廊下にて
壱姫は廊下の中央で足を止め、近づいてくるアレックス王子をじっと見据えた。その瞳には冷たさと威厳が宿り、彼の言葉を待っていた。
「壱姫殿下、よいところでお会いできました。少しお話を伺いたく、お許しいただけますか?」
アレックス王子は一礼し、慎重な声で言った。
壱姫は軽くため息をつき、面倒くさそうに答えた。
「手短に頼むぞ。妾はこれから雪乃の店で茶を飲む予定だ。」
「ご多忙中、恐縮でございます。まずは先日の奴隷問題でのご助力に、心より感謝を申し上げます。」
王子の言葉には礼節が込められていたが、壱姫はそれを一蹴するように手を振った。
「出かけるところだと言ったはずだ。そのような前置きはどうでもよい。用件だけを話せ。」
王子の提案
アレックス王子は一瞬ためらいを見せたが、意を決して口を開いた。
「両国のさらなる関係を深めるため、雪乃……雪姫殿下との婚約を検討いただけないでしょうか?」
その瞬間、壱姫の片方の眉がピクリと動いた。廊下に緊張感が走り、空気が張り詰める。
「確か、アレックス殿下とか言われたかな?」
「はい、その通りです。」
壱姫はゆっくりと王子の顔を見据え、冷たい笑みを浮かべた。
「妾はな、大切な妹たちを、誰一人として、政治の道具にしようとは思わぬ。政略結婚など、要は奴隷と変わらんではないか。」
その言葉は冷たく鋭く、王子の胸に突き刺さるようだった。
壱姫の一喝
アレックス王子は動揺を隠せず、言葉を詰まらせた。
「そんな……それは……」
壱姫は構わず畳みかけるように話を続けた。
「人の意思を無視し、国の都合で結びつけようとする行為に、自由の何がある? それは、相手の人生を奪い、理不尽に縛り付けるだけの行いだ。」
彼女の厳然たる一言に、王子は言葉を失い、その場に立ち尽くした。
「妾にとって、妹たちは大切な家族であり、かけがえのない存在だ。彼女たちが誰とどのように人生を歩むかは、彼女たち自身が決めるべきことだ。いかなる理由があろうと、妾はその自由を奪わせぬ。」
壱姫の別れの言葉
壱姫はアレックス王子を一瞥し、きっぱりと締めくくった。
「では、話はこれまでだ。妾には雪乃の淹れた茶を楽しむ方が、はるかに価値がある。」
そう言うと壱姫は背を向け、その場を立ち去った。廊下には彼女の足音だけが響き、王子はただその場に取り残された。
アレックスの内省
静寂に包まれた廊下で、アレックス王子は呆然と立ち尽くしていた。壱姫の厳然たる言葉が、彼の心を深く揺さぶっていた。
「政略結婚は、奴隷と一緒……。」
彼は拳を握りしめ、悔恨の思いが胸に沸き上がるのを感じた。
「私は、王子という立場で、雪乃さんとの婚約を考えていたにすぎないのかも……。」
その言葉は、彼自身に向けた痛烈な自己批判でもあった。
自問自答
「本当に雪乃さんを想っていたのか? それとも、壱姫殿下の言う通り、国のため、立場のために婚約を考えていただけなのか……。」
アレックスは胸の内で問いかけながら、壱姫と雪乃の姿を思い浮かべた。壱姫の毅然とした態度、そして雪乃の穏やかな笑顔――その対比が彼の中で鮮烈に浮かび上がる。
自由の意味
壱姫の言葉は、彼に「自由」とは何かを考えさせた。
「壱姫殿下があれほどまでに妹たちの自由を守ろうとするのは、それがどれほど大切なものか知っているからだ……。」
彼は雪乃が今いる「雪の庭」という自由な空間の中で輝いていることを思い出した。もし自分がその自由を奪うような存在になるなら――それは雪乃にとって、どれほどの苦痛になるだろうか。
アレックスの覚悟
廊下を歩きながら、アレックスは自分の内なる声と向き合っていた。
「壱姫殿下が言われた通りだ……私は、彼女を思って婚約を申し出たのではない。ジパングの姫君として、その立場を見ていただけだ……。」
彼は立ち止まり、静かに顔を上げる。
「だが……考えれば考えるほど、あの人の顔ばかり浮かんでくる。」
その顔は、雪乃ではなく、ある人物だった。彼女の事が彼の心を掴んで離さなかった。
「これこそ真実の愛というやつなのかもしれない……。」
決意を胸に、アレックスは足を速めた。雪の庭へと向かう。
新たな行動
その姿は、迷いを振り切った男の決意そのものだった。壱姫の言葉が、彼の中で眠っていた本当の自分を呼び覚ましていた――。