俺たちが学院に入学してから約8か月が過ぎた。
「うわっ、寒っ。朝の生徒会執務室は冷えるな……」
室内でも吐く息が白い。
もう本格的な冬が迫っていた。
「今すぐ暖炉に火をくべますね~」
ヒナはそう言ってほほ笑むと、暖炉に向かって炎を吐いた。
よく乾燥した薪が一瞬で燃え上がり、瞬く間に部屋の空気が緩んでいくのを感じる。
とても暖かい……。
「ありがとうな。でも俺はすぐに禁書庫にいって研究の続きをしないと……」
残念ながら、ずっとここでぬくぬくしているわけにはいかないんだ。授業が始まるまでにやっておきたいことがある。朝活の時間はとても短い……。
「私ももちろんお手伝いしますよ」
「おう、サンキュー」
俺とヒナは、連れ立って生徒会執務室の奥にある秘密の転送ポータルの上に立った。ここから直通でロックウェル公爵家の禁書庫に飛ぶことができるのだ。
わざわざあの地下室まで降りる時間も節約できるし、時間をかけた上にイチャラブしているゴーレムたちを見る、なんなら「主殿にもそろそろ恋人はできたのか?」と煽られるという嫌がらせを受けなくて済む。それだけでも生徒会役員入りする価値はあるね! まだ見習いの身分だけどな!
俺たちが禁書庫に転移すると、すでにチカが中で待っていた。
禁書庫の中は火気厳禁のため暖炉はない。だが閉じられた空間だからなのか、不思議と寒くは感じなかった。
チカもコートを脱いで、イスに掛けているしな。
「2人とも遅いンよ。さっさと朝活を始めないと授業までに進捗が出せないンよ!」
「おはよう。チカは今朝も気合入っているなあ。これでも一応、集合時間の30分前なんだが……」
遅刻はしていないよ?
「2時間前に来て掃除をするのが基本なンよ。30分前なんて実質遅刻みたいなものなンよ」
なんというブラック体質!
いや、でもチカは口だけじゃなくて、ホントに毎日早く来て掃除してくれているから助かる! そのおかげで俺はホムンクルス研究に没頭できるわけだ。
「たぬき、ミサさんはまだ来ていないんですか?」
「火トカゲの分際でチカに話しかけるなんて恐れ多いンよ。身の程をわきまえるンよ。ミサは今日から1週間ほど王宮に戻っているンよ。トカゲ頭のせいで忘れたンよ?」
「そうでしたね。リリさんも一緒でしたね」
「腰抜けじじぃの即位何周年かの記念パーティーなンよ。さっさとくたばれ、くそじじぃなンよ」
ああ、そんなに乱暴に箒を振ったら胸と埃がプルンプルン……ケホッ。
「まあ……国王が腰抜けなのは否定しないが、それでもまだ死なれたら困るんだわ」
今死なれると、ミサに王位が回って来ないからな。王位継承権第7位のままだし。
それになあ、まだホムンクルス研究の進捗は2~3割ってところだ。それなりに先は長いから、国王様には長生きしてほしいってもんだぜ。
ホムンクルス研究。
人体の構造を把握して、人間とまったく同じ組織構造の体を作り出す研究だ。
どれどれ。たまにはこれまで作り上げた人体のパーツを組み合わせて並べて見てみようじゃないか。
約8か月の成果がこれだ。ドヤッ!
「骨格系と筋系の再現まではできるようになったんだがなー」
「うげ~。やっぱりグロいンよ……。チカの体はもっと美しいンよ。こんなにグロいのが人間なわけないンよ……」
「まあ、外側の皮膚がないと気持ち悪いっていうのはわかる。だけど、本当にグロいのはこれからだぞ? 内臓はまあまあグロいだろうからなあ」
今はまだ、作る過程でも比較的見た目がきれいな部分を触っているからな? この後は、どうなっちゃうのかわからないくらいグロいかもしれない……。
「だったらまずは外側の皮膚からとりかかるンよ。内臓はトカゲと2人でやれば良いンよ……」
「へぇ~、良いんですか~? じゃあ、私とコハクちゃんがず~っと2人きりで手に手を取り合って研究を進めますね~。盛り上がっちゃって、一線を越えてもたぬきみたいに泣かないでくださいねぇぇぇぇ」
グロい内臓の研究をして盛り上がるのはちょっと嫌だな……。
まあ、骨や筋を作っている時も、別にそっち方向には盛り上がらなかったからな。達成感はあったけれど。それとたぬきの鳴き声ってどんなの?
「やっぱりチカも参加するンよ……。できるだけグロくないきれいな内臓を作るンよ……」
「きれいな内臓って言われてもな」
きれいか汚いかは置いておくとしても、ここからがグッと難しくなるのは間違いないだろうな。
ヒナが手に入れてきた人体構造のデータを見ると、血管と内臓は細かい部分も多いし、細工の難易度が非常に高いことが予想される。血管は筋系と同じように、全身に張り巡らされているし、とくに目視が難しい『毛細血管』なんてのもある。基礎の血管組織ができたとしても、それを組み込んでいく作業もあるしなあ。
「やっぱり皮膚や内臓よりも先に、血管の構造を把握しておかないといけない気がする」
外装的な意味合いの強い皮膚は後から何とでもなる気がするんだよな。
それよりも内部構造の中で人体に『エネルギー』とも言うべき血液を届ける血管ができていないことには、何にもならないんじゃないか。
「次はおそらく人体作りの中で最難関の血管にチャレンジしようと思う」
俺の宣言に、ヒナもチカも異を唱えなかった。
2人とも、あーだこーだ意見は言うけれど、最終的には俺のやり方を尊重してくれる。研究がうまくいくように、準備や片づけの手伝い、研究室として使っている禁書庫内の掃除なども手を抜かずにやってくれるから本当に助かる。
こうして血管の研究は始まったが、ようやく完成が見えてきた頃には季節がいくつか移り替わり、もう夏に差し掛かっていた。
いつの間にか、俺たちは2年生、リリちゃんは3年生になっていた。