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第八湯 ユーナ危機一髪!(前編)

 次の日の朝、男爵令嬢ユーナ・ユトリノを起こしにやって来たのは、リンだった。


「リン、戻って来たの⁉」


 ユーナは大喜びで飛び起きた。


 ところがよく見ると、リンの後ろに、クレア夫人専属メイドのソフィーと、エリザベス専属メイドのメリーが立っている。


「ヴァン様に頼んだんです」


 ソフィーは軽くコホンと咳払いすると、口を開いた。


「ヴァン様からエリナさんに言ってもらって、リンを戻して頂きました」


 エリナさんというのはクレア夫人の侍女じじょで、ソフィーたちの上司に当たる人だ。


「リンが馬小屋なんかに行ってたら、お屋敷の人手が足りなくなって、困りますからね」


 メリーも続けて言った。


「そっか。あなたたちもリンの復帰に協力してくれたのね。ありがと」


 ユーナは屈託のない笑顔でソフィーとメリーに礼を述べながら、リンの腰にもたれ掛かる。リンは、ユーナを両手でブロックしながら言った。


「ちょっ、ドサクサに紛れて何してるんですか? それより、お嬢様。ソフィーとメリーってば、どうして私たちの髪や肌がキレイで、いいにおいなのか教えて欲しいって、すごくしつこいんですよ」


「そうなの?」


「昨日の夜、三人で一緒に洗濯してる間も、ずーっと聞かれてて。でも私、絶対に口を割りませんでした。そしたら今も、こうやってノコノコついてきて……ほんと、困っちゃいますよね。お嬢様から注意して頂けたら……」


 リンは、苦笑いしながら肩をすくめた。ソフィーはユーナを上目遣いで見上げながら言う。


「お願いします、ユーナお嬢様!」


 メリーもユーナに懇願する。


「私も、キレイになりたいですっ!」


「分かったよ。じゃあ今夜、洗濯小屋に全員集合ね!」


「えーっ、教えちゃうんですか?」


 ふたりだけの秘密だったものが、ソフィーとメリーにもあっさり共有可能と知って、リンは少し残念そうな顔をした。


「そんな顔しないでよ、リン。誰だってキレイになりたいもん。その代わり、ソフィー、メリー。他の人にはバラしちゃダメよ。男爵夫人や、エリザベスにも。家族に言う時は、私が自分で言うから。それが条件よ」


 メイドたちが退出した後、ユーナは敷地内の馬小屋まで朝の散歩へ出かけた。馬小屋では、フワン爺さんが忙しそうに馬小屋の掃除をしている。


「おはよう、フワンさん」


 フワン爺さんは深々と一礼した。


「おはようございます。干し草風呂のおかげか、今日はずいぶんと体がよく動いて、仕事がはかどります」


「良かった。ところで、今日は馬を湯に入れないの?」


「馬を湯に入れるのは、普段は月一回ですよ。昨日はリンちゃんが応援に来て手が空いたから、予定外で湯沸かしをやれたわけでして」


 聞けば、馬たちを湯に入れる日は、早朝から水を大量に汲んで運ぶのに、なんと二時間。湯沸かしには三時間ほどかけていたのだという。半日がつぶれる大仕事だったのだ。


「でも、お嬢様のためなら、五十リットルくらいだったら、毎日でも湯を沸かして差し上げますよ」


 フワン爺さんから、心強い言葉をもらった。


 だが、そんな余分な湯沸かし仕事を、毎日させるわけにはいかないだろうとユーナは思った。リンだって、馬小屋の手伝いにはもう行けない。


 馬小屋で毎日「もらい風呂」ができるかと思ったけど、ちょっと当てが外れた。まあ、考えてみれば、そりゃそうだ。現代的な給排水設備や給湯器は、何もないんだから。


 しばらくは洗濯小屋で行水したり、たまにフワン爺さんの好意に甘えて、少量の湯で干し草風呂をやるしかなさそうだ。


 次に馬用の湯を大量に沸かす日までに、肩まで湯につかれる大きな浴槽を、何としても手に入れたい。大型飼い葉桶は、広さは問題ないが、深さが少し足りないように感じた。


「どこかにドラム缶はないかなあ、ドラム缶」


 この異世界の金属加工技術が、まだドラム缶を量産できるほど発展していないのかもしれない。馬小屋にもなかったし、リンに聞いても、そんな大きな鉄の筒は見たことがないという。


 午後も敷地内をウロウロしていると、屋敷の裏にあるワイン蔵の入口前に、大きな木のたるが、地面に横倒しで置かれてあるのをユーナは見つけた。


 樽のフタは片方が割れており、中身はすっかりからっぽだった。ユーナは目を輝かせた。


「あっ……これこれ。これがいい!」


 そうか、ドラム缶風呂にこだわって金属製のものばかり探したけど、別に、木製でもいいんだ。木の樽から顔だけ出してお風呂に入るなんて、前世で子供のころに遊んだおもちゃの「黒ひげ危機一発」みたいで、ちょっと面白い。ユーナはワクワクしながら考えた。


「ワイン樽なら、湯を入れたって漏れないよね。うん、完璧」


 ユーナは樽の大きさを調べようと、割れた蓋を外して、中へ潜り込んだ。


 ワイン樽の中へ入ると、内部はワインと木の芳香に満たされていた。直径五十センチから六十センチくらい、深さは九十センチくらいだろうか。


「容量二百リットルはありそうね。これは浴槽に使えるー!」


 樽の中でガッツポーズをして喜んでいると、地下のワイン蔵から大きな声が聞こえてきた。


「ふざけるな!」


 不穏な空気を感じたユーナは、ビクッとしながら息をひそめた。

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