約一ヶ月の公演が終わると、その後、劇団員たちは次の公演に向けて一ヶ月の稽古に入る。つまり、本番と稽古がひと月おきにやってくる。
劇団が稽古期間中、劇場は他団体に貸し出すことで利益を得ていた。
貸し館として稼ぐ使用料も、収入としてはバカにならない。
借り手はさまざまで、歌手のリサイタルだったり、活動写真館として活用されたり、歌舞伎や芝居を上演する団体もあった。
藤吉が探りを入れたところ、それらの借主の団体には、増税のお達しは来ていないようだった。東雲は、あくまで星屑歌劇団とこの新・帝國劇場を苦しめたいらしい。
増税に素直に従う姿勢を見せたから調子に乗ったわけではないだろうが、次にやってきたのは『警備費』という名目で金を支払えという通知だった。
グッズを買い求めて劇場へやってくる客が増えたため、劇場のまわりに配置する見回りの警察官を増やすのだという。そのために増えた支出分を補填しろ、ということらしかった。
「全然民主的じゃない!」と凛は憤ったが、そもそもこの世界には民主的という考えが浸透していなかった。地域ごとに領主が置かれ、それを統括するのが国のトップだが、彼らが選挙で選ばれているわけではないのだ。
「差し押さえられたらたまらんから、仕方ないのう」
藤吉は素直に警備費も支払うようだ。そもそも街の治安を守るための警察なのだから、追加で金銭を支払う必要はないはずでは? と凛は食い下がったものの、
「それで上手くいくと言うなら従うしかあるまい」と藤吉は取り合わなかった。
「お祖父様はいつもああなの」
藤吉の帰宅後、凛はこっそり忍に訊ねた。
忍は少しだけ遠くを見たあと、
「昔は過激でしたが、ここ最近はそうですね」
「過激って……」
「私も詳しくは知りませんが、だいぶ派手なことをしていたそうですよ。改修前の劇場は、セットが入らないからと天井に穴を開けたという逸話も残っていますし」
「どういうこと!?」
「どうしても使いたいセットがあって特注したらしいんですが、大きすぎて天井にぶつかってしまったそうなんです。だから、天井壊して無理やり入れた、と聞いたことがあります」
「なにそれ、そんなのありなの」
確かに前世でも、劇場の壁に穴を開けた、みたいな話は聞いたことがあったけれど、まさかここでも似たようなことをしているなんて。
「改修で壊すことが決まっていたから、決断したんだと思いますけどね」
忍はそう付け加え、「だから真似しないように」と釘を刺した。
「それはそうと、お嬢様には、次の公演に合わせたグッズを考えていただきたいのですが」
思わぬ提案に、凛は咄嗟に背筋を伸ばした。
「次はどんな公演なんですか?」
そう訊ねると、忍はチラシを差し出した。
「代々憎しみ合う二つの家。それぞれの家に生まれた子どもたちは、大人の諍いをよそに、いつしか愛し合うようになっていた。永遠の純愛物語、ここに開幕……」
大きく書かれた煽り文章を読み上げて、凛は思わず固まった。何度読み返しても、完全にロミオとジュリエットである。
しかしタイトルは『オリバーとマリア』となっていて、ロミオもジュリエットも登場しないようだ。
そもそも、どこにもシェイクスピアの文字が見当たらない。この世界には、シェイクスピアは存在していなかったのだろうか。いや、タイトルが異なるとはいえ同じような話はあるのだから、存在していないということはないだろう。
もしかしたら、海外の文化が偏って伝わっているのかもしれない。
「あの、これってミュージカル、なんですよね?」
おずおずと忍に訊ねると、「当たり前でしょう」と返された。確かに、名作をミュージカル化した舞台はいくつもあったから、それ自体は予想通りだった。
「ちなみにラストは、二人が死んでしまう、という内容で合ってます……?」
「はい。ご存知なんですか?」
いやロミオとジュリエットの話は定番ですから、と答えそうになって、凛は慌てて口を噤んだ。
「ええ、まあ」と曖昧にごまかしたが、忍は聞き流してくれた。藤吉に台本を借りたのだと思ったのかもしれない。
「上演するのは初めてではないのですが、前回舞台にかけたのは随分前で、しかもミュージカルではなかったので、もうほとんど新作ですね」
「へえ……じゃあ、曲も作るんですか」
「そうですね。ほとんど完成していますが、稽古が始まったら手直しが入ります」
「そうなんですか。でも定番の恋愛モノだし、礼央さんと愁さんのファンは喜びそうですね」
「いえ、そう楽観もできなくて。チケットの販売方法を練らないと。原作が古典であまり知られていませんし……」
「え!?」
思わず声を上げると、じろりと忍の目が向けられる。
凛は慌てて「すみません」と謝り、しかしこっそりと首を傾げた。
だってロミとジュリエットといえば世界で一番有名なラブストーリーではあるまいか。それを物語が知られていないからチケットの売上が心配だなんて。
ロミジュリってだけで、ある程度売れそうなものだが。シェイクスピアというだけで観にくるお客さんがいる、と聞いたことがあったから、意外でしかない。
やはりこの世界はどこか前世とは違うらしい。
ならば。
「あの。これ、本編終わったあとにレヴューとか……やりません?」
「は?」
忍の眉毛が激しく跳ねる。凛は遠慮がちに、けれど躊躇わずに口を開いた。
「いやあの主役カップルが亡くなっちゃう話って、ちょっと後味悪いじゃないですか。だから本編の後に、歌とダンスでショーアップされたステージがあったら、お客様も明るい気持ちで帰れるんじゃないかなあ、と」
「……なるほど」
頭ごなしに否定されるかと思ったが、忍は意外と素直に頷いた。かえって、凛の方が戸惑ってしまう。
「え、あの……」
「確かに、演目を決めるときに、その懸念意見も出ました。いくら歌やダンスがあっても、ハッピーエンドの方が良いのではないか、と」
「あ、そうなんですね」
「ですが結末を変えるわけにはいきません。ですがレヴューとなれば話は別……」
「そんなに大袈裟じゃなくても良いと思うんです。二、三曲やるだけでもだいぶ印象が変わるような……」
「確かに、そうですね。ちょっと演出家に相談してみます」
忍はそう言うと、手元のメモに何やら書きつけている。すぐにでも電話に手を伸ばしそうな忍を遮って、凛は声を上げた。
「あ、あの! それでもしレヴューをやるなら、その時に皆さんにはそれぞれの色の衣装を纏っていただきたく」
「は?」
「メンカラをお客様にも意識づけたいんです! ここぞとばかりに!」
勢いよく凛は身を乗り出した。あまりに顔が近づいたからか、忍の額に青筋が立っている。
「ご、ごめんなさい……」
慌てて身を引く凛に咳払いをひとつした忍は
「わかりました。合わせて相談してみます」
「ありがとうございます!」
もしレヴューショーが追加されれば、それは新規グッズを売り出す大きな糸口になる。
凛の頭のなかを、前世で散々参加したイベントやコンサートの様子が浮かび上がる。あれはまさにお祭りだ。絶対に盛り上がるに決まっている。
思わぬ展開に、気分が高揚していくのを感じたのだった。