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第三章③

 舞台稽古が終盤を迎え、いよいよ夜はゲネプロ、という日の朝だった。


「見てください」


 忍が、出勤早々新聞を広げた。

 そこには『星屑歌劇団レヴュー復活』という見出しが踊っている。


「え、なんですか、これ」


 凛が呆然と呟く。


「わかりません。誰かにすっぱ抜かれたのかも」

「そんな……」


 記事には、星屑歌劇団が長年封印していたレヴューが久々に解禁になること、それには、新たにトップスターとなった天音礼央の特出した才能が必須だ、と書かれていた。


 これでは初日に読んだ大勢の新聞記者も、殊更大きく取り上げはしないだろう。宣伝も兼ねていた企画がすっぱ抜かれて、全身の力が抜けていく。


 さらに「支配人最後の仕事」という見出しで、藤吉が倒れ、意識が戻らないことまで記載されている。


「深刻な病状。今後の権力は誰の手に!?」などという下世話な一文で締められていた。


 怒りを感じすぎると、言葉が出てこないらしい。わなわなと震える手を握りしめた。


「なんですか、これ」

「中傷でしょう。支配人が弱っていると思って、好き勝手書いているんです」

「ひどい……」


 記事を破り捨てたい衝動に駆られながら、なんとか凛は我慢した。これだけ破いたって仕方ない。どうせなら出回っているすべての新聞を回収しなければ。


「仕方ありません。レヴューがあると聞いて逆に残っているチケットが捌ける可能性もありますから、良い方向に考えましょう」

「そうですね……」


 読み進めていく限り、鷹司家に対して皮肉は込められているものの、劇団自体については決して悪い印象の記事ではない。

 しかしだんだんと凛は、血の気が引いていくのを感じた。


 レヴューで披露される曲の曲調やメンバーまでもがすっぱ抜かれていたからだ。最初に愁のキーの高い曲、続いて春たち三人のアップテンポなナンバー、そして礼央の二曲、最後は全員のナンバー、と順番まで詳しく書かれている。

 ゲネプロもまだの段階で、この情報を知っているのは星屑歌劇団の劇団意図、関わっているスタッフだけだ。


 それはつまり、誰か内部の人間が情報を漏らした、ということだ。

 その事実に思い至って、凛は体の奥底が冷えていくのを感じた。


 ただ劇団員全員とスタッフを入れたら、五十人以上の人間が公演に関わっている。その中から該当者を探し出すのは不可能に思えた。

 確率は低いとはいえ、たまたま街中で話していた内容を聞かれただけという可能性もある。

 だがこのままにしておいて、今後も何かをすっぱ抜かれたらたまったものではない。


「忍さん……」


 凛が遠慮がちに声をかけると、忍も同じことを考えていたのか小さく頷いた。


「今回はまだ最悪なんとかなります。ですが今後、情報が領主サイドにバレたらと思うと……このままにはしておけませんね」


 そう呟く忍の顔は厳しい。

 もし内部機密をばらすような人間がいて、金で情報を買い取られたりしたらと思うと、とても看過できなかった。


「でもどうやって調べたらいいのか……」

「そうですね。とにかくよく見ておくしかありませんね」


 悔しいですが、と忍は唇を噛んだ。

 藤吉が倒れたタイミングで狙ったかのように、こんなことが起きたのが悔しいのだ。


 ちょうど意識を失ったタイミングで――。


 そこまで考えて、凛の背に嫌なものが伝った。


 藤吉の意識がないことを知っているのは、ごく一部の人間だ。

 凛と忍と――そこまで考えて、まさかね、と凛は首を振った。


 礼央がそんなことをするわけがない。彼のステージなのだ。

 記者を多く呼んでいることは劇団員にも伝えてあった。それは天音礼央の名声を轟かせるためでもあるのに、本人がわざわざ邪魔をする必要はない。

 本当に?

 一度思い浮かんだ可能性は、なかなか凛の心のなかから消えてくれなかった。


 もし礼央が外部の人間と通じているというならば、一体何が目的だというのだ。馬鹿げた理屈を論破しようとして、凛は礼央本人について何も知らないことに思い至った。

 彼がトップスターに就任したことを、どう感じているのかさえ、聞いたことがない。

 凛が知っているのは、親を失い、藤吉に拾われて、劇団員になったということだけだ。それを、本人はどう思っているのだろう。


 まさか嫌々この道に進んだとは思っていなかったが、実はそうではないとしたら――。


 これ以上はやめておけ、と心の中でもう一人の自分が囁いている。

 人を疑うな。

 彼の性格は確かに暴君だけれど、優しいところを、凛は知っている。

 今では、優しい部分のほうを多く知っている自信もあった。

 何より藤吉が倒れたとき、凛を助けてくれたのは、礼央そのひとだったはずだ。


 だから疑うべきではない。そう思っているのに、一度生まれた猜疑心は凛の心の奥深くに棲みついて、決して消えてくれなかった。

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