「ちょいとお客さん、勝手に困りますよ!」
「ごめん、こっちも
表の方が急に騒がしくなり、源太郎とおりょうの話がぴたりと止んだ。
あのせわしない、やけに若い声。止める茶屋の娘を振り切って飛び込んでくる気配で、もう誰かは分かった。
「源太兄、ここか? ……って、あんれま」
「おりょうさんと……どこかで見たような若旦那……?」
「まあ、伊助さん。どうかなさいましたの?」
おりょうは軽く
「やっぱりおりょうさんだ。今日はまたどうして水茶屋なんか……って、ああっ、こりゃとんだお邪魔をしたかも。すみません」
慌てて頭を下げる伊助に、おりょうは困ったように笑みを浮かべた。
「そこは気にしなくていいんです。ずいぶん慌てているようですけれど……何かあったんですか?」
「え、ああ……いや、手紙を渡さなきゃで」
伊助は言いながら、もう一度“若旦那”をじろじろ見た。
粋な着流しに
「……似てるんだけど……いや、でも違うか……」
伊助は頭を
だがすぐに、自分の混乱を振り払うように手紙を取り出した。
「まあいいや……でもこれ、急ぎで渡せって。北の旦那の使いからだそうで……なんかすごく急ぎみたいで」
そのときだった。
「……俺だよ」
低い声が落ちた瞬間、伊助の動きが止まった。
“若旦那”が、源太郎その人の声で呟く。
「……え? ……えぇえ!? げ、源太兄!? マジで!? 声は……いや、でも顔が……え、ちょ、ちょっと待って……!」
混乱が言葉を追い越し、伊助の手元が震えた。
「お、おりょうさん……この人、源太兄だったんすか!?」
おりょうはちらりと源太郎を見やってから、伊助に向き直った。
「いえ、私も一目見ただけでは分かりませんでしたの。ごめんなさい、黙っていた方がいいか迷ってしまって」
源太郎は小さく肩をすくめただけだった。
「……今朝もすれ違ったろ。弟分のお前にここまで気づかれねぇと、喜ぶべきか怒るべきか迷うな」
伊助はうろたえたまま頭をガシガシ掻き、気を取り直すように声を張った。
「いやいや、そんなの反則ですよ! 気づけるわけないって……。あ、でも今はそれどころじゃねぇ」
ごそごそと懐から封書を取り出し、手渡す。
「これ、北の旦那の使いって人から、源太兄と熊兄に急ぎで渡せって言われたんす。……熊兄に見せたら、すぐには向かえねぇって。で、すげぇ怖い顔して『早く源太郎に渡して来い』って……」
最後は少し声が小さくなり、伊助は気まずそうに目をそらした。
「なんか……いつもの熊兄と違って、ちょっとおっかない感じだったっす」
源太郎は受け取った手紙を開き、黙って目を走らせた。
短く書かれた言葉の重みが、空気をぴんと張り詰めさせる。
《至急、屋敷へ来い。》
封を閉じる手が、わずかに強張る。
「……珍しいな。あの人がここまで急がせるなんてな」
伊助が、おそるおそる問いかけた。
「源太兄。最近、熊兄となんか相談してたのって、やっぱその北の旦那って人絡みなんですか?」
源太郎は深く息を吐き、いつもの軽口を捨てた声で答えた。
「……ああ。でもお前に全部話すのは、今はまだ早ぇ。とはいえ隠し通すつもりもねぇ。屋敷から戻ったら話す」
その声音の張りに、伊助はこくりと頷くしかなかった。
「伊助。悪いがおりょうさんを送ってやってくれ。俺は熊兄を探す。夜廻りは……たぶん間に合わねぇって、親爺さんに伝えといてくれ」
伊助はハッとして背筋を伸ばした。
「……わ、わかりました!」
おりょうは何か言いかけて、結局やめ、ただ柔らかく目を伏せてから静かに言った。
「……どうか、くれぐれもお気をつけて」
源太郎は、その声に短く頷いた。
茶屋の白い暖簾が、三人を送り出すようにふわりと揺れた。