おりょうを家まで送り届けた帰り道。伊助はひとり、ゆらりゆらりと揺れる提灯の火を頼りに、裏道を辿っていた。
「……はあ」
灯の先、小さく
(……やっぱ、向けられる目ぇが違うんだよなあ)
さっきの水茶屋を思い出す。源太郎とおりょうの間にあった、あの柔らかい空気。何気ない会話、目線の交わし方。それが伊助の胸に、ちくりと小さな
(源太兄ぃは顔もいい、頭もキレる、喧嘩も強ぇ。言っちゃえば、なんでも持ってる人だ。……そりゃあ俺なんかが敵うわけねぇって、分かってんだけどさ)
そんなことを考えていたからか、つま先が石畳の角に引っかかった。よろりと体が傾き、提灯がふらつく。
「っとと……ったく、情けねぇったらありゃしねえ」
自分に苦笑をこぼした、そのときだった。ふっと鼻先をくすぐる香り。白粉に、花蜜のような甘さが混じったような、どこか夢のなかみてえな匂い。
提灯を掲げてあたりを見渡せば、路地の端に、誰かがしゃがみこんでいる。
「お、おい、大丈夫っすか!?」
駆け寄ると、顔を上げたのは旅芸者風の若い女だった。紅絹の襟元、艶やかな簪、伏し目がちに笑う口元――どこか、影のある微笑みに背筋がぞくりと震える。
「あらまあ、そんなに慌てて。……驚かせてしまったなら、ごめんなさい。ちょいと足をくじいただけなの」
「そりゃあ大変だ……怪我、大したことねぇっすか?」
「うん。けど、道もわからなくて。どうにも困ってたの」
「こりゃまた難儀なこって……この辺、夜は薄暗くて、初めての人には迷い道ですもんね」
女はふふ、と微笑んだ。その目が、まっすぐ伊助の瞳を捉える。どこか熱を帯びたその眼差しに、伊助は思わず目をそらした。
「へへ、あっし、こう見えて“灯火三人衆”の一員で。ここいらの夜廻りをしてる伊助ってぇもんで」
「“三人衆”? ……粋な響きねぇ。ほかの二人も、やっぱり粋でいなせなお方なの?」
「へへっ、そりゃもう! まず熊兄! 寡黙で不愛想だけど、腕っぷしじゃ北町どころか江戸一かもしんねぇ。睨まれりゃ、ケンカ早い連中もおとなしくなるんすから!」
「へぇ……」
「んで、源太兄! 頭ん中はまるでからくり箱。ちょっと何考えてるかわかんねぇとこあるけど、そこがまた粋でさ。義理堅ぇし、いざってときゃ、町の連中が息呑むくらいの立ち回りすんすよ! あの人が本気になると、空気が変わるっていうか……マジで
伊助が目を輝かせ、まるで自分のことのように語る姿を見て、女――お紋は艶やかに唇を歪めた。
「なるほどねぇ。無口な力持ちに、知恵者の二枚目……ふふ、それはまた、面白いお仲間さんだこと」
「え、ええ、まあ、そっすね」
「でも――」
お紋が、するりと伊助の腕に寄り添ってくる。首筋近くに、その声が触れた。
「――あたしがいちばん気になるのは、そんな兄貴分を誇らしげに話す、あなた、かもしれないわ」
にこりと笑った顔が、近い。息がかかるほどの距離。伊助は、全身の血が耳に集まっていくような気がして、目を泳がせながら後ずさった。
「へっ……え、えぇっ!? お、俺っすか!? いやいや、俺なんて、ただの使いっ走りみたいなもんでして。足でまといにならねぇように動いてるだけで……あ、でも、まあ、頼られるときもちょこっとは、ありますけど!」
「うん、そういうの。頼れるって、大事よ。……あたし、そういう人に、つい惹かれちゃうのよね」
お紋はそう言って、そっと伊助の肩に額を預けた。ひどく自然な仕草――だけど、その重みは熱を帯びていて、伊助の鼓動をやけに大きくさせた。
「……あ、あの、えっと……お名前、聞いても……?」
思わず声が裏返る。
「んふふ。お紋――って呼んで。伊助さん」
耳元で囁かれるような声音。まともに頷けず、伊助はただ、なすがままにお紋の肩を支えながら、通りを進んだ。
だから、伊助は気づかなかった。
――お紋の瞳が、その背でふっと笑みを細めていたことに。