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第五湯 はじまりの飼い葉桶(後編)

 フワン爺さんはユーナの質問に驚いて、飲んでいたハーブティーを少し噴き出した。


「に、人間が、湯に入る? いや、そんなことは思いつきもしませんでしたな」


 心の底から意外そうな顔をしながら、彼は答えた。


「そもそも湯どころか、水に入るのが怖いんですな。魔物に取りつかれるとか、病気になる、と聞いて来ましたから。このお屋敷の井戸水は、心配ないと分かっちゃいるんですがね」


 馬の衛生第一をモットーとする彼も、自分自身の体については、手を洗ったり、体を軽く水拭きしたり、せいぜいバケツで頭から水を時々かぶる程度だという。


「まあ、人間と馬はやっぱり違いますからな。ワッハッハ」


 フワン爺さんは話をはぐらかすように、乾いた笑い声をあげた。


「お嬢様、こちらも終わりました!」


 馬たちの餌やりを終えたリンが戻ってきた。日は既に傾き、夕暮れが近づいていた。


「それじゃ、しばらく放牧場のほうを見てきますかな。一時間でしたな」


 フワンは、約束どおりユーナとリンに部屋を使わせるため、出口のほうへ歩き出した。


 フワン爺さんの背中を見つめるユーナの頭の中に、彼から仕事中に教わった言葉が、再び思い浮かんだ。「声をかけて、同意アグリーをもらうんです」。


 このまま彼を行かせるのは、何か違うような気がした。


「待って、フワンさん!」


 ユーナは早足でトコトコトコとフワンの前に先回りすると、呼び止めた。


「着替えると言ったけど……よく考えたら、お着替えを持ってきてないの。でも、汗と汚れを落とさないと、お屋敷に帰れなくて。もし、お湯が残ってたら、少し分けて下さらない?」


 フワンはユーナの目をじっと見つめると、やがてニッコリと笑った。


「全部お使い下さい。私には『お風呂』は良く分かりませんが、お嬢様が必要とされるのなら、この馬小屋にある物は、何なりと」


 フワン爺さんは馬小屋から立ち去った。ユーナとリンは、同時にかまどを確認しに走った。かまどの火は、まだ点いていた。釜には湯が五十リットルほど残っている。


「お嬢様。てっきり、あのままフワンさんをだまして、お湯をドロボウしちゃうんだと思ってました。正直に言えて、偉いですね」


「ちょっと思うところがあったのよ。リン、馬二頭が同時に餌を食べられる、長ーい飼い葉桶をさっき洗ってたでしょ?あれを使いましょ」


 ユーナとリンは二人がかりで、大きな木の飼い葉桶を、フワン爺さんの部屋に運び込んだ。長さ約一メートル、深さ約四十センチほどか。


(大きさは充分だ……)


 ユーナは、期待に胸を高鳴らせた。

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