「────メディ、殺せ」
その声音は、
けれど、その言葉の意味はあまりに激烈だった。
怜と伊織は息を呑む。サナがその剣幕に、体を跳ねさせる。
誰もが唖然とした。あれほど命を尊んでいた、あれほど天道を生きようと努力してきた彼の口から、死の宣告が告げられようなど……!
「え……」
「この悪鬼を殺せ。殺せ、殺せよッ!!」
捲し立て、喉が枯れるほど叫ぶ。びくりと、目の前の小さな悪魔の体が震えるのを見た。今だけは、そんな彼女に同情する余裕は無かった。ただ「殺せ」と、契約によって禁じられた悪魔の性に訴える。
……
「人でなし!あんたが悪魔だッ!!殺せ、殺せ、殺せよォッ!!」
「おにーさ……」
「────そうかよ、ああいい、俺がやる!俺がこの手で殺してやる!よくも緋を、よくもッ!!」
「櫻田、ッ!」
「五月蠅い怜!退けよッ!殺す、殺す、殺してやる────!」
────それに呼応するように、風が唸った。黒雲がとぐろを巻き、硝子を叩く雨の音が、抱いた決意を助長するように響いた。
どこかで、硝子が割れる音がした。
翠の身体の中心に、魔法因子が暴力的に練り上げられていく。
足元に、黒い魔法陣が現れる。魔力の渦が、空港の空間に異音を響かせ轟く。人々が何事かと狼狽え、足を止めた。
「……〈虚空に刻まれし終焉よ、名を奪われし哀れなるものよ〉!」
導入句。
怜と伊織が目を見開く。
翠の唇が、確かに「それ」を紡いでいた。
人を殺め、破滅に導くために編まれた────禁忌の呪文を。
「〈汝、宿命を捻じ曲げる戒を抱き、崇む力を授かりし印なり〉」
「まさか、この呪文は……ッ!やめろ、やめろ櫻田!!」
怜が叫び、翠の白衣を掴みかかる。しかし翠は一切動じなかった。華奢な身体に見合わぬ力で彼を突き放し、「駄目だ」と叫ぶ伊織の静止をも振り払う。
その目には、闇と紅い光だけが宿っていた。
その眼には、もう「敵」しか映ってはいなかった。
父。仙田。魔法省。そして、この世界。
全てを貫いて壊すべき、怨念の核。
「〈この手に宿りし刻印の禍よ、理を穿ち、魂を堕とせ────〉」
誰もが、もう駄目だと思った。
もう、止められないのだと思った。
此岸から彼岸へと、天道から奈落へと一線を超えようとする彼。それを繋ぎ止める手は全て振り解かれ、翠は既に一歩を踏み出していた。
窓の外は荒れ、睨みつけた先に小さな黒い点が、白紙に墨汁を堕としたように生み落とされていた。
────爆ぜる。
世界が、彼等が、そう悟る。
それを感じ取った誰よりも早く、メディが小さく呟いた。
「……ヒイロと、約束したんだ。おにーさんを、『守る』って」
世界が、黒く染まった。
「────〈
その律を受けて。
黒が、それよりも濃い緋色に呑まれた。
彼女の声と同時に、黒く凝縮された一滴の墨は跡形もなく雲散した。翠の陣は消え、力の奔流は虚空へとゆらり、
頬を撫でる微風に、翠はただ唖然とする。
何が起きた?確かに自分は発動した。殺すつもりだった。父を、仙田教授を、この世界の全てを、壊すつもりで。
けれど────誰も、死ななかった。何も、起こらなかった。
どこか、既視感を憶えていた。紡いだ言の葉が効果を成さず、呆然とした事に憶えがある。そこには「彼女」が居た。そして今も、彼の前には……。
「メ……ディ……?」
思わず名を呼ぶ。振り絞った声は、驚くほど小さくて。
視線の先で、彼女は腹部を強く抱いてよろめいている。
