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第7話提示される思想

「それでですね、宮司さん。さきほど神理の違いによる私の失敗談をお話したわけなんですが、信仰者にはそれぞれ付き合い方みたいなのがありましてね。こうすれば仲良くなれる、とは一概に言えないのです。それは信仰者でも、無信仰者でも同じことです」


 それは話を聞いていたから分かる。強いて言えば同じ神理を信仰している者同士なら仲良くなれるんだろうが。だが、それだけに無信仰者の俺じゃ誰かと仲良くなるのは難しいって意味でもある。


 だが、ここでヨハネは意外な言葉を口にした。


「ですが、そんな三つの信仰者の誰とでも付き合え、かつ、あなたにも出来る、一つの思想があります」

「思想?」


 ヨハネの言葉は意外だった。誰とでも付き合えるだけでなく、無信仰者の俺でも出来ることがあるって?


「はい。琢磨追求でも慈愛連立でもなく、無我無心でもない。無信仰でも行えるものです」


 ヨハネの笑顔は嘘を言っているようには見えない。


「それは……?」


 気づけば、俺の口は勝手に聞いていた。


「はい、それが」


 問いにヨハネが答える。それは――


「黄金律と呼ばれるものです。知っていますか?」

「いや、初耳だ」


 黄金律(おうごんりつ)。聞いたことがない。一体どういうものか、考えてみるが見当も付かない。


「黄金律とはまだ神がいなかった時代、哲学や教訓などを考えていた時に唱えられた一つの教えです。内容自体はとても簡単なものですよ。守るべきことは二点だけです」


 ヨハネは人差し指と中指を立て、二つであることを強調する。


「いいですか? 黄金律の教えは、自分がされて嬉しいことは人にもしてあげる。自分がされて嫌なことは人にもしない。これだけです」


 ね、簡単でしょう? と最後に付け加えて、ヨハネは笑った。


「え、それだけ?」


 だが、どんなことだろうと身構えていた俺としては拍子抜けだった。


「ええ。これが黄金律と呼ばれる教えです。あ、さては信用していませんね?」


 冗談のように笑うヨハネを依然怪しそうに見つめるが、ヨハネは自信があるのかたじろぐことはしなかった。


「神のいなかった時代には、かつて多くの哲学や思想がありましたが、それらの共通点であったのがこの黄金律なのです。どのような教義にも当て嵌まる、普遍的であり本質的な思想と言えるでしょう。少なくとも、これが守れている限り人から悪い印象は持たれないはずです。どうでしょうか宮司さん、参考になりましたか?」


 笑顔で聞いてくる言葉は俺を案ずる一心だけのように思える。笑みは純真な輝きを放ち、穏やかな声には安心感がある。


 仲間のいない無信仰者だからこそ、普遍的な価値観である黄金律。理に適った話ではあるし仲間外れでも共有出来る唯一の術かもしれない。


 俺は黙り込んで考えるが、ややあってから答えた。


「まあ、覚えておくよ」

「はい、覚えていただければそれで結構です」


 ヨハネは笑顔で受け止めるとそれ以上勧めてこなかった。自主性の尊重か、選択はあくまでも俺に委ね無理強いはしてこない。


「それと申し訳ないのですが、最後に教師として一つ確認だけさせてください」


 ヨハネはそう言うと視線を俺ではなく、隣に座っていたミルフィアに向けていた。


「失礼ですが、あなたがミルフィアさんですか? 事情は知っています。ここの生徒ではないですが、出入りの許可は出ていると」

「はい、そうです」


 そこで今まで会話には参加していなかったミルフィアが初めて喋った。背筋を伸ばし膝に両手を置く姿は優等生を絵に描いたようだ。


 表情は精悍で、棘はないものの機械的な話し方には親しくする意思は見られない。


「そうですか、分かりました。それだけは確認しておきたかったものですから」


 ミルフィアに向けニコっと笑った後、ヨハネは気配を引き締め俺に向き直った。


「宮司さん、教室での出来事は申し訳ありませんでした。私の落ち度です。私なりにもっと努力しなければ」

「な、なんだよ改まって」


 いきなり真剣になるんじゃねえよ、変なカンジになるだろうが。


「いやなに、それだけですよ。ただの反省と宣誓です。私は諦めませんから、宮司さんからもなにかあればなんでも話してくださいね、いつでも相談に乗りますから」


 そう言うとヨハネは俺にも微笑んだ。けれど、俺は咄嗟に顔を背けてしまう。諦めない。その言葉が重い。


 だって、出来るはずがないんだ。どう頑張ったって無信仰者を怖がる奴はいる。変わるはずがない。


 ただ、そう思う表情を見せたくなかった。


 それで話は終わったらしくヨハネは救急箱を片付けると立ち上がった。


「私からは以上です。長いこと引き留めてしまい申し訳ありません。では教室に戻るとしましょうか」

「…………」


 ヨハネから教室へ戻るよう促される。だが、さきほどの喧嘩とクラスの反応は今でも覚えている。正直まだ教室に戻るには足が重かった。


「……分かりました。宮司さんたちは後ほど。ですがちゃんと教室に顔は出してくださいね?」

「分かった」


 短く返事だけ行いヨハネは保健室から出て行った。扉が閉められミルフィアと二人きりとなる。

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