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第八湯 ユーナ危機一髪!(後編)

 それは、執事のブランメールの声だった。出入りの商人と、ワイン蔵の中で何やら言い争っている。


「とにかく返金してくれ。注文したワインがやっと届いたと思ったら、樽が破損してて、中身は空っぽだったんだぞ?」


「そう言われましても。届いた後で壊れたかもしれませんし」


「何だ? ワインを全部飲んでから樽を壊した、とでも言うのか? 一日で全部飲めるわけないだろう。絶対に全額返金してもらわんと困る」


「取りあえず、樽を店に持ち帰って、原因を調査してからお返事致しますので」


「そんなこと言って、返金しないつもりだろう。サギじゃないか! 訴えてやるぞ」


 商人たちがワイン蔵から出てくる足音が聞こえた。ユーナは、樽の中から抜け出すタイミングを失った。


「まったく、ギャーギャーと口うるさい執事だ。おい、運ぶぞ」


 商人たちは、横倒しの樽を手で押して、地面の上をゴロゴロと転がしながら運び始めた。


「ぎゃー! あいたたたたた」


 回転する樽の中でグルグル目を回して、ユーナは軽く悲鳴を上げた。


「おい、今なんか変な声がしなかったか?」


「鳥かなんかだろう」


「そうか。しかし、空っぽなのに、この樽、やけに重くないか? 全然進まねえぞ!」


 商人の1人が、回転に勢いをつけようと、思いっ切り樽を蹴飛ばした。


「ぎゃー」


 しばらくして、ようやく回転が止まった。樽の中のユーナは、パーティーの夜以来の強烈な目まいと吐き気で、もはや息も絶え絶えだった。

 商人たちは、蓋が付いている側を持ち上げて樽を起こし、縦にして地面に立てた。ユーナは、樽の中でしゃがんだまま、地面に足がついた。


「ちょっと休憩しよう。やっぱりこの樽、空っぽの割には、異様に重いぞ? これを荷馬車に積むのは大ごとだ」


「いっそ、ハンマーで叩き壊して、そのへんに捨てていくか? どうせ、原因調査も返金もしないんだから」


 商人たちの会話を聞いて、樽の中にいるユーナは震え上がった。樽をハンマーで壊されて、樽から生まれた樽太郎は脳天カチ割られましたなんて、シャレにもならない。

 ユーナは、頭上をおおう樽の蓋に両手を当て、全力で足を踏ん張った。


「どぉりゃーっ!」


 樽じたいの重さは、ユーナの体重と同じくらい重かった。しかし、昨日から体力アップを実感していた彼女は、これなら持ち上げられるという確かな自信があった。火事場の馬鹿力を発揮して、ユーナは内側から樽をグイッと持ち上げることに見事成功する。


「た……樽を壊せば、ばち当タル!」


 ユーナは変な低い声を出しながら、渾身こんしんの力を振りしぼってゆっくりと立ち上がった。頭からスッポリと樽をかぶり、樽の下から足を出してユラリと大地に立つユーナを見て、商人たちは腰を抜かした。


「樽のお化けだ!」


 恐怖にかられた商人たちは、金貨の入った袋を地面に放り投げながら、振り絞るような声で泣きわめいた。


「もう叩き壊すなんて言わないから、許してくれ! 金も全部返す!」


 商人たちは、先を争ってぶつかり合いながら荷馬車へ乗り込んだ。一刻も早く、この屋敷から逃げたかったのだ。


 荷馬車が全速力で走り去った後、ユーナは樽からゴソゴソとい出して、金貨の袋を拾い上げた。そして、ワイン蔵から出てきたブランメールに声をかける。


「全額、返金に応じてくれましたよ」

「ええっ⁉」

「あの空き樽は、処分しておきますねー」


 金貨の袋をホイと渡されて、手を震わせ、目が点になっているブランメールをその場へ放置したまま、ユーナはゴロゴロと樽を転がして運び去った。


「しめしめ。危なかったけど、いい浴槽が手に入って良かったなあ」


 ユーナは心の底から、満足そうな笑みを浮かべるのだった。

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