無防備な身体、幼い顔立ち。そこに、翠への恐怖は無い。翠への嫌悪は無い。いつもの日常のワンシーンのように、彼女は悪戯な笑みを浮かべてそこに居た。
ひとつ、「いつも」と違う点を上げるなら。
……腹を押さえる彼女の手が、震えていた事であろう。
「おにー、さん……駄目、だよぉ……。その一線は……超えちゃ、いけないんだ」
その声が、あまりに柔らかくて。あまりに優しくて、残酷だった。
……彼女は今、何をした?何を、成した?答えを見つけるより先に、心臓が再び
「おま……え、まさか……」
「ボク、契約した時に言ったでしょぉ……?『ヒスイ』の呪いを、喰べるのが条件だって」
彼女の唇から、一筋の赤が伝った。咳と共に飛沫が散り、白い看護服を紅に染めていく。彼女の内に眠る妹の色を、彼女に刻みつけるように。
────呑噬。
それは、概念を喰らう彼女の特権。それは時を喰らう。記憶を喰らう。彼女の寿命を代償に、全てを喰らう深淵の魔法。
けれど、今喰らった概念は、どれほどの対価を払えば消化が出来るのだろうか。どれほど巨大なものだったのだろうか。メディは力なく笑った。その瞳が、痛みに揺れている。
彼女の体の中心から、ぼこ、と小さくそう聞こえた。それは魔法の発動ではなく、生命の音である事を翠は知る。臓器が、組織が、血管が、命が、彼女を構成する全てが破滅する崩落の音。
〈呑噬〉は〈
誰かが「警察を」と叫んだ声が反響した。けれどその言葉は意味を成さず、次の瞬間から翠達に意識を向ける人間は後を絶つ。誰も、彼等がそこに居る事を認めない。当然であろう。メディが無言でその「概念」を喰らったのだから。
故に、彼等は空気と化した。
叫んでも、願っても、誰も助けてはくれない。誰も、救ってはくれない────脳内にあの雪の日が、フラッシュバックする。自責と罪の意識が
「め、でぃ、……」
かくん、と膝から力が抜け、その場に崩れ落ちる。肩が震えた。息が上手く、出来なかった。彼女が何をしたのか、自分が何をしたのかを理解ってしまったから。
メディは紅い絨毯を拵えながらも、一歩ずつ翠に歩みを進める。微弱に詰められつつある距離を、濃くなる血の匂いが教えている。
「ちがう、んだ……ちがうんだよ……。ヒスイ……ヒスイ……どうか、恨まないで……キミの大切な存在を、恨まないで……」
彼女は、呪われた存在である自分の、唯一の味方であった筈なのに。共に罪を背負う、唯一の対等存在であった筈なのに。それを俺は、この手で────。
血が、ぽたぽたと床を染める。彼女の身体は応急の再生を試みるも、傷の大きさに追い付かず、「治癒」の概念のロードに悩んでいる。開いた腹部からは破れた肝臓の一部が覗いていた。意識を飛ばすほどの、痛みであろう。心停止もおかしくない状態であろう。なのに彼女は、それでも彼女は……翠に歩み寄り、瞳を見て語る。
……何が、お前をそこまでさせてるんだよ。泣きそうになるのを堪えながら、彼女の言葉に耳を傾けた。
「クロマサは……ヒイロを、救おうとしたんだ……。ヒイロは……
「
見知らぬワードに思考が搔き混ぜられる。それは初めて聞く言葉であった。緋が、それを受け継いでいた?それが、この事件と何の関係が?
メディが翠の後ろに一度視線を投げ、「やっぱり、ちゃんと言わなきゃ、ダメだよ、クロマサ、ヨシコ……ボクの事は、いいからさ……」と笑いかけたのを見た。
ちゃんと言わなきゃ?彼等はまだ、何かを隠しているのか────?
