馬小屋の奥の地面は、全長にして三メートルほど大きく地中へと掘られ、くぼんでいた。くぼみの手前が、なだらかなスロープになっている。くぼみの中には、温かそうな湯が一面に溜まっており――
湯の中から、一頭の馬が、顔を出していた。
「えーっ、馬が湯に入ってるー!」
ユーナは目を丸くしながら大声を出した。
「昔から、馬の健康と毛並みを保つには、これが一番なんですよ」
フワン爺さんがいつの間にか馬小屋の中に入って来て、背後から声をかけた。
「馬の怪我にも病気にも、湯は効き目抜群です。私は、男爵様が王国最強の騎士としてご活躍されていた時からお
騎士学校で多少は乗馬を習ったユーナだったが、馬の手入れの1つにお風呂があったとは、前世の記憶をたどっても初耳だった。
「人間のお風呂はないのに、馬用のお風呂はあったのー⁉」
「『お風呂』という呼び名じゃありませんが、確かにこうやって、湯には入れております。とにかく馬には手間をかけて、しっかり愛情を持って世話しなきゃあいけません。騎士の馬たるもの、強く、優しく、美しくあれ! 良い馬を育てる腕は、まだまだ誰にも負けないつもりですよ」
フワンは誇らしげに、入浴中の馬へと目をやった。馬はとても気持ち良さそうに鼻を伸ばして、湯の中でじっとしている。ユーナは興奮して声を上げた。
「まあ、なんて馬やらしい、じゃなかった。うらやましい! 私も入るよ」
「いけません、お嬢様!」
フワン爺さんの目も構わず、ユーナは服をいきなり脱ごうとした。リンが背後から抱きつき、必死の形相でユーナを止める。ユーナは、笑いながら両手を小さく上げ、降参のポーズをしてみせた。
「やっぱりダメかあ。ところで、これだけ大量の湯をどうやって?」
「あの部屋に寝泊まりしてますからな。自分の飯も作るし、馬の
フワンは馬小屋の隅にあるドアを開けた。部屋の中央には、大きなかまどが鎮座していた。
「馬小屋に煙突があるのは、こういうことだったのね。よし、やっぱり私も馬小屋仕事の応援をさせて頂くわ」
「ダメです!」
フワンとリンが声を揃えたが、ユーナは意志を曲げなかった。
「私に掃除なんかさせられない、って言うんでしょ? でもね、リン。あなたに申し訳なくて仕事を分担する意味もあるけど、それだけじゃないの。だから気にしないで。そして、フワンさん。」
ユーナはフワンの目をまっすぐに見つめた。
「あなたのお話に感動しました。私は騎士学校まで行ったのに、馬のお世話の大切さを、ほとんど何も学んで来なかった。騎士の娘として、恥ずかしい限りよ。今日はここで、馬について勉強させてほしいの」
「お、お嬢様……そんなもったいないお言葉、男爵様からも頂いたことはありません。今日は私にとって、生涯の名誉の日でございます」
フワンは感激の涙を流しながら頭を下げた。
「それで、応援するにあたって、1つだけお願いがあるんだけど」
ユーナは、フワンの部屋を指差した。
「私は、着替えに時間がかかるし、リンに手伝ってもらわないといけないの。お仕事が終わった後、一時間だけ、私たちにこの部屋を貸してくれない?」
「ええ、ええ、もちろん構いませんとも」
まだ涙を流していたフワンは、ユーナの厚かましい頼みも快く了承した。
するとリンが、ユーナのそばにスッと近づいてきて、いたずらっぽく
「お湯をもらいたいだけでしょ、お嬢様?」