「雪姉様、大丈夫。」
月がにっこりと微笑みながら提案する。
「片方のお店は、私が仕切ります。」
「営業時間をそれぞれ1時間に…」
月は雪乃の発言に一瞬固まり、そして呆れた表情を浮かべる。
「1時間って……お客さんが入ったと思ったらもう閉店じゃない!そんな無理なこと、どうやって回すのよ!」
月は悪びれずに肩をすくめる。
「ほら、転移門があるから簡単に移動できるし、お客さんにも特別感を演出できるじゃないですか。『営業時間が短い幻のカフェ』っていう設定で話題性を狙って……。」
「そんな話題性いらないわ!カフェは落ち着いて過ごしてもらう場所なのよ、1時間じゃお茶もまともに飲めない!雪姉様の方針にも沿わない」
雪乃は月の軽妙な提案をきっぱりと却下した。
「でも雪姉様、転移門のおかげで移動の手間がないんですから、2店舗運営も意外といけるかもしれませんよ。」
月は笑顔で続けるが、雪乃の頭の中ではすでに頭痛の予感がしていた。
「月、あなたね……そんな簡単に言わないでよ。お店の準備や運営ってそんなに甘いものじゃないのよ……。」
雪乃は鋭く突っ込むが、月はどこ吹く風。
「私もスイーツの新作を考えますから!ジパング限定メニューとか、ラルベニア限定メニューとか、地域ごとに特色を出せばお客さんがさらに喜びますよ!」
雪乃は思わずため息をつきながら言った。
「月、あなたのやる気はすごいけど、私はただ静かにカフェをやりたいだけなの……。余計な負担は増やさないで……。」
月は明るく笑いながら答えた。
「大丈夫!雪姉様が考え込む暇もないくらい、私が盛り上げますから!」
「もうやめて……私の気力が尽きそう……。」
雪乃は力なく呟き、転移門をじっと見つめた。どこにでも行けるドアがあるというのに、雪乃はどこにも逃げられない気がしていた。
「もともと、そんな面倒なこと、忍ちゃんや弥生ちゃんに任せていて、雪姉様はお茶を飲んでただけですのね?」
月の一言に、雪乃はカウンターでティーカップを置く手を止めた。
「……ちょっと待って、月。私が何もしてないみたいに言わないでくれる?」
「だって事実でしょ?お店の管理も仕入れも、忍ちゃんや弥生ちゃんに任せて、雪姉様はお客さんとおしゃべりしながらお茶を飲むだけじゃないですか。」
月が悪戯っぽく笑いながら言うと、雪乃は顔を真っ赤にして反論する。
「それが大事なのよ!お店の雰囲気を作るのも、店主の仕事なの!」
「ふーん、雰囲気作りねぇ。でも結局、現場の運営は他の人に丸投げしてたわけでしょ?」
「そ、そんなことないわ!ちゃんと指示はしてるし、試食だってしてるし、レシピの最終確認だって……!」
雪乃の必死の言い訳に、月はさらに笑いを堪えきれない様子で続ける。
「はいはい、雪姉様が『お茶を飲む』のもお仕事の一環ってことですよね?」
「そうよ!お客様がくつろげる空間を作るには、私自身がリラックスしてないとダメなの!」
「なるほど、それが『お茶を飲むことがお仕事』の理論ですね。」
月の皮肉っぽい言い方に、雪乃はぐっと言葉に詰まりながらも、小さな声で反論する。
「……何か問題でも?」
月は肩をすくめて笑いながら言った。
「いいえ、雪姉様。そういうの、全然嫌いじゃないです。」
その場にいた全員がくすくすと笑い出し、雪乃はますます赤面しながら、ティーカップを持ち直して小声で呟いた。
「……ほんとにもう、月ったら……。」
「ラルベニア側をクラリスちゃんとシモーヌちゃん、ジパング側を忍ちゃんと弥生ちゃんに任せて、統括は私がやります。雪姉様は今までどおり、お茶を飲んでいてくれればいいんです。2店営業、いけます!」
月がキラキラした目で断言すると、雪乃は手にしていたティーカップを置いて、深いため息をついた。
「……私、そんなに信用されてない?」
「むしろ、信用してるからです。雪姉様はお客様とおしゃべりして、優雅にお茶を飲んでるだけで、お店の雰囲気が整うんですから。」
「月……それって褒めてるの?皮肉なの?」
雪乃はジト目で月を見つめるが、月は全く気にした様子もなく笑顔で返す。
「もちろん、褒めてますよ。雪姉様は、このお店の看板みたいなものです。お客様が求めてるのは、雪姉様が作るこの空間なんです。」
「それにしても……2店舗って、簡単に言うけど、そんなにうまくいくかしら。」
