翌朝、ユトリノ男爵家では、朝食の後に家族会議が開かれた。
「王子殿下にご挨拶もせずに、ご招待を途中退出とは。王室に対し
男爵は、長女のユーナを厳しく問い詰めた。
下級貴族の女性にとって、パーティーは決して遊びや飲み食いだけの場ではない。
積極的に社交の場に顔を出して他の貴族と交流を深めることは、家門を守るための重要な義務である。その義務から、ユーナは逃げ出したのだ。
「だから、ユーナさんには無理だと私は申し上げたのですわ。パーティーから勝手に帰っただけでも驚きなのに」
クレア夫人が、昨夜のユーナとリンが起こした騒ぎを
「洗濯小屋から声がすると思ったら、メイドと
ケラケラと笑うクレア夫人をキッと見上げ、ユーナは反論にもならない言葉を言い返す。
「じゃあ、男と素っ裸だったら、気持ち悪くなかったですか?」
「おい、そういう問題じゃないだろう。気は確かか、ユーナ!」
ユーナを叱る男爵の
「……お姉様は、もうパーティーには出なくていいと思いますぅ」
うつむいて指遊びをしながら、エリザベスは言った。
「私だって来年は社交界デビューしますのに、お姉様がそんな調子では、控えめに言って邪魔ですわ」
家族会議の結果、ユーナは当分の間、
ダイニングルームから出る時に、居候の騎士ヴァン・ダイノンが心配そうにユーナに寄って来て、耳元で囁いた。
「ユーナお嬢様、あまり気を落とされませんように……剣技の稽古なら、いつでもお申し付け下さい」
だが、ユーナは内心、社交界追放を喜んでいた。
(あのくっさいパーティーに、もう出なくても良いなんて。うれしいー!)
それに、王子殿下の靴にゲロをぶちまけた件は、バレていない。あの一件が発覚していたら、こんなものでは済まないだろう。下手したら、首をはねられるかも。
「そうだ、リンはどうしてるのかな」
今朝起こしに来たのはリンではなく、普段はクレア夫人の世話を担当している、天然パーマ頭のソフィーだった。昨晩、クレア夫人と一緒に、ランプを持って洗濯小屋に
あまりに気まずくて、朝の着替えの間はソフィーに何も聞けなかったが、リンは一体どこへ行ったのだろう。
午後のひととき、ユーナは屋敷の中をあちこちを探したが、リンの姿はどこにも見えなかった。
ユーナは庭に出て、広大な敷地の中をぐるりと見渡した。大きな煙突のある小屋が見えた。明るい陽射しの中で、ひとすじの煙が空へと昇っていく。男爵家の敷地内にある、馬小屋の煙突だった。
「あれは何だろう?」
前世では煙突を見かけるたびに、まだ自分の知らない銭湯がそこで営業しているのではないかと、ソワソワしていたような……。そんな記憶がある。ユーナの足は、自然と馬小屋へ向かった。
馬小屋の前では、馬たちの世話係であるフワン爺さんが、椅子に座って、のんきにひなたぼっこしていた。
「こんにちは。今日はいい天気ね」
フワン爺さんは立ち上がると、腰を曲げてユーナに一礼した。
「これはこれは、お嬢様。今日はお屋敷から応援を出して下さって、年寄りにはありがたい限りです」
「応援?」
馬小屋の中をのぞき込むと、干し草の入った
ユーナはハッと息を飲んだ。きっと昨夜の罰で、やらされているのだ。申し訳なさで胸がいっぱいになった。
「リン! こんなことになってるなんて、本当にごめんなさい。私も手伝うから!」
ユーナはリンに駆け寄った。リンはユーナに気づくと、
「大丈夫です、お嬢様。どうせ仕事は、いつも山ほどあるんです。お屋敷でも馬小屋でも同じです。それに」
リンは馬小屋の奥を指さした。
「お嬢様がおっしゃった『本物のお風呂』がどんな物か、フワンさんに色々聞いて少し分かったんです」
リンが指さす方向には、白い気体がモワモワと立ちこめていた。
「これはひょっとして、湯気……⁉」
何に使っているのかは分からないが、これほど大量に湯気が出るだけの湯が、馬小屋にあったのか。ならば、風呂に使えるかも。
ユーナは、かすかな期待に胸を高鳴らせながら、湯気の中へと進んだ。