目次
ブックマーク
応援する
17
コメント
シェア
通報

第七湯 ふたりだけの秘密(後編)

「失礼致します。お休みの準備に参りました」


 ユーナの部屋にやって来たメイドは、リンでもソフィーでもなく、メリーだった。いつも髪をおさげ髪にしているメリーは、本来はエリザベスの専属メイドである。


 ユーナの肌着を取り替えてベッドを整える間、メリーもずっと眉間にしわを寄せて、険しい表情で作業をさっさと済ませると、出て行った。


「では、おやすみなさいませ、ユーナお嬢様」


「おやすみ、メリー。エリザベスにもよろしくね」


 ユーナはベッドに入ると、目を閉じながらあれこれと考えた。今日は楽しかった。明日も馬小屋でリンに会えるかな。今度こそきっと、肩までお湯に入れるお風呂を作ってやろう。そうだ、異世界にドラム缶はあるかな?もしあるなら、ドラム缶風呂が出来るんだけど……


「ぐおー……ぐおー……」


 干し草風呂の効果で体が温まっていたユーナは、考えごとをしているうちに眠たくなり、すぐに熟睡モードへと入っていった。


 洗濯小屋では、リンが山のような洗濯物を一人で洗っていた。そこへ、メイド仲間のソフィーとメリーが入ってきた。


「リン。あんた、私たちに何か言うことない?」


 ソフィーが声を荒げて、リンを非難した。リンは手を止め、うつむきながら立ち上がった。


「迷惑かけて、ごめんなさい……」


 リンは頭を下げた。だが、ソフィーは納得しなかった。自身のモジャモジャ髪を苛立たしそうにかきむしりながら、ソフィーは言った。


「謝ったって仕方ないわよ。私ね、奥様から、ユーナお嬢様とあんたの様子を根掘り葉掘り聞かれて困ってるのよ。今日も、馬小屋で一緒にいたんでしょ? ユーナお嬢様の服が草まみれだったから、バレバレよ。一体、二人でコソコソと何やってるわけ?」


「それは、その……」


 リンは、ユーナとの秘密を話したくなかった。だが、自分のせいで他のメイド仲間まで余計な仕事を増やされていることには、後ろめたさを感じた。リンの心は激しく揺れ動いた。


 リンのはっきりしない態度は、ソフィーだけでなく、メリーの激情までも呼び起こした。メリーはリンに顔を近づけ、詰め寄る。


「私だって、悩んでるのよ! なんだか知らないけど、エリザベスお嬢様の機嫌も悪いし。私たち、助け合おうって約束した仲じゃない! どうして隠しごとするの?」


 メリーの怒りの勢いに、リンは恐れおののいて、思わず顔を横に背けた。メリーは、リンの長い横髪を右手でバッとつかむ。


「ヒィッ」


 リンは小さく叫んで、体を固くした。目には涙が受かんでいた。次の瞬間、メリーはハッと冷静に返って、リンの髪にからめた指をゆっくりと放した。


「ねえ……本当にあなたたち、二人で何やってるの? 昨日、ここで何やってたの?教えてよ……」


 メリーは瞳を潤ませ、信じられないといった表情を見せながら、言葉を続けた。


「こ、こんなに髪がサラサラだなんて……それに、こんなにいい匂いがするなんて……」


「えっ、そっち?」


 リンは顔を上げてメリーを見た。メリーの目は、好奇心に輝いていた。


「やっぱりメリーも、そう思うでしょ? ユーナお嬢様と同じ匂いよ!」


 ソフィーも、メリーに同調した。人差し指をビシッと突き付けながら、リンに迫る。 


「リンばっかりずるい! 私たちにも教えなさいよ!」


 ◆◇◆◇


 そのころ王宮では、第一王子のユート王子が、その美しく澄みわたる幼い瞳から、氷のような冷たい表情をのぞかせていた。


 彼が精査していたのは、昨日の誕生パーティー出席者名簿。あのパーティーの夜、中庭で自分の靴に吐きかけて逃げ出した女性が、いったい何者なのか調べようとしていたのだった。


「招待客は千人以上か……知らない名前ばかり、よくもこんなに集めたな」


 ごく限られた臣下以外の他人を常に遠ざけている王子は、昨夜も自分が主役でありながら、パーティー参加者との接触は極力避けて時間をやり過ごした。


 中庭での出来事の後、約三百家の貴族たちが一家族ずつ並んでお祝いの挨拶に来る儀礼だけは我慢して受けたが、その中にあの令嬢の顔はなかった。


「名前を見ても、全然分からん。やっぱり見つけるのは無理だな」


 まだあどけなさが残る柔らかな頬に左手をつきながら、王子は名簿を一行ずつ右手で指差して、だるそうに眺めていく。しかし、最終ページの欠席者リストを見たとたん、サッと真剣な顔つきになって、手を止めた。


「ユトリノ男爵家、令嬢……?」


 王子は思わず立ち上がった。そう言えば挨拶の儀式の時、娘が来てなくてどうのこうのと、青ざめた顔で謝罪めいた言葉を必死に述べる中年の男女が一組いたような。一家族につき制限時間十秒だったから、話の途中で室外に追い出されていたが。


「ユーナ・ユトリノ、十六歳か……」


 あの夫婦がユトリノ家という貴族の当主夫妻だったとすれば、挨拶には現れず欠席扱いとなった令嬢ユーナが、中庭で出会った女性なのだろう。ユート王子は、その黄金色の髪を軽くかき上げながら、推理をめぐらせた。


「恐らく、間違いない。こんな偶然があるわけはない。僕は、この人の秘密を知っている。この人が何をしに来たのかも、全部だ。全部……」


 ユート王子は両手をブルブルと震わせ、出席者名簿を今にも引き裂かんばかりに強く握りしめながら、そっとつぶやいた。


「この人は、この世界に存在してはいけない人間だ……」

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?