雪乃の不安げな声に、月は自信満々に答えた。
「大丈夫です!私は完璧にやりますから。雪姉様は、私のことを信じてくれるだけでいいんです!」
「……月がそこまで言うなら、考えてみるけど……本当に大丈夫?」
「大丈夫です!もし何か問題が起きたら、その時は私が全部なんとかします!」
月の勢いに押され、雪乃はしぶしぶ頷いたが、心の中ではまだ少しだけ不安が残っていた。
「……本当に大丈夫なのかしら……。」
一方で、月はすでに計画を練るモードに入っていて、メモ帳を取り出して何やら書き込み始めていた。
「これでジパング側の営業も完璧ですね!雪姉様、期待しててください!」
「……月、あなたが期待させすぎてるのよ。」
雪乃の小さな呟きは、忙しそうに動き回る月には届かなかったようだった。
「場合によっては、人材を補充すれば……夜ちゃんと花が入れば、もう完璧に回りますよ!」
月が自信満々に言うと、雪乃は呆れたような顔をした。
「ちょっと待って。花はともかく、夜ちゃんまで巻き込むの?しかも夜ちゃんって、そもそも魔道具なのよ?」
「それが何か問題でも?」月はキョトンとした顔で雪乃を見た。
「問題しかないわよ!夜ちゃんが普通のお客様相手にお茶を出したり接客したりするなんて……ううん、それはそれで見てみたいけど……なんか色々と心配になるのよ。」
「大丈夫ですよ!夜ちゃんは雪姉様のところで接客もしてたじゃないですか。完璧な動きでお客様を魅了してたし、むしろ夜ちゃんが入るとクオリティが上がります!」
「いや、それは確かにそうだったけど……花が入ったらどうなるのよ?また何かとんでもないものを作り出して、お店を混乱させるんじゃない?」
雪乃の言葉に月は少しだけ考える素振りを見せたが、すぐに肩をすくめて笑った。
「それも含めて面白いと思いますよ!花が開発した最新魔道具を導入すれば、効率も上がるし、お客様にも楽しんでもらえるはずです!」
「効率が上がるどころか、騒ぎになりそうな気しかしないんだけど……。」
雪乃はため息をつきながらティーカップを持ち上げ、一口飲んだ。そして、テーブルに視線を落としながら静かに言った。
「……私、平和にお茶が飲める日々が遠のいていく気しかしないわ。」
そんな雪乃の言葉をよそに、月はさらなる計画を練るため、意気揚々とメモ帳に何かを書き続けていた。
「雪姉様、大丈夫です!これでどちらのお店も大成功間違いなしですから!」
「……本当に大丈夫かしら……。」
雪乃の小さな不安の呟きは、月の高揚した声にかき消されていった。
「そうよね、花はもう壱姉様の側について、壱姉様の次の無茶な計画に巻き込まれる未来しか見えないわ……」雪乃がため息をつきながら言うと、月が続けた。
「では、夢は?彼女なら、何でもできるし、頼れるんじゃない?」
「夢が喫茶店なんてやると思う?あの子、ああ見て気位が高いから、お茶なんてメイドがやることと思ってる」
雪乃の現実的な指摘に、月は一瞬言葉に詰まったが、すぐに別の案を思いついたように顔を上げた。
「じゃあ、ヴィクトリアに手伝ってもらうのはどう?彼女は優秀だし、誰からも信頼されてるじゃない。」
その提案に雪乃は首を振りながら苦笑した。
「月……あなた、ヴィクトリアに手伝わせたら、逆に仕事させてもらえなくなるわよ。あの子、何でも1人でやっちゃうし、『姫様が労働なんてありえません』って絶対言うわ。前もそうだったでしょう?」
「そ、そんな……」月はショックを受けたように目を丸くし、少し落ち込んだ声で呟いた。
「そうよ。ヴィクトリアが店に入ったら、私たちはただ座っているだけになるの。彼女の完璧さには誰も勝てないんだから。」
「うう……ヴィクトリアが最適解かと思ったのに……」月は肩を落としながらテーブルに突っ伏した。
「結局、自分たちで頑張るしかないのよ。まあ、忍ちゃんや弥生ちゃんがいてくれるから、そこは安心だけどね。」
「……そうだね、でも……雪姉様、あなたもちゃんと働いてくださいよ?」月がふと顔を上げて、じっと雪乃を見つめた。
「ええ、分かってるわよ。でも私は、管理職としてお茶を飲みながら見守るのが主な役目だから。」
「そんな管理職、聞いたことない!」月のツッコミが部屋中に響き渡り、2人はつい笑い合ってしまった。