりどこか暗く、冷たい光を床に散らしている。硝子張りの壁を打つ雨は世界との隔絶を強調するよう絶え間なく降り続け、遥か彼方で遠雷が光る。空気は重く湿り、足元にまで意思をもつイキモノのように、ぴったりと纏わりついていた。
そのロビーの一角、雑踏の中。静かに立ち尽くす二つの影があった。
一人は、深く彫られた顔立ちの男。眼窩《》に宿る影は過去の過ちを背負っているものの、その瞳が宿しているのは彼なりの正義であった。向かい合う女を咎めようとする意志は強く……しかしそこには迷いがあって。
一方、対峙する彼女の眼差しは鋭い。それは冷酷な光を帯び、何よりも悲しみに満ちていた。
「……悲劇を、これ以上生んではならない」
雨音が響く静寂を破り、そう口を開いたのは男だった。けれども女は、静かにかぶりを振って緩く唇を持ち上げる。
「そうは言っても、それが貴方の望んだ事だった筈よ」
「違う。私はただ────」
「もう遅いわ」
ぴしゃりと打ち返すような語調だった。それだけを告げた女の視線がゆっくりとロビーを見渡す。幾何学的な天井に置かれた人工照明の下、旅客たちがスマートフォンを見つめながらアナウンスに耳を傾けている。誰も気付かない。今此処で、国家医療の根底を揺るがす告白が交わされている事など。
『────十九時十分発、682便の機内へのご案内時刻は……』
その機械的な女声に従って、女は一度スーツケースを転がし視線を逸らした。しかし男は依然としてその場を動かない。それを見遣った女は至極冷静に、そして冷ややかな声音で彼に真実を突き付けた。
「……既にこの国の大多数がそれを身に投じている。そしてそれは、これから、世界に広まる。患者が増えるのも時間の問題なのかもしれない……けれど私達は、あの一件で痛感した筈よ。魔法医療の限界を。そしてそれを超えるためには、悪魔の力をも借りなければならないと。悪魔に魂を、捧げなければならないと。……殆どの人間が魔法抗体を接種してる日本で、これ以上の治験は出来ない。貴方の望む答えを得るためには、世界へ目を向けないといけないのよ」
「失敗を、認めないと言うのか。五十人にもなろうとする死者を出しておいて」
「勿論。たかだか百人にも足らない犠牲で、この偉大な成果を諦めると?犠牲者は全て、最初のバージョンを投与したからでしょう。ここ数年に接種した人間から被害なんて出ていないじゃない。そんなものを失敗だなど、私は認めない」
男の肩が小さく揺れる。その手は固く、握られていた。拳の中に、震えを抱いて。
「ならば、仕方がない……貴女には、死を持って償ってもらう。これ以上、誰かが傷つくなど……」
彼の声は低く、まるで鐘を打つように厳かだった。女はただ鼻で笑い、横目でロビーを映す。人がまばらに佇む公共の場である事を確認し、それをまざまざと彼に見せつけ────そして冷たい視線を投げかけた。
「私が死んだところで何も変わらない。それとも何?魔法省を潰そうとでも?……それを生み出そうと言い始めた貴方が、それを実際に大勢に投与した貴方が、よくも裁けると思ったものよ。裁かれるべきは貴方でなくて?本当にそれの完成を願っていたのは、本当にそれを広めようと思っていたのは」
「……ッ」
「私達は共犯なのよ。
その言葉を遮るように、複数の足跡が近付いてくる。女ははっとしてそちらを見上げ、男は地面に視線を縫い留めた。全ての罪が、暴かれようとしていた。
魔法医療の特異点に立つ