ここは新宿御苑前にある古びた雑居ビル。エレベーターが故障中なので薄暗く汚い階段を登って、たどり着いたのが最上階の5階。
ここは旧知のシステムエンジニア・ユカが所属する人材派遣会社だ。
プログラマをやめて喫茶店マスターになったはずの俺が、なぜここにいるのか……考えたくない。
「久しぶりです、篠原さん。お待ちしてましたよ。ささ、コーヒーでもどうぞ」
営業の佐藤さんが、なんだか嬉しそうに俺の顔をまじまじと見つめる。そして、いつ淹れたか分からないような、味が濃いだけのオフィスコーヒーをすすめてきた。正直口もつけたくない。いかにも不味そうだ。純喫茶のマスターの俺にこんなものを出すとは。イライラ。
「ウィザードさぁ、気持ちはわかるけど露骨にいやぁな顔すんのやめてよ。とりあえず話だけでも聞いてよ」
「うるさいなぁ、ユカが無理矢理引っ張ってきたんじゃねえかよ」
俺は普段からあまり愛想笑いもしないし、能面顔と言われちゃあいるが、割と感情がダイレクトに表情に出るらしい。今日は特にイライラしているから尚更だ。
「うふふ、相変わらずですね。でも私、ちぁゃんと知ってるんですからね。篠原さんの『じ・つ・りょ・く』」
佐藤さんは可愛い。ユカと比べれば付き合いは長くはないが、5年位は仕事を紹介してもらったり世話にはなってた。人材派遣業界で10年も営業をやっていればベテラン中のベテランだが、いつまでたっても新卒一年目みたいな紺の地味なスーツを着ている。しかもいまだに着こなしがぎこちない。だが、それがいい。
俺みたいな3次元の生身の女性に興味がない人間でさえも、なんだかほっておけない、助けてやりたくなる……そんなオーラをまとっている。長い腰までのつやつやの黒髪をふわりとさせながら顔をよせてくるそのしぐさもあざとい……いや、ずるい。
◯
「で! 早速本題なんですが……」
かいつまんで説明するとこうだ。どうやら去年、複数の官公庁を巻き込んで政権与党がぶち上げた「AIによる地方行政デジタル化の推進」で導入した、市区町村向けシステムの一部がおかしな挙動をしだしたとか。市民からのネットでの問い合わせにとんでもないデタラメの回答をAIがしたり、役場に市民が殺到。役場の受付AIもおかしくなっているらしく、対応する役場の職員も、もうどうしたらよいのか相当パニックになっているらしい。それも1741ヶ所ある全国の役場すべて。
「おいおい……あれを一気に全国展開したのかよ。まずは土浦の先進技術実証都市で試してからって話じゃなかったのか?」
「それがですね、どうにも担当大臣が顔を真っ赤にして『すぐやれ、いまやれ』って発破をかけて、しかもそれが真っ先にTVのニュースで取り上げられちゃって。現場は大慌てでテストもろくにせずに世に出しちゃったらしいんです」
「ぶーーーーーーーーっ! あほかぁぁぁぁぁぁぁぁ」
コーヒーを豪快に吹いた。冷静な俺も思わず叫んだ。
「ちょっと篠原さんってば、顔にコーヒーをぶっかけないでくださいよう」
割といつものことだったので、佐藤さんはまったく困り顔をせずに、笑顔でコーヒーまみれの顔と髪を拭いていた。
「俺、ちゃんと警告したのに、やっぱり誰も本当の怖さを理解してくれない。ま、俺がコミュニケーション能力皆無だし、論理的思考で正しく説明できてなかったのが悪いのかもしれないが。こうなる気はしてたんだよな」
◯
「そうそう! それでね、ウィザードさぁ、あのプロジェクトのコアな部分、あなた参加してたでしょ? 汎用人型人工知能ユニットを中学校に導入し実証試験で、敏感なセンサーとボディを持ったAIに自我が目覚めるかとかそういうの」
「ユカ……よく覚えていたな、つか、忘れようもないか。実証試験に選ばれた中学校の生徒に、よくないトラウマを植え付けちゃったしな」
「あの技術が今回の市区町村向けシステムのAIに組み込まれているらしいのよ」
「ぶーーーーーーーーっ! まじかぁぁぁぁぁぁぁぁ」
今度はユカの顔にコーヒーをぶっかけた。ちょっと待ってくださいよぉぉぉぉ。あれはまだ検証が不完全で、やばいってんで一旦封印したはずじゃあ?
「俺しーらね。しらねーよ。ちゃんと警告したし、封印したじゃんか。ま、最後の生き残りが俺のノートPCの中で『汎用人工知能支援メイド・ナギちゃん』として時々メンテナンスはしていたがな」
「あーやっぱりあのキモメイド、あのときの汎用人工知能だったんだ」
―― つづく ――