花の研究棟 ― 予想外の規模と人だかり
研究棟のエントランスに足を踏み入れた瞬間、雪乃と月は 目を見張った。
そこには、各部署の幹部たちが順番待ちをしていた。
警察機構の高官、軍の首脳部、貴族院の関係者らしき人物——
まるで官公庁の受付のような光景が広がっている。
その中央には、忙しそうに対応する 二人の受付嬢。
「……お役所か、どこかの会社の受付みたいね。」
月が小さく呟く。
列に並んでいた幹部たちも 雪乃と月の姿を見つけると、一斉に頭を下げた。
「これは、これは、姫様方……。」
「お疲れ様です。」
二人は適当に手を振って 挨拶をスルー しながら、受付に近づいた。
「花に会いたいんだけど。」
「これは、雪姫様、月姫様。花姫様は、現在 第三ラボ にいらっしゃいます。ご案内いたします。」
受付嬢の一人がスッとその場を離れ、二人を先導する。
増え続けるラボの数
歩きながら、月は何気なく尋ねた。
「ねえ、第三ラボって言ったけど、そんなにラボがあるの?」
「はい、月姫様。現在 全部で二十箇所 ございます。」
「……二十?」
月は思わず足を止めた。
「以前は、一箇所で作業を行っていましたが、助手やスタッフの数が増え、プロジェクトの数も増え続けたため、研究棟内に新たなラボを設ける必要がありました。」
受付嬢はさらりと説明する。
「……つまり、花は今 二十個もの研究チームを抱えてる ってこと?」
「いえ、花姫様 ご自身だけで進めているプロジェクト もございますので、実際にいくつの研究を抱えているのか、私どもも把握できておりません。」
「……。」
雪乃と月は無言で顔を見合わせた。
「ちょっと待って、花のやつ、忙しいとか言いながら これ全部同時進行でやってるってこと!?」
「……普通、無理じゃない?」
「だから、ほぼ 王宮の住人と化してる のか。」
雪乃は溜め息をつきながらも、花の働きぶりに 呆れと尊敬 の入り混じった表情を浮かべた。
(さすがにこれは……過労で倒れない?)
その心配を胸に秘めつつ、二人は 第三ラボ へと向かうのだった——。
第三ラボ ― 王都の未来と花の情熱
雪乃と月が第三ラボへ足を踏み入れると、そこには活気に満ちた研究風景が広がっていた。
部屋の真ん中には、先ほど乗ってきた魔道車と同じような車両が設置されている。
ただし、外装がない状態で内部構造が丸見えになっていた。
壁には王都の巨大な地図が貼られ、道路には無数のラインが引かれている。
スタッフたちは、その地図を囲んで熱心に議論を交わしていた。
「雪姉様、月姉様!いらっしゃい。」
忙しそうにしていた花が、二人を見つけると手を振りながら近寄ってくる。
「どうしたの?」
「様子を見に来たのだけど……ここでは何をやってるの?」
月が部屋を見回しながら問いかけると、花はニコリと笑い、指をさした。
「ここに来るのに魔道車に乗ったでしょ?」
「ええ、それが?」
「王宮内での試験走行で十分なデータが集まったから、次は王都内で路線魔道車を走らせる計画を進めていたの。」
「え?」
雪乃と月は思わず顔を見合わせる。
「ここはもうすぐ私の手を離れるの。」
花はあっさりとそう言った。
二人の頭の中に、移動中に交わしていた会話がよぎる。
『これ、もし王都内で走らせたら、便利になりそうよね。』
『でも、それを実用化するには、王宮内だけじゃなく、もっと広範囲のデータが必要じゃない?』
まさにその話をしていたばかりなのに、ここではすでに実用化に向けた計画が進んでいたのだ。
「……私たちの考えることなんて、もうすでに花は考えていたわけか……。」
雪乃が思わずため息をつく。
「なに?」
花が不思議そうに首を傾げる。
「花、あなた、疲れてない?本当に大丈夫?」
雪乃は心配そうに花を見つめる。
この研究棟の規模、二十を超えるラボ、さらに彼女が王宮の住人と化している事実——
どれもこれも、過労で倒れてしまいそうな要素ばかりだ。
しかし、花はキョトンとした顔をし、次の瞬間、楽しそうに笑った。
