次の日の朝、男爵令嬢ユーナ・ユトリノを起こしにやって来たのは、リンだった。
「リン、戻って来たの⁉」
ユーナは大喜びで飛び起きた。
ところがよく見ると、リンの後ろに、クレア夫人専属メイドのソフィーと、エリザベス専属メイドのメリーが立っている。
「ヴァン様に頼んだんです」
ソフィーは軽くコホンと咳払いすると、口を開いた。
「ヴァン様からエリナさんに言ってもらって、リンを戻して頂きました」
エリナさんというのはクレア夫人の
「リンが馬小屋なんかに行ってたら、お屋敷の人手が足りなくなって、困りますからね」
メリーも続けて言った。
「そっか。あなたたちもリンの復帰に協力してくれたのね。ありがと」
ユーナは屈託のない笑顔でソフィーとメリーに礼を述べながら、リンの腰にもたれ掛かる。リンは、ユーナを両手でブロックしながら言った。
「ちょっ、ドサクサに紛れて何してるんですか? それより、お嬢様。ソフィーとメリーってば、どうして私たちの髪や肌がキレイで、いい
「そうなの?」
「昨日の夜、三人で一緒に洗濯してる間も、ずーっと聞かれてて。でも私、絶対に口を割りませんでした。そしたら今も、こうやってノコノコついてきて……ほんと、困っちゃいますよね。お嬢様から注意して頂けたら……」
リンは、苦笑いしながら肩をすくめた。ソフィーはユーナを上目遣いで見上げながら言う。
「お願いします、ユーナお嬢様!」
メリーもユーナに懇願する。
「私も、キレイになりたいですっ!」
「分かったよ。じゃあ今夜、洗濯小屋に全員集合ね!」
「えーっ、教えちゃうんですか?」
ふたりだけの秘密だったものが、ソフィーとメリーにもあっさり共有可能と知って、リンは少し残念そうな顔をした。
「そんな顔しないでよ、リン。誰だってキレイになりたいもん。その代わり、ソフィー、メリー。他の人にはバラしちゃダメよ。男爵夫人や、エリザベスにも。家族に言う時は、私が自分で言うから。それが条件よ」
メイドたちが退出した後、ユーナは敷地内の馬小屋まで朝の散歩へ出かけた。馬小屋では、フワン爺さんが忙しそうに馬小屋の掃除をしている。
「おはよう、フワンさん」
フワン爺さんは深々と一礼した。
「おはようございます。干し草風呂のおかげか、今日はずいぶんと体がよく動いて、仕事がはかどります」
「良かった。ところで、今日は馬を湯に入れないの?」
「馬を湯に入れるのは、普段は月一回ですよ。昨日はリンちゃんが応援に来て手が空いたから、予定外で湯沸かしをやれたわけでして」
聞けば、馬たちを湯に入れる日は、早朝から水を大量に汲んで運ぶのに、なんと二時間。湯沸かしには三時間ほどかけていたのだという。半日がつぶれる大仕事だったのだ。
「でも、お嬢様のためなら、五十リットルくらいだったら、毎日でも湯を沸かして差し上げますよ」
フワン爺さんから、心強い言葉をもらった。
だが、そんな余分な湯沸かし仕事を、毎日させるわけにはいかないだろうとユーナは思った。リンだって、馬小屋の手伝いにはもう行けない。
馬小屋で毎日「もらい風呂」ができるかと思ったけど、ちょっと当てが外れた。まあ、考えてみれば、そりゃそうだ。現代的な給排水設備や給湯器は、何もないんだから。
しばらくは洗濯小屋で行水したり、たまにフワン爺さんの好意に甘えて、少量の湯で干し草風呂をやるしかなさそうだ。
次に馬用の湯を大量に沸かす日までに、肩まで湯につかれる大きな浴槽を、何としても手に入れたい。大型飼い葉桶は、広さは問題ないが、深さが少し足りないように感じた。
「どこかにドラム缶はないかなあ、ドラム缶」
この異世界の金属加工技術が、まだドラム缶を量産できるほど発展していないのかもしれない。馬小屋にもなかったし、リンに聞いても、そんな大きな鉄の筒は見たことがないという。
午後も敷地内をウロウロしていると、屋敷の裏にあるワイン蔵の入口前に、大きな木の
樽の
「あっ……これこれ。これがいい!」
そうか、ドラム缶風呂にこだわって金属製のものばかり探したけど、別に、木製でもいいんだ。木の樽から顔だけ出してお風呂に入るなんて、前世で子供のころに遊んだおもちゃの「黒ひげ危機一発」みたいで、ちょっと面白い。ユーナはワクワクしながら考えた。
「ワイン樽なら、湯を入れたって漏れないよね。うん、完璧」
ユーナは樽の大きさを調べようと、割れた蓋を外して、中へ潜り込んだ。
ワイン樽の中へ入ると、内部はワインと木の芳香に満たされていた。直径五十センチから六十センチくらい、深さは九十センチくらいだろうか。
「容量二百リットルはありそうね。これは浴槽に使えるー!」
樽の中でガッツポーズをして喜んでいると、地下のワイン蔵から大きな声が聞こえてきた。
「ふざけるな!」
不穏な空気を感じたユーナは、ビクッとしながら息をひそめた。