――東京・神田神保町 純喫茶スプートニク
今日は朝から雨が降り続いている。みんなは、こんな日は「鬱々する」と言う。しかし俺は、雨がアスファルトを叩く音が好きだ。
この間の横浜の件は、ひとまず沈静化したようだが、まだ安心は出来ない。例の「汎用人工知能」がどこまで組み込まれているのか、また勝手に他のシステムに介入して書き換えもしている可能性もある……。
そんな事もあり、あれからずっと店に泊まり込んで、ナギちゃんを停止させてソースコードを頭からじっくり読んでいる。
自宅は茨城の土浦にある古い農家だ。両親から相続してそのまま住んでいるが、普段は殆どこの店にいる。自宅に帰っても寝るだけだからな。何より神保町から電車で軽く二時間かかるのだから、帰るのが面倒くさい。
この店、「純喫茶スプートニク」は、立地はいいハズなのだけれど客なんて滅多に来ない。やはり純喫茶よりチェーン店のメニューな豊富なところが人気のようだ。
土日は神保町古本屋街で買った戦利品を、帰宅するまで我慢できないビブリオさんがコーヒー片手に読みふけっていたりする。静かな空間だからかコーヒー一杯で長居する客ばかりだ。いいけどな。気に入ってくれているのならまあいい。今日も制服の女子高生が端の席で文庫本を読みふけっている。
――カラン……カランカラン。
「篠原さん、こんにちわ! 来ちゃった……。うふふ。外は雨だけど、駅からすぐのこの場所は便利よね」
佐藤さんが来た。この間の横浜の件以来、ちょくちょく顔を出すようになった。新宿御苑前の会社からもそう遠くないし、営業のついでに寄るのに丁度良いんだろう。
「ああ、いらっしゃい。注文は?」
佐藤さんの明るい太陽ような笑顔とは違い、俺はいつもの無表情で挨拶をかえす。
客があまりいないのも、これが原因だとはわかっているが、あまり繁盛して忙しいのも嫌なのでまあ丁度いい。
「あっ、それじゃカプチーノ! シナモンは、いらないわ……。あっ、あと、チーズケーキももらおうかしら」
「はいよ……」
カウンターの、ど真ん中の席に座り、俺の目をまっすぐ見ながら微笑みを忘れない。完璧な営業仕草。ノートパソコンをひらきつつ話を始めた。
「……『とぅとと』さんの件、何か情報入ってます? 私も担当営業として部外者ではないのだけれど、警察は何も教えてくれないんですよぉ?」
「まあそうだろうな。……横浜のえみりーちゃんは、あのあと県警の刑事に色々聞かれていたらしいが、情報は一方通行のようだ。こっちからの話を聞くばかりで、何も開示してこないらしい……」
あの稲妻刑事なら、ちょっとつつけばペラペラ喋りそうだが、王刑事が静止しているんだろうなぁ……。
「うーん……、やっぱり生活苦なのかなあ?」
「俺が気になるのは、あいつがあの『らんらんマークタワー』の開発拠点にいたことなのだが」
「ああ、あの人は山之内さんの要請で『人工知能に詳しそうな人を紹介して欲しい』と言われて、私が現場に入れたんですよ。ほら! だって、彼も『戸澤製作所人工知能土浦研究所』で研究と実装試験していたじゃない?」
「……!」
そうだった! そういえば、あいつも土浦にいたんだった。……まあ、部署が違うから殆ど顔を見てなかったのだが……。
「いや、まてまて! それって……まさか! あの電機メーカーが開発していた全国市区町村システムに汎用人工知能を組み込んだヤツって……」
「ええ、彼ですよ」コーヒーカップを手にニッコリな佐藤さん。
「ぶーーーーーーーーっ!」
俺は容赦なく、コーヒーを吹いた。
「ちょっとぉ、私の顔にあっついのを、ぶっかけないでくださいよう、もぅ」
「だってお前……、それじゃあいつが、この騒動の張本人ジャネーノ?」
「うーん、そうなりますかねえ。あ、でも特におかしな事をしたという報告はないんですよ? だって……さすがにバックドアやらトロイの木馬やらを仕込んだら、開発チームの誰かが気が付くハズでしょう?」
「いやいや、前にも言ったけどさ、あの『汎用人工知能』は、一度実行したら最後、自立駆動して自分自身をどんどん書き換えて進化するんだぜ? そればかりか、接続できるポートをスキャンして片っ端から自分の分身を送り込んで、互いに連携して、演算能力をどんどん強化していくヤバいものなんだよ」
「へ、へぇ……」
「へぇ……じゃ、なーーーい! だーかーらー、あれほど忠告していたのにぃぃぃぃ」
これは相当やばい事になりそうだ。まったくITリテラシーがないわけではない佐藤さんでさえ、あの「汎用人工知能」のヤバさを分かってくれない。
……俺は、あのフロアで感じた嫌な予感を思い出した。
あそこの連中に、百戦錬磨の「とぅとと」が仕込む、キッつい細工を見抜けるだろうか。そういや、「とぅとと」は、ヤツ一人だけ、離れ小島なスペースで作業をしていたっけか。あと、あの現場に漂う「おじさん排斥の空気」。誰も「とぅとと」がやっていたことに関心がなかったんじゃないか?
唯一、システムに汎用人工知能を導入しようと、決定していた山之内くらいじゃないか? 知っていたのは。ただ、あいつ中身については完全に人任せっぽいからなぁ。中で何が起きているなんて知る由もないか。
「……あれのヤバさはヤツも嫌と言うほど体験していたのに、なんでまた自治体のシステムに組み込んじゃうかなぁ……」
「しっかし、『とぅとと』さんの所属会社を探すの大変だったんですよお。結局本人を捕まえて直接話をして所属会社に連絡してもらったんですからね」
「ああ……そういや、あいつ佐藤さんところの直契約じゃないんだっけか?」
「……ええ、『とぅとと』さんに、彼の所属会社の営業の人に、連絡をしてもらって……最終的に間に五社入って、やっとうちまで降りてきた、と……」
空いた口が塞がらない。一体どうなってるんだ、近頃の業界は。いや、昔からか。どいつもこいつも「とぅとと」の人の良さというか弱みに漬け込んで汁を吸いやがって。
恨みか? ヤツは復讐のつもりで、汎用人工知能を利用したのか? しかし、死んでしまっては意味がないじゃないか……。
―― つづく ――