俺がこの世界に転生し、コハク=フィルズストンとして新たな生を受けてから、10年の時が経過した――。
つまり俺も10歳になったってことだ。
トントントンッ。ドンドンドンッ。
ドアノッカーを荒々しく叩く音が屋敷中に響き渡る。
もうそんな時間か……。
っていうか、そんなバカ力で叩き続けたら、そろそろドア壊れるだろ。
「あら、ヒナちゃん。いらっしゃい」
「こんにちは、おばさま! お世話になりま~す! コハクちゃんはいますか~?」
階下からいつもの会話が聞こえてくる。
また今日もやかましいヤツが来やがったか……。
毎日毎日、昼時になると飯をたかりに来やがって。母さんもそんなヤツは無視して、居留守を使えば良いんだよ。
「コ~ハクちゃん。あ~そ~ぼ~♡」
無視無視。
俺は忙しいんだ。飯だけ食って帰れ!
強化コンクリートの生成について研究をしているところだからな。湿度を保つための保護剤の使い方に一考の余地があるはずなんだ。どうしてもコンクリートの面積が広ければ広いほど強度にムラが出ちまうからな……。保護剤もスキルで生み出せると一定の湿度を保てるはずなんだがなあ。
「な~にしてるの~? また泥遊び?」
ノックもなく俺の
ウェーブの掛かった長くて赤い髪。耳の上あたりから生えている小さな2本の角が特徴――ドラゴン族と人族のハーフのヒナ=スカーレットだ。
「泥遊びじゃねぇ! 強化コンクリートの研究だ。あっち行け!」
「つ~め~た~い! 遊んでくれないと~、火を吐いてコンクリート全部乾かしちゃうぞ?」
ヒナがこれ見よがしに口から煙を吐いてみせる。
「こ〇すぞ」
「おばさま~! コハクちゃんが汚い言葉を使ってきますよ~! おばさま~!」
「おいっ! それは反則だろ!」
母さんを呼ぶのはダメだろ!
というわけで、ヒナに召喚された母さんに正座をさせられて、説教を受けている。
説教の内容はいつも同じだ……。
「コハク。いつも言っているでしょう。女の子はエレガントに。振る舞いも言葉遣いもね」
「……すみません。気をつけます」
わかってはいるんだ。
俺だってもう10歳。
この国――ブレドストン王国では、男女によって求められる所作が明確に分かれている。
男性はスマートであるべき。女性はエレガントであるべき。
貴族も平民も等しく、『気高い心を持つように』という教育が施されている。
前時代的だな、とは思いつつも、俺だってもうこの世界で10年も暮らしている。いい加減「異世界転生者だから慣れていない」という言い訳が通用しないくらいの年数になってきていることくらいはわかっている。つもりだ。つもりなんだよなあ。
テーブルマナーは覚えた。
スカートだって穿き慣れた。
でもさあ、言葉遣いだけはなぜか直らねぇんだよなあぁぁぁぁぁ。
「それと無類の女の子好きも直らないね♡」
耳元で囁くな。コイツ腹立つわ……。
母さんが向こうに行ったからってさっそく本性出してきやがって。
「俺が女好きなんじゃねぇだろ。女のほうが俺に寄ってくるんだ」
「きゃ~♡ モテ女の発言よ~♡」
マジうぜぇ……。
「誰のせいだと思ってるんだ、誰の!」
「え~、ヒナちゃんわかんな~い♡」
何だその甘ったるい声は! ぶりっ子か!
「お前だよお前! 考えなしに余計なハーレム属性を追加してきた女神のせいだよ!」
ドラゴン族と人族のハーフのヒナ=スカーレット。
その真の正体は、俺を
「え~、ヒナちゃんが女神様のようにかわいい? 結婚してくれ? はい、一生しあわせにしてください♡」
さり気なく俺の手に指輪をはめようとしてくるな!
どこで用意したんだ、その巨大なルビーの……って俺がこの間生成したやつじゃねぇか!
「結婚記念日のお祝いに母さんにプレゼントしようと思っていた渾身の出来のやつ! 汚ねぇ手で触るな!」
返せ!
油断も隙もないな。
この駄女神が!
「ま、まさか……ハーレム属性で母親まで手籠めにしようと……」
「人聞きの悪いことを言うな! 母さんは世界一美人だが、俺の母親だからな⁉」
母さんは美人でスタイルが良くてやさしくて最高だけどな! でもさすがに肉親には俺の呪いのハーレム属性は効果を発揮していないらしい。ギリギリの倫理観で何とか助かったわ。
「ま、マザコン!」
「俺はまだ10歳のガキだぞ! ガキがマザコンで何が悪い!」
「開き直った⁉ 累計28歳のくせに!」
「生前の年を累計すなっ!」
累計された年齢には何の意味もないからな?
