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第9話 騒がしい闖入者

「ちょいとお客さん、勝手に困りますよ!」

「ごめん、こっちも火急かきゅうの用事で人探ししてんだ。ちょいと改めさせてもらうよ」


 表の方が急に騒がしくなり、源太郎とおりょうの話がぴたりと止んだ。

 あのせわしない、やけに若い声。止める茶屋の娘を振り切って飛び込んでくる気配で、もう誰かは分かった。


「源太兄、ここか? ……って、あんれま」


 ふすまを開けた伊助が、汗ばんだ額を拭いながら中を見回し、おりょうを見つけて目を丸くする。


「おりょうさんと……どこかで見たような若旦那……?」


「まあ、伊助さん。どうかなさいましたの?」

 おりょうは軽く会釈えしゃくをして応じた。


「やっぱりおりょうさんだ。今日はまたどうして水茶屋なんか……って、ああっ、こりゃとんだお邪魔をしたかも。すみません」


 慌てて頭を下げる伊助に、おりょうは困ったように笑みを浮かべた。


「そこは気にしなくていいんです。ずいぶん慌てているようですけれど……何かあったんですか?」


「え、ああ……いや、手紙を渡さなきゃで」


 伊助は言いながら、もう一度“若旦那”をじろじろ見た。

 粋な着流しにわった目つき。見覚えがあるのに、どうしても結びつかない。


「……似てるんだけど……いや、でも違うか……」


 伊助は頭をき、しばたかせた目を細める。

 だがすぐに、自分の混乱を振り払うように手紙を取り出した。


「まあいいや……でもこれ、急ぎで渡せって。北の旦那の使いからだそうで……なんかすごく急ぎみたいで」


 そのときだった。


「……俺だよ」


 低い声が落ちた瞬間、伊助の動きが止まった。

 “若旦那”が、源太郎その人の声で呟く。


「……え? ……えぇえ!? げ、源太兄!? マジで!? 声は……いや、でも顔が……え、ちょ、ちょっと待って……!」


 混乱が言葉を追い越し、伊助の手元が震えた。


「お、おりょうさん……この人、源太兄だったんすか!?」


 おりょうはちらりと源太郎を見やってから、伊助に向き直った。


「いえ、私も一目見ただけでは分かりませんでしたの。ごめんなさい、黙っていた方がいいか迷ってしまって」


 源太郎は小さく肩をすくめただけだった。


「……今朝もすれ違ったろ。弟分のお前にここまで気づかれねぇと、喜ぶべきか怒るべきか迷うな」


 伊助はうろたえたまま頭をガシガシ掻き、気を取り直すように声を張った。


「いやいや、そんなの反則ですよ! 気づけるわけないって……。あ、でも今はそれどころじゃねぇ」


 ごそごそと懐から封書を取り出し、手渡す。


「これ、北の旦那の使いって人から、源太兄と熊兄に急ぎで渡せって言われたんす。……熊兄に見せたら、すぐには向かえねぇって。で、すげぇ怖い顔して『早く源太郎に渡して来い』って……」


 最後は少し声が小さくなり、伊助は気まずそうに目をそらした。


「なんか……いつもの熊兄と違って、ちょっとおっかない感じだったっす」


 源太郎は受け取った手紙を開き、黙って目を走らせた。

 短く書かれた言葉の重みが、空気をぴんと張り詰めさせる。


 《至急、屋敷へ来い。》


 封を閉じる手が、わずかに強張る。


 「……珍しいな。あの人がここまで急がせるなんてな」


 伊助が、おそるおそる問いかけた。


「源太兄。最近、熊兄となんか相談してたのって、やっぱその北の旦那って人絡みなんですか?」


 源太郎は深く息を吐き、いつもの軽口を捨てた声で答えた。


「……ああ。でもお前に全部話すのは、今はまだ早ぇ。とはいえ隠し通すつもりもねぇ。屋敷から戻ったら話す」


 その声音の張りに、伊助はこくりと頷くしかなかった。


「伊助。悪いがおりょうさんを送ってやってくれ。俺は熊兄を探す。夜廻りは……たぶん間に合わねぇって、親爺さんに伝えといてくれ」


 伊助はハッとして背筋を伸ばした。


「……わ、わかりました!」


 おりょうは何か言いかけて、結局やめ、ただ柔らかく目を伏せてから静かに言った。


「……どうか、くれぐれもお気をつけて」


 源太郎は、その声に短く頷いた。


 茶屋の白い暖簾が、三人を送り出すようにふわりと揺れた。

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