ジパング王都の石畳を、雪乃は静かに歩いていた。
朝よりいくつもの物件を見て回ったが、なかなか「理想の喫茶店」に出会えず、彼女の表情には少しばかり疲労の色が見えていた。
そんな中、ふと目に留まった一軒の物件。
小ぢんまりとしたレンガ造りの外観に、控えめな木の扉と大きな窓。通りから差し込む光が、店内を優しく照らしているのが見て取れた。
「……ここ、いいかもしれないわ」
足を止め、店先に立った雪乃は腕を組み、真剣な表情で外観を見上げる。
「広すぎず、狭すぎず。日当たりも悪くないし、客の流れも悪くない……。雰囲気も落ち着いてる……」
掲げられた看板にふと目をやると、そこには堂々たる文字が並んでいた。
《王城まで徒歩五分》
その瞬間――雪乃の表情が、ピクリと引きつった。
「……王城、徒歩五分……」
口元を引きつらせながら視線を逸らし、雪乃はそっとため息をついた。
「……ここを選んだら、毎日、壱姉様が来る可能性が跳ね上がるじゃないの……」
頭の中に浮かんだのは、優雅な笑みを浮かべながら、満面の幸福を携えて紅茶を啜るあの姉の姿。
それだけならまだしも、その隣には山のように積まれたスイーツの皿――そして忙しなく動き回るスタッフたちの姿まで、ありありと想像できてしまった。
「ごきげんよう、雪乃。今日もあの『アールグレイに合う苺のタルト』をいただけるかしら?」
などと壱姫に笑顔で言われた日には、断れるはずがない。
「ううっ……忙殺される未来が、もう見える……」
思わず額に手を当てた雪乃だったが、次に浮かんだのは、昨日、
『不動産屋を紹介してやろうか? この王都じゃ、それなりに顔が利くんだぞ』
……そう。思い返してみれば、夕霧はやけにニコニコしていた。
まるで何かを見越していたかのように。
「ま、まさか……あれも伏線だったっていうの……?」
胸の奥で芽生える不穏な疑念。師匠の策略だったのかもしれない、という可能性が、じわじわと雪乃の思考を浸食していく。
「くっ……! 私の平穏な日常が、こうしてまた壊されようとしている……!」
カラスがカァと一声鳴きながら頭上を通り過ぎていくなか、雪乃は静かに呟いた。
「……これは一度、仕切り直したほうがいいかもしれないわね」
王城至近というこの完璧すぎる物件を前に、雪乃の心は、**『理想』と『現実(壱姉様)』**の間で激しく揺れていた。