濁った思考の中で、別の声が響く。
「貴方の母親────
仙田教授だった。彼女は心配するようにメディの傷口を見つめ、次いでロビーの床に目線を落とし……落ち着きなく、足を並べ直しながら掠れた声で語る。
「彼女は人間でありながら『概念』を操る、情報法則を使いこなす力を持っていた。……故に現界の『異界に接続する』魔法出力の仕方は、彼女の力を強めてしまった」
突如出てきた母の名に、翠の動きが止まる。何かが繋がろうとしていた。全てのピースが、糸で結ばれていく。仙田の声だけが、遠くで反響しているような錯覚に陥った。彼の知らない、隠されてきた真実のパンドラがゆっくりと開かれている。
「……和葉のそれを懸念した魔法省が……当時臨床医だった私が、彼女の魔法感受体を切除したの。それが、全ての始まりだった……そうよね、櫻田教授」
「嗚呼……」
視線が、玄真に向けられる。彼はいくつか言葉を選んだ後に、小さく、細く言葉を絞り出した。
「……感受体切除により出力できなくなった魔法因子は、体内に蓄積した。そして変質し、概念の塊になった。最期に和葉は『死』そのものの概念と化して、世界から消滅した。己の全てを捧げたいという想いのもとに、お前達に、『同じ呪い』を遺して」
「じゃあ、つまり、緋も………体が概念に書き換えられていた……?」
「そう……。そしてそれは、キミも……同じだ、ヒスイ。だからクロマサは、魔法抗体を作った。そして……ボクと契約した。概念を喰う、ボクの力なら……概念化が進む子供達を、救えるかもしれないと、信じて」
失われつつある命を眼前にして焦燥する仙田と、諦観している玄真。そして、命の灯火が消える最期の瞬間まで翠に歩み寄ろうと唇を震わせるメディ。そんな彼等の紡ぐ真実を聞いて、脳が白濁する。言葉が、出なかった。
『────魔法っていうものはね、異界……天使や悪魔が住んでいる世界の理を、現実に持ってくるものなのよ。考えた事を、そのまま現実にする力。脳が異界に繋がって、対応する信号を連れてくる。その信号をわたしたちは打ち出して、ものに伝わって、魔法が起きる。お母さんは、その脳の仕組みを失っちゃったけれど。
魔法は、科学。魔法は、愛。────翠、緋。わたしの可愛いこどもたち。お母さんは、あなたたちに……愛という魔法を、ずっと送り続けるからね。
そう────。
ずっと、ずぅっと、ね────』
幼き日の母親の記憶が、鮮明に蘇る。母は自分に、魔法というものを教えてくれた。愛していると、言ってくれた。ずっと愛し続けると、そう。
それは、祝福であり呪いでもあったのだ。彼女は最期まで、子供達を愛した。そしてその愛は皮肉にも、呪いという形で遺された。
「そんな、事って、」
父を、敵だと恨んだ。世界が不条理だと、非難した。
ああ、けれど違ったのだ。自分が世界に嫌われていると思っていただけで、世界は、こんなにも。こんなにも静かに、見守ってくれていたというのか。呪いは、愛だった。縛りもまた、愛だった。メディが紡ぐ続きを耳にして、翠はそう気付く。
「……キミにも、刻印遺呪は、受け継がれている……キミはいずれ、概念の存在になる。その時キミの意思は、全てが……魔法として、現実に反映される。今だって、
窓を叩く雨音が強くなる。これが全て、己の呪いだというのか。翠に与えられた権能だというのか。
メディは力なく続ける。
「……だからボクは、ヒイロを演じた。事故に遭って、キミの魔法が失敗して、僕が……生まれたと思わせたら……もう、魔法なんて使いたくないって、思うと、信じて。それが、概念化が進むキミに出来る、唯一の……応急処置だったから」
