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第三章②

「春、大丈夫でした?」


 舞台稽古が終わり解散になったあと、ホワイエに顔を出した雨が訊ねてきた。


「あ……。どう、でしょうか」


 特に何かを話したわけでもない。安易に大丈夫と言ってよいのか、凛にはわからなかった。


「あいつ、最近おかしくて。夜も急に寮の地下で練習し始めたりするし」


 全体稽古をする大きな稽古場のほかに、寮の地下にも小さな練習室があっていつでも使えるようになっているのだという。


「突然基礎レッスンしたりとか、レヴューのダンスも、振り付けが決まってから変えたいとか言ってくるし。何考えてるのかわかんなくて」


 雨はそう言ってため息を吐く。


「もしかしたら……」


 凛は頭を抱えた雨を見つめた。忍がまた、自分を観ているのを感じながら


「いつも一緒じゃなくてもいいのかもしれないですね」 

「えっ」


 首を傾げた雨に続ける。


「お互い、自分のことを深く考える時間があってもいいのかなあって。ほら、役でも一緒のことが多いでしょう?」

「そう……ですかね。確かにいつも一緒だったけど」

「だからたまには気分転換で」

「でもなんかそうすると、春を昴に取られる気がして」

「えっ」


 訊ね返すのは凛の番だった。


「なんかレヴューの稽古してても、春と昴の相性がめちゃくちゃいいんですよ。振りのタイミングも合ってるし、三人で踊るなら、一人がセンターで、二人がシンメになるじゃないですか。普通だったら春と俺がシンメか……春が序列が一番上なんだから、俺と昴がシンメになればいいのに、なんか春と昴ばっかり息が合ってて……」


 相当心のなかに溜まっていたのか、雨は一気にそう言うと、ため息をついた。


「確かに、凛さんのいうとおり少し離れた方がいいのかもしれないですけど……でもやっぱり共演してるとそうはいかないっていうか。仲悪くはいられないし」


 ガシガシと頭を掻いて「あー、めんどくせえ」と吐き捨てた雨は、そのまま膝に顔を埋めた。


「春のこと、一番理解してるのは自分だと思ってたけど、違うんすかね……?」


 雨はぽつりと呟いた。

 春と雨は十八歳。まだ若手のほうだ。

 凛は、のことを思い返してみた。

 高校に通い、友だちと毎日馬鹿騒ぎをして過ごしていた。

 だが、その反面、些細なことで「言いすぎてはいないだろうか。嫌われていはいないだろうか」と悩んでいたような気がする。

 そう考えると、ただの女子高生より過酷な環境で、人間関係にも悩む姿は、至極真っ当にも感じられた。ただそんな時、まわりの大人がどんな声をかけてくれたのか、凛は思い出すことができなかった。

 むしろ大人の意見なんて、聞く耳を持たなかったような気もする。何しろ、人生に時間は退屈なくらい、たっぷりあると思っていたのだ。


 結局、凛が何も言えずにいるうちに、雨はホワイエを後にした。その背を見送っていると、忍が近寄ってくる。


「悩んでいるのは一人じゃなかったでしょう?」

「でも……」

「トップが変わると、だいたい最初は揉めますから。そのうち落ち着きます」


 忍はあっさり言うけれど、藤吉だったらどう対応していたのだろうか、と思うと、「はいわかりました」と納得するだけではいられなかった。

 芝居の中身については演出家を通して話をしていたようだけど、だってさっきの二人の悩みは、どちらかというと個人の問題だったから。


 祖父の存在の大きさを思い知って、凛はそっとため息を吐いたのだった。


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