「え?楽しいことをしてるときは、疲れないものだよ。」
その言葉に、雪乃と月は絶句した。
(……もう、どうしたらいいの、この子。)
呆れながらも、どこか納得してしまう二人だった——。
花のプライベートエリア ― 完璧な自己管理
「わたしのことを心配してきてくれたの?」
花が微笑みながら問いかける。
「当たり前でしょ!」
雪乃は少しむくれたように言い、月も同意するように頷いた。
「だって、あんた絶対無茶してるもん!」
「大丈夫だよ。ほら、こっち来てみて。」
花は二人を連れて、ラボの奥にあるプライベートエリアへと案内する。
雪乃と月は、花の「自室」とされる空間に足を踏み入れた。
しかし、そこに広がっていたのは、まるでラボと変わらない光景だった。
部屋のあちこちにモニター類や端末が無数に設置されている。
作業デスクには、最新の魔道具やデータ分析ツールがずらりと並んでいた。
「……自室もラボも変わらないじゃない。」
月が呆れたように呟く。
「へへ、研究が趣味だからね。」
花は笑いながら、モニターの一つを操作する。
すると、画面が切り替わり、そこにはリアルタイムのデータが映し出された。
「ほら、これ。」
「……これは?」
雪乃と月が画面を覗き込むと、そこには心電図、血圧、呼吸数、体温などの生体データが表示されていた。
「リアルタイムで自分のバイタル管理をしてるの。自己管理は完璧だよ。異常があれば即座に警報が上がる仕組みになってるから。」
花は誇らしげに説明する。
「……この子、健康管理まで完璧だった。」
雪乃と月は、呆れるやら感心するやらで、ただ画面を見つめるしかなかった。
「だから、無理なんてしてないよ。むしろ、二人が心配しすぎ。」
花はニコリと微笑む。
「無理してないっていうのは、普通の人が言う言葉なのよ!?」
月が思わず叫ぶが、花はケロリとしている。
「でも、体調管理を徹底してるから、ちゃんと休息も取れてるんだよ?」
「……あんた、そもそも"休息"の基準がおかしいのよ!」
雪乃と月は、もはや呆れを通り越して、花の完璧すぎる自己管理能力にただ驚くばかりだった。
エピローグ ― 休息とは? ―
王都の一角、花の研究棟。
昼下がりの陽射しが窓から差し込み、机に並ぶ無数の魔道端末や設計図を照らしている。
雪乃は腕を組み、深いため息をついた。
「花、あなた、ちゃんと休息を取ってるの?」
「取ってるわよ?」
花は無邪気に微笑みながら、手元の設計図に視線を落とした。
「仕事に疲れたら、自分の研究をする。ストレス解消に、自分の好きなことをしてるの。」
「……それ、普通は休息とは言わないのよ!」
雪乃は思わず声を荒げた。
花は一瞬きょとんとした表情を浮かべた後、首を傾げる。
「そうなの?」
「そうよ!」
雪乃は苛立ち混じりに言い放つが、花の顔にはまるでピンときていない様子がありありと浮かんでいた。
(……この子、"休息"っていう概念、ちゃんと理解してるのかしら?)
雪乃は再びため息をつく。
花にとって、"休息"とは、ただ"好きなことをする時間"にすぎない。
仕事をしているときと、研究をしているときの違いは、彼女にとってはほとんどないのかもしれない。
だが、それは果たして"健全な休息"と言えるのだろうか。
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「じゃあ、花にとって"仕事"って何?」
雪乃が改めて問いかけると、花は目を輝かせた。
「人の役に立つこと。便利なものを作ること。未来の可能性を広げること!」
「……じゃあ、"研究"は?」
「楽しいこと!」
即答だった。
雪乃は片手で顔を覆い、苦笑する。
「……ダメだ、この子はもう根本的に違う……。」
「え? 雪姉様、何か言った?」
「ううん、何でもないわ。」
雪乃は椅子にもたれかかり、視線を天井へ向ける。
(まあ、本人が楽しんでるなら、それでいいのかもしれないけど……。)