彼女の声は、もう殆どが吐息だった。それでも、確かに届いた。確かに響いた。泣きそうになった翠を見下ろして、彼女はふにゃりと微笑んだ。
「共に生きる事で、魔法を、封じられるように。キミの呪いを、食べ続けるように……キミを、守るために」
その言葉と共に、彼女の膝が崩れ落ちた。目の前で、地面に肉が零れ落ちる。魔法の再生も間に合わない。止血さえ、追い付いてはいない。なのに彼女は、血塗れの腕で、なおも翠に手を伸ばす。抱き締めようとするように。慰めようとするように。震えるその手は、彼の肩に僅かに触れ────。
「メ、ディ………」
彼女の名を呼ぶ声が、枯れていた。心の中で、何かが潰れて、痛くて、痛くて。
「ヒスイ……恨まないで……呪わないで……。世界は、キミが思うほど、意地悪じゃない……。みんな、キミを、愛しているんだ……望んでいるんだ……だから……だか……ら……」
その声が、途切れる。
手が、肩から滑り落ちた。
彼女の腕がだらりと地面に落ち、瞼がゆっくりと双眸を隠して。
脳裏が、真っ白になる。喉が、掠れる。何か言わなければと思っても、声にならない。何かしなくてはと思っても、体が動かない。震えたままの指先は、彼女に触れる事すら出来なかった。触れてしまえば、彼女の「死」が現実になってしまうと、それが怖くて、怖くて、怖くて……ッ!
「あ……あぁ、……ぁ……」
────また、殺した。
妹を。今度は、彼女を。俺は、二度も……!
絶望が心臓を握り潰した。
誰も助けない。誰も救わない。誰も彼等を、見ようともしない。
……違う。これはメディの優しさで、彼女を殺したのは自分だ。誰を恨むべきでもない。誰を咎めるべきでもない。世界は、決して意地悪ではない。意地悪に見せていたのは、意地悪だと決めつけていたのは、幼い自分なのだから。
分かっている。分かっている、けれど……けれど、あまりにも痛い。あまりにも、苦しい。酸欠になった頭の中いっぱいに彼女の名を満たして、混沌のままに声を上げようとして────。
────刹那、誰かの指が彼女の首筋に触れた。
「脈はある。まだ、救える」
「れ、い……」
怜だった。彼は視線だけで此方を見据えてくる。
その瞳は、怒ってもいなければ責めてもいなかった。ただ真っ直ぐに翠を映し、次いでその視線が横に向けられる。そこに光が宿っているのを、翠は強く感じていた。
「
「分かった!サナ!」
「ご主人さま、お任せください!」
サナの魔術回路が立ち上がる。複雑なコードが空間に展開し、そこから術衣が形成されるのを見た。
「……むりだ、もう……」
声が、震える。それは医者ではなく、ただの弱い人間の悲嘆だった。それは翠だけでなく、後ろで一部始終を眺めている二人の大人達もそうで。もう、無理だ。救えない。間に合わない。助ける、事など。
……けれど、伊織は翠の肩を掴んだ。優しい顔立ちに凛とした覚悟が浮かんでいる。強く、真っ直ぐに掴み、彼は翠の本心に訴えた。……信じているよ。君なら出来る────そう強く、強く、真摯に。
「
「おれは、俺は……ッ。俺は、人殺しだ……!医者、なんかじゃ、」
「────医者だ。〝俺達〟は医者だ、お前は医者だ」
術衣を纏った怜の言葉が、刃のように響く。お前は医者だから、救わなければならないのだと。救う「責務」があり、命から逃げてはならないのだと。鋭利な言葉が、心に突き刺さる。けれどそれは確かに翠の中枢で響き、閉ざしかけた心に光をもたらした。
「今までその指で、何人の命を繋いできた?何人の患者に『助かった』と言われてきた?」
その声は、真っ直ぐに未来を見据えていた。そしてそれは確かに、翠に希望を与えた。
「……お前なら出来る。
まだ、視界が揺れている。目の奥が熱くて、心が裂けるように痛い。
