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29. よもやま話2 家や工場に対する守り。~その1~ きっかけのお話。

 私が登録をしているSNSや、当該作品の読者から指摘があった通り、『家の守りは大丈夫ですか?』とか、『トイレは大丈夫ですか?』なんて声があがっていたので、このあたりを詳しく掘り下げて書いていこうと思います。


 なお、これまでの話を踏まえつつ、総集編としての役割を含めて、順を追って書きますので、過去の話と重複する部分がありますが、ご容赦を頂けると頂けると幸いです。


 ◇


 これを書いている半年~1年ぐらい前から、家や工場など、アレの守りが薄いことが影響をしていて、とてもキツイ霊障を招いている原因を色々と考えていまして、私たち家族はその対策に苦慮をしていました。


 この霊障の対策に関して、こんな大きな穴が空いた原因がありまして、3~4年前頃から親類の霊媒師の老化が徐々に進んで、耳も遠くなって痴呆が進んだからでしょう。


 その親類の霊媒師が元気なうちは、家族に何かあるたびに、ウチや工場に訪れてソレ向けの祈祷なども行っていたこともありました。


 そして、その親類の霊媒師から毎年のように護符やおふだを頂いていたのですが、親類の痴呆が進んで老化と共に連絡が途絶えてしまったので、私たち家族は、3~4年ほど前から地元の神社で正月に初詣をして祈祷をして、お札を頂くようになったのです。


 その神社では、祈祷をすると方位避けや玄関を守る護符などがついてくるので、2~3年間、それを貼ってみたのですが、結果的に全く効かなかったのは、当作品を読んで頂いている読者の想像通りでありまして…。


 そして、父が末期の肺癌で亡くなったのを機に、徐々に家族や経営している町工場の運気が落ち始めて、呪詛騒動や幽霊騒動、呪いの人形や、パワーストーンの騒動が、この作品を執筆している約1年の間に立て続けに起こったのです。


 地元の神社から頂いた、方位避けや門に貼る護符を家や実家、会社の事務所や工場にも貼っていましたが、呪いの人形や呪詛などに効かなかったのは明らかでしたし、そういう霊障と共に、私たち家族に次々と悪い事が押し寄せました。


 さらに、町工場の経営はさらに悪くなって受注が激減した結果、資金繰りが悪化し四苦八苦します。


 息子は起立性調節障害で学校に行けなくなり、私はコンビニの駐車場で接触事故を起こして、母は敗血症性ショックで要介護5の状況で家に戻れなくなった上に、私は胸腺腫になって手術…。


 それに加えて、工場の機械や機器が相次いで何台も壊れる現象があって、修理や修繕費が莫大になったために、修理の資金が確保できるまで修理を待って、あまり使わない機械が壊れた関係上、数ヶ月間、やむなく機械を稼動させずに封印をしている情けない状況になりました。


 特に工場内のエアコンは暑い時期に壊れたので、私を含めて従業員への熱中症対策の問題もあって、買い換えざるを得ませんでしたが、工事費を含めた金額をリースにすることで、なんとか難を逃れました。


 しかし、この時期、工事が殺到しているために、この話を執筆している現在において、エアコンの取り替え工事の予定日が決まっていません…。


 もう、エアコンが故障してから2~3週間ぐらい、待たされている状況なのです。


 そんな苦しい状況ですが、私たちは、息子が起立性調節障害になったり、母が敗血症性ショックで倒れて病院に入院しているあたりから、会社の経営難の対策よりも先に、これ以上、誰も病気にならない対策をとることにしました。


 母の病気や息子の病気、それに、私の手術など、これまで立て続けに、病気などを含めて不運が色々とありすぎるのは、偶然の結果だけでは説明できないような気がしたからです。


 さらに追い打ちをかけるように、父の代から仕事でもプライベートでも私が小さい頃からお世話になっていた従兄が、母と同じ敗血症で倒れて急死してしまいまして…。


 従兄は機械商社をやっていたので、うちの会社で使用する機会や機器、工具なども、その従兄にお願いをしていたので、しばらくの間は新たな取引先を見つけるのに一苦労がありました。


 なにせ、従兄は急死でしたので、奥さんが臨時で事務的な部分を引き継ぎましたが、経営的な部分で跡を継がせるような人材がいません。


 そこで、奥さんは残務処理が一通り済んだ時点で会社を廃業したのです。


 事務所を畳む際に、従兄が使っていた事務机や書類棚、それに従兄の会社の長期間の在庫として、物置に放置されていた、ドライバーやレンチなどの工具もドッサリと頂いてしまいました。


 これらを処分するとなると、処分費も馬鹿にならないので、私に押しつけてしまった部分もあろうかと思います。


 ですが、従兄が生前に事務所を近いうちに引き払うことになっていて、自宅で仕事をすることを決めていて、その際に色々なモノを持って行けと言っていた『遺言』もありまして…。


 従兄は、亡くなる2ヶ月ぐらい前から、そんなことを私に言っていたので、何か自分の死期を悟っていた部分もあるかも知れません。


 そんな、従兄の急死によって会社の急な廃業もありまして、私が右往左往していましたが、機械や工具の会社に関して、取引先のツテから新たな会社が見つかった次第です。


 そんなことがありましたが、帰結的に、家族や親族が健康でいられるように、験を担ぐ意味もあって、お札や護符、お守りを模索をしていました。


『困ったなぁ。どの神社やお寺で、おふだやお守りを頂けば良いのか分からない。』


 私は妻と一緒に、ネットで、家などを守るための、おふだやお守りを調べる日々が続いたのです。

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