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第9話憂鬱

 それは世界中で当たり前に起きている、奇跡のような出来事だった。


 人は他者と出会うことで愛を知り、二人で作り出す愛は深く結びつく。そうして愛は育まれ新たな命を生む。愛の結晶。誕生の産声が今部屋中に響き渡った。


『あなた……』


 息切れ切れに、今しがた重大な役割を果たした女性は夫に呼びかける。疲労困憊の表情に、しかし満面の笑みが浮かぶ。


『ああ、生まれたよ。男の子だ』


 夫は綺麗に拭き取られた赤ん坊を抱き、妻であり母となった彼女へと手渡した。愛しの子。二人の愛の下に生まれた子を両腕に抱いて女性は嬉しさのあまりに涙を流した。その後、彼女は微笑ましく見つめながら夫へと問いを投げかける。


『ねえ、この子の信仰はどちらだと思う?』


 懸命に、主張しているかのように泣く我が子を慈しみ、彼女は思いを語っていく。


『もし私と同じなら、この子は誰よりも優しい子に育って欲しい。誰にでも手を差し伸べて、支えてあげる子に。きっと、この子は誰よりも愛される子になるわ』

『ああ、きっとそうなるさ』


 夫であり父親でもある彼も同じ気持ちを抱きつつ、母親に抱かれる我が子を優しく見つめていく。


『もしあなたと一緒だったら……、ふふ。あなたよりは強くなって欲しいわね』

『ははは……、厳しいね』


 男は苦笑するもすぐに元の笑みへと戻り、二人して我が子に愛を送る。


『この子は誰よりも愛される子になるわ。神様にだって。だから、これがこの子の名前。神愛(かみあ)。神様に愛されし子』

『いい名前だね。でも、愛なんてちょっと女の子っぽくないかな?』

『少しくらいいいじゃない、可愛らしくたって』

『それもそうだね』


 二人は子供に名前を与え祝福した。我が子の誕生を。神様からの贈り物を。


 夫婦は喜び、これからの未来に思いを馳せる。楽なことばかりではないだろうけれど。この子の人生に、幸多くあらんことをと心の底から願いながら。


 いつまでも、それは続くものだと思われた。


『どうしてこの子には信仰がないの!?』



「はっ!?」


 ベッドの上で目を覚ます。辺りを見渡せば寮の部屋で、天井は二階建てのベッドだった。深夜の薄闇に自分の荒い息が聞こえてくる。片手を額に当ててみれば手の平が汗でべっとりだ。


「……夢、か」


 体から力が抜ける。ふぅーと息を吐き、ベッドに預けた体が脱力していく。


 昔の夢。いつの夢を見たところでよい夢なんか期待出来ないがよりにもよってあんな夢なんてな。


 家族の夢。俺が、一番見たくない夢だ。


 母親は高尚な信仰者で神に感謝し神理を愛しているような女性だった。だからこそ無信仰者というのが受け入れられなかったのか。拒絶され、日に日に病んでいく母親は見るに堪えなかった。


 父親は気弱な性格で心配性の愛妻家だった。精神を患っていく妻を優先してか俺とは積極的に関わってくることはなかった。けれど息子に対する負い目もあるらしく、俺を憐れむ目を忘れたことがない。


 両親は、いつも不幸だった。それが自分のせいだということに俺は一人絶叫していたんだ。


 生まれなかった方が良かったのか? 違う。常に自分に言い聞かせて、世界中から嫌われようが生きてきた。誰もが俺を拒絶しても俺は生きていてもいいんだと決めつけた。


 そう思わないと、やっていけなかったんだ。


 脱力感にだんだんと心が落ち着いていく。夢の余韻は薄れていき漠然となる。それでも悪夢の情景は忘れるなよ、と脅迫してくるようだ。


 目を瞑る。涙はない。


 ただ、こんな夜だけは誰かに傍にいて欲しい。そう思ってしまうのは心の弱さだろうか。


「え?」


 その時突然手を握られた。なんだと思い見上げれば、そこにいたのはミルフィアだった。


「ミルフィア?」

「はい」


 声は安らぎに満ち、鈴のように透明感がある。


 窓から差し込む月光だけが明かりとなってミルフィアを照らしている。美しい金髪が月によって輝いていた。


 まさか、このタイミングで手を握られるとは思わず胸が飛び跳ねる。


「どうして」

「主が、苦しんでいるようでしたから」


 ベッドからだらりと下がる片手をミルフィアの小さな両手が包み込む。温かく、心にまで伝わってきそうな微熱を感じる。


「汗をかいているようですね。すぐに濡れたタオルを持ってきます」


 そう言ってミルフィアは一旦離れた。寮の部屋は基本的に生徒の二人一組だが俺には同室相手はいない。ここには俺とミルフィアの二人きりで、ミルフィアは水面台でタオルに水を含ませている。