どうやら俺の精神年齢は肉体年齢に引っ張られているらしいんだ。前世で死んだ18歳のままで止まっているわけでもなくて、むしろ自覚的には肉体年齢の通りの10歳なんだよなあ。
「そんなことを冷静に考える10歳の女の子なんていないので、やっぱりコハクちゃんの精神年齢は18歳くらいだと思いますよ」
「そうかぁ? でも性欲とかないしなあ……って、だから人の心を読むな!」
さり気なく女神の力を使うのはやめろ!
「お前さ……。結局これまでの数々の悪事が上司の神様にバレて、ここに左遷されたわけだろ? ちょっとは心を入れ替えてがんばらないとヤバいんじゃねぇの?」
「……左遷じゃありません。コハクちゃんが心細いかなと思って、自ら立候補して手助けに来ただけです」
「ふーん? じゃあもう大丈夫だから。この通り、お前さんがくれた超絶レアなチートスキルも発現したし、研究に勤しんで楽しく暮らしているから心配しなくて良いよ」
ちなみに、俺に与えられたスキルは『石加工』というものだった。
対象が『石』なら、どんなものでも加工ができるというスキルなのだが、研鑽を重ねれば使い道はいろいろあるらしい。
今はまだスキルレベルが低いせいか、自らの手で生み出せるのは、砂か小石程度。あとは鉱石の加工が少しできるようになったくらいか。ルビーの加工には苦労したぜ……。
「なあ、女神さんよ。上司の神様に『俺はもう大丈夫だよ』って伝えておいてくれよ。な、だから今すぐ天界に帰ってくれて良いよ?」
ヒナの額からは、玉のような汗が流れ出ていた。
「どうした? 調子が悪いなら急いで帰ったほうが良いんじゃないか?」
「……もう少しだけここにいさせてください」
「んー? 今何か言ったか?」
「もうしばらくコハクさんのお世話をさせてください!」
ヒナの顔から流れ出ているのは汗……だけでなく涙も混じっているかもしれない?
「ふーん? それで?」
「い゛く゛と゛こ゛ろ゛が゛な゛い゛の゛!」
ふー、完全に泣いたな。
これくらいでお灸を据えるのはやめてやろう。良い気味だ。
「良いよ。なあ、女神様よ。やっぱり左遷されてきたんだろ?」
「……はい」
素直でよろしい。
「俺のことを手助けしてくれるなら、傍にいても良いよ」
「はい! 手助けしまくります! コハクちゃん大好き♡」
抱き着いてくるな。
あんまり言いたくはなかったんだが、お前のそれ……ちょっと俺のハーレム属性に引っ張られているだろ? 自分じゃ気づいていないかもしれないが、過剰なスキンシップが多いぞ?
「俺はお前のくれた超レアな『石加工』スキルの限界に挑戦したいんだ」
「ははは……」
ははは、じゃねぇだろ。
何がレアスキルだ。このやろう!
『石加工』スキルなんてやつは、この国の人間なら3人に1人が持っている、この世界のほぼ標準スキルじゃねぇか。
それを知った時、俺は絶望したね。
でも――。
「この世界の『石加工』スキル持ちのほとんどが鍛冶師にしかなってねぇのは間違っていると思っている」
俺の持つ前世の知識があれば、もっと多くのことができるはずだ。
「俺はこの世界で成り上がるぞ! そのためにはお前が必要だ!」
正確に言えば、お前のドラゴン族の母親譲りの火魔法が必要なんだ。
「コハクちゃん! 私、一生コハクちゃんについていくね!」
一生は困る。
もっと上位の火魔法使いが現れるまでの繋ぎな?
そうしたら用済みだからおとなしく天界に帰ってくれよな?
「私、コハクちゃんのセイドレイになるから~~~! 私の体はコハクちゃんのものだから~~~! 好きにしてくれて良いから~~~!」
おまっ! 大声で何を叫んでっ⁉
「コハク……。ヒナちゃんになんて言葉を教えているの……。ちょっとこっちにいらっしゃい……」
ああっ、タイミング悪く母さんが部屋の前を通りかかって、ヒナの叫び声を聞いていらっしゃったぁ!
「えっ、俺⁉……じゃなくてわたし⁉」
母さん、違います!
今のは完全に濡れ衣です!
アイツが勝手に言っただけなんですってば!
えー! また正座ーーーー⁉