今此処にある命。奪いかけた命。でも────。
……まだ、救える命だ。
翠は立ち上がった。ふらついた足元を、怜と伊織が支えてくれる。それを悟った瞬間、仲間が傍に居る事を、仲間に支えられている事を、初めて心の底から感じた。
声を、振り絞る。取り繕うんじゃない。いい自分を見せるための嘘じゃない。
本心から、出た言葉であった。
嘘だらけの「櫻田翠」が紡ぐ、救済の誓いであった。
「……っ分かった。絶対に、絶対に救う」
その言葉を受け取って、目の前に一人の男が立つ。……父だった。先程まで揺れていた常盤色の瞳が、我が子に対し────否、一人の医師に対し、信頼の眼差しを向けている。
「……メディヴァは緋の肉体をコピーしている。血液型はB型、Rhマイナス。……あの時、手術中に知った事だ。……お前達の運命を歪めた私が、彼女を救う資格は無い。だが、お前になら救える。そう、信じている」
彼は、自らの袖をたくし上げる。健康、とは言い難い骨ばった腕には青い血管が浮いていた。それを見せ、彼は静かに言葉を継ぐ。
「私の血を使え。……家族なんだ。拒絶反応もなかろう」
「父さん……」
その言葉が、胸を刺す。
今更、救うというのか。今更、手を貸すというのか。
十五年間ずっと、ひょっとすると母が死んだ二十年前から〝悪事〟を成してきて、今更────。
……それも、もういいだろう、俺。彼だって、ずっと悩んできたのだ。苦しんできたのだ。それでも翠に真実を伝えられなかったのは、彼が人間だからだ。完璧じゃない、嫌われるのを恐れた、脆い人間だからだ。四十九人もの死者を出して、それでもなお愛する存在を選んだ、どうしようもなく馬鹿な男。それが、己の父。
彼を赦せた訳じゃない。でも────。
でも、今この瞬間だけは、彼の胸が心強かった。
「……ああ」
馬鹿ね、と背後で仙田教授が零す声が聞こえた。「あんな事を言っておいて、たかが数人、誰が死のうと関係ないと言っておいて……見知った顔が苦痛に歪んでいたら、苦しくなってしまうものね」と躊躇いがちに、しかしはっきりと告げた声を聞いた。
彼女は静かに歩み寄る。一線を退き、傍観者を気取っていた彼女は再び舞台に舞い戻る。天井から落ちる光が、スポットライトのように仙田を照らした。
細い指先が、胸元のロケットペンダントに触れている。
ロケットの中には、一枚の写真。若き日の彼女と、和葉と、乾。彼女達は、友であった。子供を巡る苦痛も幸福も共有できる、心の友であった。
「……和葉。貴女の命を救えなかった私は、臨床から退いた。……でも、もう一度────矢面に立つ事を、許してくれるかしら」
柔らかな声で、呪文が紡がれる。静かに。
「……〈混沌の理よ、未だ形亡き力を紡ぎ、新たな法則を生み出すものよ。
汝、未知の魔を織り、可能性の門を開く叡智なり。
下す我が命のままに、真理を編め────創魔〉」
瞬間、空港ロビーの空間が銀に染まる。帳が降りるように上空から大地に向かい白銀は下り、ドーム状の無菌室が展開される。宙にバイタルモニターが浮かび上がり、その細き管がメディの脈を刻み込む。天球には人工の太陽が高々と掲げられ、青白い光が空間内を満たす。それは慈愛と、安寧と、希望の光だった。生命を照らす、道標だった。
「……白魔法が使えるのは、ここまで。あとは任せるわ────翠くん」
深く、頷く。
「分かった」と応えたその声には、ひとつの希望の星が宿っている。
白衣を翻し、生成された術衣に袖を通し、マスクを掛ける。
手袋を填めた薄水色の両の手は、もう震えてはいなかった。
手術台の前に立つ。
血に塗れてなお、命を繋ぐために。
罪を背負ってなお、奇跡を起こすために。
「────D
手術が、始まろうとしていた。