ラダニアン王国の喧騒の中にひっそりと佇む喫茶店「雪の庭」。今日ものんびりとした午後が訪れ、雪乃はカウンターの奥で紅茶を飲みながらくつろいでいた。
「やっぱりこの静かな時間が一番ね……。」
サイフォンで淹れたばかりのコーヒーの香りが漂う店内。忍は注文を運び、弥生は厨房でスイーツを仕込んでいる。雪乃は一切働く気配もなく、優雅にカップを傾けているだけだった。
そんな平和な時間を壊すかのように、扉が勢いよく開いた。郵便屋が大きな声で挨拶すると、分厚い封筒を雪乃に手渡した。
「雪の庭宛の特別な依頼だそうです。」
忍が雪乃の前に封筒を置くと、彼女は興味深そうにそれを手に取った。封蝋には見慣れた紋章が刻まれている。
「貴族の紋章ね……なんだか面倒そうな予感しかしないわ。」
雪乃はそう呟きながら封を切った。中から出てきたのは上品な筆跡で書かれた手紙だった。
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手紙の内容
手紙にはこう書かれていた。
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> 喫茶店「雪の庭」店主様
私は王都のフォレスト男爵家のクレア・フォレストと申します。
貴店の評判を耳にし、一度訪れたいと思っておりましたが、この度特別なお願いをしたく筆を執りました。
数日後に、私どもの友人たちと10名程度でお茶会を開きたいと考えております。
貴店を貸切にさせていただけませんでしょうか。スイーツは貴店で評判の「雪の庭特製プリン」と、新作のスイーツを一品ご用意いただけると幸いです。
日程は追って調整いたします。どうぞご検討くださいませ。
クレア・フォレスト
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手紙を読み終えると、雪乃はしばらく黙ったまま紅茶を一口飲んだ。
忍が心配そうに声をかける。
「お嬢様、これは断る方向で考えられますか?」
雪乃はカップを置き、わずかに口元を歪めて笑った。
「いいえ、貸切なら営業よりも楽そうじゃない? 10人くらいなら3時間で終わるんでしょ?」
「お嬢様、貴族相手が簡単に済むと思いますか?」
弥生が慎重に言葉を選びながら口を挟む。彼女は手紙の内容を聞きながら、明らかに不安そうな顔をしている。
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雪乃の決断
「いいえ、問題ないわ。特製プリンもあるし、新作スイーツを1品追加するだけでしょ?」
雪乃は軽い口調で話すが、弥生はさらに不安を募らせた。
「お嬢様、王女気分を思い出して貴族たちを見下した態度を取らないでくださいね。」
「失礼ね。王女の頃だって、誰に対しても見下した態度なんて取った覚えはないわよ。」
「お嬢様、それは……紅茶の温度を指摘してメイドを泣かせたことがありませんでしたっけ?」
忍が口を挟むと、雪乃は眉をひそめる。
「それは正当なクレームよ!」
「……お嬢様、その発言がすでに危険です。」
弥生と忍が同時にため息をつきながら雪乃を見る。雪乃は気にする様子もなく、再び紅茶を飲んだ。
「決まりね。新作スイーツも考えましょう。弥生、何かいい案はある?」
「そうですね……見た目が華やかで貴族の方々に喜ばれそうなものがいいかと。例えば、エクレアなんていかがでしょう?」
「エクレア……? あの細長いお菓子ね。いいじゃない。」
雪乃はすぐに気に入り、手を叩いて同意した。
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弥生と忍の懸念
弥生は少し不安げに尋ねる。
「お嬢様、本当に大丈夫ですか? 失礼ながら、貴族の方々の期待に応えるのは簡単ではないと思います。」
「大丈夫よ。だって私は優雅な店主を演じるんだから。」
雪乃は自信満々に答えたが、弥生と忍はまたしても顔を見合わせた。
「演じる……だけで済めばいいのですが。」
忍が小声で呟き、弥生が微笑む。
「では、新作スイーツの準備を始めますね。」
弥生は厨房へと向かい、早速エクレアの試作に取り掛かることにした。
雪乃は相変わらずカウンターに座り、紅茶を飲みながら言った。
「これが成功したら、貴族たちの評判がさらに上がるかもしれないわね。」
「お嬢様、それ以上お客様が増えたらどうするんです?」
忍が冷静に問いかけると、雪乃は軽く肩をすくめた。
「その時はその時よ。」
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こうして、貴族のお茶会貸切の依頼が正式に受け入れられ、新作スイーツ「雪の庭特製エクレア」の準備が始まった。次に待ち受けるのは、貴族たちの要望や予想外のトラブル、そして求婚という波乱の展開――。雪乃の静かな午後は、またしても遠のきそうだった。