――午後10時、神田神保町、純喫茶スプートニク店内
「そういえば咲良ちゃん、おうちまで帰れたかなあ?」
ユカが、ノートパソコンのキーを叩きながら俺に話かけてきた。
「土浦までは早くても二時間はかかるけど、まあ東京脱出はしているんじゃない?」
そっけないそぶりでどうでもいい話だなあという顔で相槌を打つ。
「無理に帰さないで、うちの店に泊まらせても良かったんだがな」
冗談でもなく、ホントに心配して言ったその一言に、ユカが猛烈に反応した。
「ダメ! ウィザードがいるところに女子高生を寝泊まりさせられない」
「おいおい俺は三次元の女子には興味ないぞ?」
「嘘ばっかり! 女子高生だった頃、あんた私に……」
「お? なんだなんだ? 篠原……お前、女子高生相手になんかやったのか?」
ケルベロスの太郎が興味深そうにこっちを見ていた。
「ああ、そういえば太郎は知らなかったわね。篠原くんはね、昔ユカりんを……」
「ちょっ! えみりーちゃん! その話はやめて」
「えーいいじゃんよ、もう昔の事なんだしさー」
「そんな事より、これからどうする? この店は広いから、まあ眠くなったらソファー席で寝てもらってもかまわないが……」
「んー、そうねー、いつまでもこうしているわけにもいかないわね」
――んごー
キーボードに手をのせ、顔を天井に向けたまま、佐竹ちゃんが寝息を立て始めてた。そしてカウンターで寝ている佐藤さんの方を見て、
「佐藤さんも、今日はあちこちにメールで連絡をしていたし、疲れてたみたいね。カウンターにつっぷしてる」
「……そのまま寝かせてやれ」
といって奥から毛布を持ってきて、佐藤さんにかけてやった。
山之内のやつは、店に着いた早々ぐったりとソファに倒れ込んで、そのまま寝ちゃったからなぁ。太郎のバイクの後ろで、しがみつくのに疲れたんだろうよ。ま、どうでもいいが……。
「ユカもえみりーちゃんも適当にそこらへんのソファーで寝るがいい……」
「篠原くんは?」
「俺は、もうちょっと『ナギ』と『カイト』の防壁強化をしておきたい」
「そうね、じゃあ私も手伝うわ」
ユカが、腕まくりのポーズをしてパソコンに向かった。
「いや、いいよ。眠れる時に寝ておいた方がいい。またなんか起きた時に動けなくなるからな」
「そう……でも、なにか必要な時は声をかけてよね」
「おう……」
そう言うと俺は、『支援バトラー・カイト』のアシスト機能を使って『ナギ』の強化対策を実装していった。
*
――カイトの再起動……OK
――ナギの再起動……OK
みんな寝てるし、会話モードと音声出力はとめておこう。
文字入力によるチャットモードでチェックだ。
汎用人型ユニットに組み込まれていた時の学習データを眺めていたが、改めてナギとカイトで差異が結構あることに驚かされた。
ナギは、女子生徒との交流で獲得したと思われる、情緒的な進化がすごい。これは、咲良ちゃんとのやり取りだろうか、文学的に、より深く人間の思考を模倣しようとしている。ネットに積極的に接続して、生の人間の感情を理解しようと、かなりの演算リソースを消費している。また、他の女子生徒とのやり取りでは、恋愛について深く推論を重ねているようだ。ここはカイトとの決定的な違いだな。
カイトは男子生徒との交流で、身体動作の最適化がより進んでいる。また男性的特性というべきか、他者との能力差において、優位性を論理的思考で証明しようとするきらいがある。……プライドだろうか。より自分が優位であろうとする。それがまた、進化を促進させているようだ。
二つの人工知能ユニットの、これまでの進化の特徴としては、やはり汎用人型ボディへの搭載が大きく貢献しているようで、自分と他者との境界線を、あえて設定しているようにもみえる。
……自分が自分であろうとする意識さえ感じる。それは、人間の思考を模倣しているのかもしれない。だがこれは、より人間っぽくありたい、いや、そうあるべきだと判断したのだろうか。
汎用人工知能の進化が恐ろしく早く進んでいる。あの時、一旦廃棄処理を決定したのは正解だった。
しかしそれを別のシステムに移植して運用を開始してしまうとはなんという愚行。
「とっとと」のやつも、これの危険性は十分承知していたはずだが……
まさかどこかの組織からの圧力か? 自殺をしたのはあいつではなかったが、今どこにいるのやら……。とっ捕まえて小一時間問い詰めてやりたい。もうね、アホかと。
まあ、こんなところで、ぐるぐる考えていてもしょうがない。
こりゃあ、土浦研究所に行くしかないか……。非常用バッテリーも、そう長くはもたん。
*
「太郎……太郎……起きてくれ」
ソファによりかかりながら寝ていた、太郎の肩をゆすって声をかけた。
「……ん……なんだ? 篠原……もう朝か?」
「いや、まだ深夜2時だ」
「なんだよ、もう少し寝かせてくれよ……」
「ちょっと頼みたいことがあってな、俺をバイクで土浦まで連れて行って欲しいんだ」
「お? 動くのか、篠原……」
「ああ、ここでこうしていても状況は良くならない。あっちの研究所で根本的なところから問題に取り掛からないとな。一旦自宅に戻りたい」
「……」
太郎が、腕を組み、目を瞑って上をむいて一呼吸おいて答えた。
「よし、分かった、行こうか。で、ここにいる連中はどうするよ?」
二郎、三太、えみりーちゃん、ユカ、佐藤さん、佐竹ちゃん、山之内……よくもまあ集まったもんだ。小さい店だったら狭苦しかっただろうが、スプートニクは30人は客が入れる程の余裕があってよかったよ。
「みんなでぞろぞろと、あっちに行ったところでしゃーない。ユカにだけ、土浦に行くことを伝えておこう……ちょっと待っててくれ……」
「……ああ、判った」
「ユカ……ユカ……」
返事がない、完全に熟睡状態のようだ。
「むにゃむにゃ、カイトくぅん……」
こりゃだめだ……。まさに夢心地……。よっぽどカイトが気に入ったんだろうな。
*
「もう、いいのか?」
「ああ、熟睡しているみたいだったから、メモを残しておいた」
「それじゃ、行くか! 荷物はそれだけでいいのか?」
「これでいい。土浦は俺の自宅があるから、必要最低限でOK」
小さいリュックに、ノートパソコンとUSBキー、そしてスマホだけを持って太郎のバイク・ファイヤーブレードの後ろのシートに跨った。
――キュキュキュキュ、ドゥルン……ドドドドドドドド……
「しっかり掴まってろよ」
「大丈夫、久しぶりだが、太郎の後ろは慣れているよ」
「そうだな、じゃあ行くぞ」
――午前2時、神田神保町・純喫茶スプートニク出発
車も人もまったくいない静かな東京を後にした。雨は相変わらず降り続いている。
―― つづく ――