 ベッドに腰を掛け、すぐに戻ってきたミルフィアからタオルを受け取った。顔を拭けばひんやりとした冷たさが心地いい。


「ありがとな」

「いえ」


 ミルフィアは正面で片膝をつき褒め言葉に頬を緩ませている。満足そうな表情だが、奴隷の姿勢を貫くミルフィアに昼間の出来事が思い出される。


「ミルフィア、隣座れよ」

「いえ、私は」

「いいから座れって」


 強引な誘いに「では、失礼します」と小さく頷いてミルフィアが隣に座る。俺は顔を前に向けた。そして、しばらくしてから話し出した。


「……親に、捨てられた夢を見たんだ」


 独白は細く弱々しい。気持ちが沈んで、なかなか上がらない。


「一人には慣れてたと思ったが、未だに引きつっているんだな」


 自分で言うのもあれだが、俺にしては珍しい弱音だ。久しぶりに見た夢にずいぶんと傷心したらしい。

「主がどんな家庭で育ったのかは承知しています。主の親ではありますが私も憤りを感じています」


 普段は穏やかで微笑んでいる彼女が珍しくその表情に険を露わにしている。彼女も怒ってくれている。彼女だけは俺の苦しみを理解してくれる。


「ですが大丈夫です」


 けれど次の瞬間には優しい笑みに変わり俺を見返してくれる。


「私は、たとえ何があろうと主のお傍にいます。これからもずっとです」


 優しい言葉。ミルフィアはいつも俺のことを思ってくれる。


「大丈夫です、主は一人ではありません。私がいますから」


 彼女の優しさを利用するようで卑怯な気はしたが、同時に嬉しかったんだ。その優しさに不意に瞼の奥が熱くなる。そんな俺をミルフィアは微笑みながら見守っていた。


「あなたを傷つけるものがあるなら、私は命に替えてもお守りします、主」


 優しい奴だ。感謝してるよ。今日も俺を守ってくれた。


「今日の出来事ですが、大丈夫でしたか?」

「ああ、お前が守ってくれたからな」

「いえ、当然の務めを果たしたまでです、主」


 すべてが敵のあの場所で。お前だけは、俺を助けに来てくれたんだよな。嬉しかったよ。


 そこで俺は思った。


 じゃあ、代わりに俺がお前になにをしてやれるだろう。なにが出来るだろう。


 そう思った時、ある考えが過った。


 それは奴隷を止めさせること。そうすれば彼女は今よりも幸せになれるはずなんだ。なら、どうやって奴隷を止めさせるか。よく分からないが、でも。


 友達になれたら、それはきっと奴隷を止めさせられた、ということじゃないだろうか?


 そして友達になる方法は昼間聞いたあれがある。


 黄金律。


 本当にこれで友達ができるなら。無信仰者っていう、俺なんかでも友達ができるなら。お前と友達になりたい。そして奴隷なんか止めさせたい。本気でそう思う。


 だけど、黄金律ってどうすればいいんだ?


 ヨハネが言っていたこと。自分がされて嬉しいことは相手にもしてあげ、自分がされて嫌なことは相手にもしない。


 もしミルフィアと友達になりたいのならされて嬉しいことだ。じゃあ、俺がされて嬉しいことってなんだろうか。


 うーん、くそ、分からん。しかしだ、要はミルフィアが喜べばいいんだろ? ならミルフィアがされて嬉しいことってなんだろうか。どうやってミルフィアを喜ばせる?


 再び考える。


「そうだ!」


 そこで、あることを思い出した。


「ミルフィア、俺たちが出会った日って覚えてるか?」

「はい」


 突然の質問にミルフィアが少々驚きながら答える。そうだ、思い出した。


 俺たちが出会った日。それは、ミルフィアの誕生日でもあった。


 ミルフィアはいろいろと謎の多いやつだ。それは誕生日も。彼女曰く俺たちが出会った日に生まれたらしい。意味はよく分からないがそういうことで俺たちが出会った日がミルフィアの誕生日ということになっている。


 それでだ、俺はあるアイディアを思いついた。


 彼女の誕生日会を開くというのはどうだろうか? それで彼女を喜ばせて、そしてこれをきっかけに友達になるというのは? 友達になるにはいい機会だと思うんだ。


「えっと、今日って何日だ?」


 ミルフィアの誕生日。その日は覚えてる。四月の七日。


 すでに十二時は過ぎてる。となると今日の日付は……。


 俺はカレンダーを探すが、さきにミルフィアが教えてくれた。


「今日は四月の四日です、主」

「四日!?」


 てことは、あと三日しかない? いや、使えるのは実質二日だ。


 ミルフィアを奴隷から止めさせると決めたはいいが、誕生日まではあと二日。それだけの間にしなければならない。


 そんな、マジかよ……。

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