それは、執事のブランメールの声だった。出入りの商人と、ワイン蔵の中で何やら言い争っている。
「とにかく返金してくれ。注文したワインがやっと届いたと思ったら、樽が破損してて、中身は空っぽだったんだぞ?」
「そう言われましても。届いた後で壊れたかもしれませんし」
「何だ? ワインを全部飲んでから樽を壊した、とでも言うのか? 一日で全部飲めるわけないだろう。絶対に全額返金してもらわんと困る」
「取りあえず、樽を店に持ち帰って、原因を調査してからお返事致しますので」
「そんなこと言って、返金しないつもりだろう。サギじゃないか! 訴えてやるぞ」
商人たちがワイン蔵から出てくる足音が聞こえた。ユーナは、樽の中から抜け出すタイミングを失った。
「まったく、ギャーギャーと口うるさい執事だ。おい、運ぶぞ」
商人たちは、横倒しの樽を手で押して、地面の上をゴロゴロと転がしながら運び始めた。
「ぎゃー! あいたたたたた」
回転する樽の中でグルグル目を回して、ユーナは軽く悲鳴を上げた。
「おい、今なんか変な声がしなかったか?」
「鳥かなんかだろう」
「そうか。しかし、空っぽなのに、この樽、やけに重くないか? 全然進まねえぞ!」
商人の1人が、回転に勢いをつけようと、思いっ切り樽を蹴飛ばした。
「ぎゃー」
しばらくして、ようやく回転が止まった。樽の中のユーナは、パーティーの夜以来の強烈な目まいと吐き気で、もはや息も絶え絶えだった。
商人たちは、蓋が付いている側を持ち上げて樽を起こし、縦にして地面に立てた。ユーナは、樽の中でしゃがんだまま、地面に足がついた。
「ちょっと休憩しよう。やっぱりこの樽、空っぽの割には、異様に重いぞ? これを荷馬車に積むのは大ごとだ」
「いっそ、ハンマーで叩き壊して、そのへんに捨てていくか? どうせ、原因調査も返金もしないんだから」
商人たちの会話を聞いて、樽の中にいるユーナは震え上がった。樽をハンマーで壊されて、樽から生まれた樽太郎は脳天カチ割られましたなんて、シャレにもならない。
ユーナは、頭上を
「どぉりゃーっ!」
樽じたいの重さは、ユーナの体重と同じくらい重かった。しかし、昨日から体力アップを実感していた彼女は、これなら持ち上げられるという確かな自信があった。火事場の馬鹿力を発揮して、ユーナは内側から樽をグイッと持ち上げることに見事成功する。
「た……樽を壊せば、
ユーナは変な低い声を出しながら、
「樽のお化けだ!」
恐怖にかられた商人たちは、金貨の入った袋を地面に放り投げながら、振り絞るような声で泣きわめいた。
「もう叩き壊すなんて言わないから、許してくれ! 金も全部返す!」
商人たちは、先を争ってぶつかり合いながら荷馬車へ乗り込んだ。一刻も早く、この屋敷から逃げたかったのだ。
荷馬車が全速力で走り去った後、ユーナは樽からゴソゴソと
「全額、返金に応じてくれましたよ」
「ええっ⁉」
「あの空き樽は、処分しておきますねー」
金貨の袋をホイと渡されて、手を震わせ、目が点になっているブランメールをその場へ放置したまま、ユーナはゴロゴロと樽を転がして運び去った。
「しめしめ。危なかったけど、いい浴槽が手に入って良かったなあ」
ユーナは心の底から、満足そうな笑みを浮かべるのだった。