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第四湯 風呂とはどんなものかしら(後編)

 馬小屋の奥の地面は、全長にして三メートルほど大きく地中へと掘られ、くぼんでいた。くぼみの手前が、なだらかなスロープになっている。くぼみの中には、温かそうな湯が一面に溜まっており――


 湯の中から、一頭の馬が、顔を出していた。


「えーっ、馬が湯に入ってるー!」


 ユーナは目を丸くしながら大声を出した。


「昔から、馬の健康と毛並みを保つには、これが一番なんですよ」


 フワン爺さんがいつの間にか馬小屋の中に入って来て、背後から声をかけた。


「馬の怪我にも病気にも、湯は効き目抜群です。私は、男爵様が王国最強の騎士としてご活躍されていた時からおつかえしてますので、このやり方に間違いはございません」 


 騎士学校で多少は乗馬を習ったユーナだったが、馬の手入れの1つにお風呂があったとは、前世の記憶をたどっても初耳だった。


「人間のお風呂はないのに、馬用のお風呂はあったのー⁉」 


「『お風呂』という呼び名じゃありませんが、確かにこうやって、湯には入れております。とにかく馬には手間をかけて、しっかり愛情を持って世話しなきゃあいけません。騎士の馬たるもの、強く、優しく、美しくあれ! 良い馬を育てる腕は、まだまだ誰にも負けないつもりですよ」


 フワンは誇らしげに、入浴中の馬へと目をやった。馬はとても気持ち良さそうに鼻を伸ばして、湯の中でじっとしている。ユーナは興奮して声を上げた。


「まあ、なんて馬やらしい、じゃなかった。うらやましい! 私も入るよ」


「いけません、お嬢様!」


 フワン爺さんの目も構わず、ユーナは服をいきなり脱ごうとした。リンが背後から抱きつき、必死の形相でユーナを止める。ユーナは、笑いながら両手を小さく上げ、降参のポーズをしてみせた。


「やっぱりダメかあ。ところで、これだけ大量の湯をどうやって?」


「あの部屋に寝泊まりしてますからな。自分の飯も作るし、馬のえさに混ぜるアマニの種も煮るし、湯は好きなだけ沸かしてます」


 フワンは馬小屋の隅にあるドアを開けた。部屋の中央には、大きなかまどが鎮座していた。


「馬小屋に煙突があるのは、こういうことだったのね。よし、やっぱり私も馬小屋仕事の応援をさせて頂くわ」


「ダメです!」


 フワンとリンが声を揃えたが、ユーナは意志を曲げなかった。


「私に掃除なんかさせられない、って言うんでしょ? でもね、リン。あなたに申し訳なくて仕事を分担する意味もあるけど、それだけじゃないの。だから気にしないで。そして、フワンさん。」


 ユーナはフワンの目をまっすぐに見つめた。


「あなたのお話に感動しました。私は騎士学校まで行ったのに、馬のお世話の大切さを、ほとんど何も学んで来なかった。騎士の娘として、恥ずかしい限りよ。今日はここで、馬について勉強させてほしいの」


「お、お嬢様……そんなもったいないお言葉、男爵様からも頂いたことはありません。今日は私にとって、生涯の名誉の日でございます」


 フワンは感激の涙を流しながら頭を下げた。


「それで、応援するにあたって、1つだけお願いがあるんだけど」


 ユーナは、フワンの部屋を指差した。


「私は、着替えに時間がかかるし、リンに手伝ってもらわないといけないの。お仕事が終わった後、一時間だけ、私たちにこの部屋を貸してくれない?」


「ええ、ええ、もちろん構いませんとも」


 まだ涙を流していたフワンは、ユーナの厚かましい頼みも快く了承した。


 するとリンが、ユーナのそばにスッと近づいてきて、いたずらっぽく微笑ほほえむと、耳元でささやいた。


「お湯をもらいたいだけでしょ、お嬢様?」

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