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第九湯 地獄の釜が開きました(後編)

 この日のため、既にフワン爺さんに頼んで、ワイン樽の底には鉄板を取り付けてもらった。


蹄鉄ていてつ打ちの要領で、びょうを打っておきましょう。こうすれば、そうたやすく水漏れはしませんよ」


 レンガも集めてある。昔、屋敷を修繕した時に余ったまま、庭の片隅に放置されていたのを見つけたのだ。


 豆や穀物を入れるのに使う亜麻袋も、屋敷にたくさんあった。ユーナは亜麻袋をはさみで切り、湯あみ着を作ってみた。


「湯あみ着があれば、裸にならなくてもみんなで入浴できるもんね」


 シャツは頭と両腕を出す所に穴を開け、ズボンは足を出す所に穴を開けただけの亜麻袋。ずり落ちないように、ズボンはわらのロープで縛る。


 縫製も充分に出来ておらず、学芸会衣装みたいな簡素な代物ではあったが、今回のユーナの計画には、これが必要不可欠だった。


 日が暮れて、男爵夫妻とエリザベスは、従者代わりのヴァン・ダイノンと侍女エリナを伴い、馬車で夜会に出かけていった。


 ヴァン・ダイノンは、一人で留守番させられるユーナへ、心配そうに何度もチラチラと視線を送った。全然気にしてないから、早く行ってくれ。ユーナはそう思いながら、使用人たちと一緒に笑顔で馬車を見送った。


 孤独な夕食タイムが終わると、ユーナは屋敷をコッソリ抜け出して庭に出た。馬小屋の横に隠してあったレンガを「コ」の字型に積み上げ、簡易かまどを作る。


 かまどが完成したころ、皿洗いを終えたリンたちも、ガラガラと台車を押しながら井戸水を運んできた。


 いよいよ最重要の作業である。ユーナと三人のメイドが、樽を乗せた鉄板に手をかけ、地面から持ち上げた。


「せーの!」


 四人は協力して、汗だくになりながら鉄板と樽を運んでいく。


「よいしょ、よいしょ!」


 リンたち三人のメイドは、あまりの重さで、何度もフラついていた。そのたびにユーナが、両腕に力を込めてしっかりと支え、態勢を立て直す。みんなで掛け声を出しながら、息を合わせ、ようやくかまどの上に鉄板と樽を設置することができた。


「やったー!」


 フワン爺さんが馬小屋から出てきて、火おこしを手伝ってくれた。はしごを樽にかけて、みんなでバケツリレーしながら樽の中に水を注いでいく。一時間ほどで、湯は適温に整ってきた。


「よし、それじゃ入るわよ!」


 ユーナとメイドたちは、フワンの部屋を一時借り、亜麻布の湯あみ着へと着替えた。部屋から出てきたユーナは、フワンにも湯あみ着を差し出しながら言う。


「フワンさんも、着替えてきては?」


「いやいや、遠慮しておきましょう」


 やはり湯に入るのは、まだ抵抗があるらしい。フワンは馬小屋前の椅子に座ったまま動かず、笑みをたたえながらユーナたちの様子を見守っていた。


 いよいよユーナが、一番手で樽風呂に入る時が来た。焼けた鉄板でやけどをしないように、ワイン樽の蓋だった板を踏みながら、樽の底へとゆっくり足を沈めていく。


「あっ……すっごい。最高……」


 湯沸かしの過程で、ワインのアルコール分は既に飛んでいた。だが、残ったブドウと木材の香りが、ほんわりと湯気に乗って匂い立つ。ユーナは樽風呂の湯へ、徐々に肩まで浸かっていった。湯の心地良い圧力が、彼女の全身を優しくマッサージする。


「もうダメ、気持ち良すぎる……やっぱり私、お風呂がないと生きていけない……」


 前世ぶりの、温かい湯に満たされた湯船での全身浴。押し寄せる大きな快感と達成感に、今まで準備で動きまわった疲れをすっかり忘れるほどの、しびれるような感覚をユーナは満足するまで味わった。


 ユーナが樽風呂を出た。次はリンが入浴する番である。


「その板を踏みながら入るのよ、リン」


「はい、お嬢様……あっ、熱いお湯が……」


 リンは樽の端を両手でギュッと握りながら、そのスリムな体を、恐る恐る沈めていく。


「はぁ……すごく、イイです……体が空にフワフワ浮いてるみたいで、とろけちゃいそうです、お嬢様……これが、肩まで浸かるお風呂の素晴らしさなんですね!」


 目を細めながら、リンはニッコリ笑った。長らく「本物のお風呂」を待ち望んでいた彼女にとって、樽風呂の成功は、感慨もひとしおだった。


 さらに交代で、ソフィーとメリーも順番に入浴する。


「あったかい……」


 樽から顔を出して頬を紅潮させながら、ソフィーは恍惚の表情を見せた。


「気持ちいい……」


 樽から溶け出したポリフェノール成分が、肌に艶を与え、キュッと引き締めていく感覚。メリーは爽快感に、喜びの声を上げる。


 四人の少女は、夜更けの露天樽風呂を心ゆくまで楽しむのだった。

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