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第五湯 はじまりの飼い葉桶(前編)

 優雅なる男爵令嬢ユーナ・ユトリノは、その日、汗にまみれて馬小屋で働いた。ひとくちに馬の世話と言っても、様々な仕事がある。フワン爺さんは、その中でも掃除と馬体の手入れが何より大事だと力説りきせつした。


「馬は汚い所にいると、すぐに調子がおかしくなっちまうんですよ」


 わかるー。お風呂のない所にいる私も、頭がおかしくなっちまいそうだもんね。ユーナは心の中で思った。


 馬小屋の掃除は、最も体力を使う。長いが付いたフォーク型の道具で、汚れた敷きわらと馬糞を取り除き、新しい敷きわらを補充する。


「あれ?私ってこんなに腕力あったっけ?」


 かなり重たいはずの敷きわらの山を、ユーナは軽々と持ち上げ、あっという間にポイポイと積み上げることができた。

 水の入った桶を台車に満載して運んでいたリンが足を止め、拍手しながらユーナをたたえる。


「さすがお嬢様!」


 体力不足に悩んだ騎士学校時代が、ウソのようだ。体の動きが、格段に軽快になっている。


 十六歳という成長期。わずかな間に、体力が自然に向上したのか。それともやはり水風呂とはいえ、昨晩入浴して垢を落とせたから、テンションがアガってるんだろうか。


 うん、きっと後者だ。垢は、いわば私の真の実力をおさえつける拘束具だったんだ。お風呂があれば、私はもっと強くなれるはず! ユーナはそんなことをぼんやり感じた。


 馬体の手入れは、ユーナも騎士学校で少し経験があった。さっそく作業に取り掛かろうとしたが、馬が動き回って、じっとしてくれない。フワン爺さんが、すかさず問題点を指摘した。


「今、いきなり馬に触ろうとしてましたな? 危ないですぞ。まず、馬の斜め前から声をかけて、同意アグリーをもらうんです」


「馬が、同意アグリーをするの?」


「しますとも。お嬢様だって、知らんやつがいきなり後ろから髪に触ったら、この野郎! って思うでしょうに。」


 フワン爺さんの教えに従って、ユーナは優しく馬に話しかけてみた。


「ごめんね。今から体をお手入れさせてね」


 馬はたちまち動きを止め、おとなしくなった。


「馬の気持ちが、ようやくお分かりですかな? その調子です、お嬢様。」


 水で洗い、水切り道具ですばやく水分を落として、布で拭く。ひづめは鉄のブラシで磨く。硬い毛のブラシで大まかな汚れを取ってから、軟らかいブラシで毛並みを整える。

 たてがみをくしでキレイに揃えてやりながら、ユーナは小声でつぶやいた。


「この世界なら、人間より馬に生まれたかったかなあ」


 馬は自由気ままに裸で過ごしても叱られないし、お風呂だって入れてもらえるらしい。


 馬たちの手入れが終わると、フワン爺さんはユーナを自室のテーブルに招いて、冷たい飲み物を出してくれた。牧草場に自生する香草を煮出した、一種のハーブティーのようだった。


「どうぞおかけ下さい。お口に合いますかどうか」


「ありがとう。とてもおいしい」


 喉が渇いていたユーナは、あっという間に飲み干した。そして、核心に迫る質問をフワンに投げかけた。


「ところで、フワンさん。馬が湯に入って健康で美しくなるなら、人間もそうなる、って思いません? それを『お風呂』って言うんですけど。ご自分で湯に入られたことは?」

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