ジパング王国、王宮――。
その日、王宮の一角にある応接間には、いつもと違う緊張感が漂っていた。
南蛮帝国からの特使が正式に訪れ、ある重大な報せを届けるためにやって来たのだ。
ジパング側からは、壱姫女王、第二王女・星姫、第四王女・風姫、そして当事者である第三王女・雪乃が揃っていた。
特使の到着を告げる声が響き、場が静まる。
「南蛮帝国より、皇帝陛下の特使がお見えです!」
扉が開かれると、南蛮帝国の格式ある礼服を纏った壮年の男性が静かに入室した。
その男は威厳に満ちた態度で、一礼すると壱姫の前に進み出る。
「ジパング王国女王陛下、はじめまして。南蛮帝国より派遣されました、ラファエル・ヴェルディ公爵と申します。」
「遠路はるばるご苦労であった。」
壱姫が軽く頷く。
ラファエル公爵は丁寧に頭を下げると、一枚の書状を取り出した。
「これは、陛下よりの親書でございます。」
壱姫が書状を受け取り、その場で封を切った。
王宮の重厚な雰囲気の中、緊張の面持ちで雪乃は姉の動きを見守る。
壱姫は書状に目を通し、すぐに内容を確認した後、ふっと小さく笑った。
「ふむ、なるほどな。」
その一言で、場の空気が和らぐ。
風姫と星姫も、書状を覗き込む。
「……陛下は、正式にこの婚約を受諾するとのことです。」
ラファエル公爵は、誇らしげに告げた。
雪乃は、一瞬息をのんだ。
――婚約が、正式に決まった。
それはつまり、自分のこれからの未来が大きく変わることを意味している。
嬉しいような、信じられないような、そして……
「こんな形で決まってしまってよいのか」
という戸惑いが、彼女の胸を占めた。
それを見ていた風姫が、微笑みながら雪乃に向き直った。
「いいのよ、雪姉様。利用できることは利用すべきですわ。」
「そんな、人ごとみたいに……」
雪乃は困惑しながら呟く。
「だって、これは好都合ですもの。」
風姫は肩をすくめる。
「そもそも、皇帝陛下が政略結婚を目的としていたわけではありません。むしろ、彼の方がこの話に乗り気なのですから、雪姉様が悩む必要なんてありませんわ。」
「……」
雪乃は、複雑な表情を浮かべながら、無言のまま俯いた。
壱姫はそんな妹の様子を見て、ふっと笑った。
「まぁ、良いだろう。相手は、えらく乗り気だしな。」
「壱姫姉様は、ポリシーを曲げてまで、この政略結婚を納得しているの?」
雪乃は、おそるおそる尋ねる。
「そうだな……」
壱姫は少しだけ考えた後、静かに答えた。
「最初は当然、反対だった。しかし、よくよく考えてみれば、これは政略結婚とは言えん。」
「どういうこと……?」
雪乃が顔を上げる。
「皇帝が、"雪乃との婚約"を政略として考えていないことは明白だからだ。」
「……え?」
「向こうは本気だぞ。少なくとも、雪乃のことを一人の女性として見ていることは間違いない。」
壱姫の言葉に、雪乃の頬が熱くなる。
風姫がクスクスと笑った。
「そういうことですわ、雪姉様。政略結婚という"形式"を利用するだけで、実際は純粋な想いに基づいたものなのですから。」
「でも……」
雪乃は、まだ心の整理がつかない様子だった。
「とりあえず会えば、気持ちも固まるでしょう?」
風姫は軽やかに言った。
「会って話せば、答えが出るのではなくて?」
「……会うの、か。」
雪乃は、呟くように言った。
そう――正式に決まったからには、今度は自分が動かなければならない。
南蛮帝国へ行くことになるのか、それとも皇帝がこちらへ来るのか。
それはまだ分からないが、どちらにせよ、避けられない。
「それに、もう逃げ場はないですわよ?」
風姫が冗談めかして言う。
「だってほら……相手は今頃、ものすごく喜んでいるでしょうから。」
「……」
雪乃は、無意識に南蛮帝国の皇帝を思い浮かべる。
確かに、彼の反応が容易に想像できてしまい、なんとも言えない気持ちになった。
――本当に、このまま進んでいいのだろうか。
まだ答えは出せない。
けれど、避けるわけにもいかない。
こうして、雪乃の「婚約騒動」は、新たな局面へと進んでいくのだった――。