ジパング王都、王城から徒歩五分の立地。
理想的な広さと落ち着いた雰囲気、客の流れも申し分なし。――けれど、雪乃にとっては、どうしても決断できない“致命的な一点”があった。
「やっぱり……壱姉様が毎日通ってきちゃうじゃない……!」
店舗前の街路樹の下、雪乃は深いため息をつきながら物件を見上げた。
想像してしまうのだ――壱姫が笑顔で紅茶を飲みながら、スイーツを片っ端から注文していく姿を。
「スタッフの数、足りるかしら……いや、それ以前に私の気力が保つかどうか……」
そんなある日、雪乃が《夕影》で師匠の夕霧とぼやいていると、扉が開いて現れたのは――
「壱姉様……!?」
女王壱姫、その人だった。
光を受けてきらめく髪をなびかせながら、女王はいつもの威厳ある笑みを浮かべて、堂々と告げた。
「妾は聞いたぞ。お前、あの物件に迷っているそうではないか?」
「そ、そうですけど……」
雪乃が戸惑いながら言葉を濁すと、壱姫はあっさりと宣言した。
「ならば妾が購入資金を出す。そこに決めるが良い。」
「…………へ?」
一瞬、時が止まった。
「な、なにを急に……!? 勝手に決めないでください!」
慌てて反論する雪乃だったが、壱姫の言葉は止まらない。
「妾の妹が、妾の都で店を持つ――これ以上に誇らしいことがあろうか? 妾が応援するのは当然のことであろう?」
「いや、その、ありがたいんですけど……!」
「ならば決まりだ。手続きはヴィクトリアに任せてある。お前は安心して店を準備するがよい。」
「いやいやいやいや! ちょっと待ってってば……!」
もはや反論など、微風のように吹き飛ばされる。壱姫の威圧感は、雪乃にとって台風並みだ。
「……ああ、これ、もう断れないやつだ……」
カウンターでお茶を飲んでいた夕霧が、そっと視線を逸らしたのを、雪乃は見逃さなかった。
(もしかして……師匠、最初からこの展開を読んでたんじゃ……?)
疑念を抱きつつも、もはや後戻りはできなかった。
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数日後、契約が完了し、正式にその物件が「雪乃の店」になる。
新しい鍵を手に、雪乃はひとり店舗の前に立ち、深く息を吸い込んだ。
「……本当に、ここでやっていけるのかしら……」
戸惑いを滲ませながら呟いたその背後――どこからともなく、あの声が降ってきた。
「よいではないか! 妾が毎日通って、売上に貢献してやろう!」
振り返れば、満面の笑みを浮かべた壱姫が立っていた。
「いや、壱姉様、売上よりも私の体力が心配なんですけど……」
「なにを言うか。妾は妹を応援しておるのだ。……む、そうだ、試作品ができたら真っ先に試食させるが良い!」
「えええ……それ、正式オープン前から始まるやつですよね……」
頭を抱える雪乃。しかしその顔には、不思議と笑みが浮かんでいた。
――こうして、ジパング王都にて、雪乃の新たな物語が始まる。
たとえ壱姉様の“ご愛顧”に押し潰されそうでも、今日も雪乃は、おいしいお茶とお菓子で誰かを迎えるだろう。