「ハーイどうも、今回は、兵庫県豊岡市の
「カニ食べたい」
「ゆなちゃん食べたい」
「
視聴者たちがすばやくチャットを送信した。
「こら、ゆなって
柚菜は、彼女の本名をわざと書き込む害悪リスナーに抗議した。チャンネル開設当初、本名の下の名前そのままの「ゆな」を名乗って配信していたのは、周知の黒歴史だ。今さら隠せるものでもなかったが、そもそも柚菜は、自分の本名があまり好きではない。
「で、志賀直哉の小説。そうそう、『
柚菜は、城崎温泉街・駅通りの
「あの主人公、山手線の電車にはねられて、城崎温泉に来るんですよ。まるで、異世界転生みたいですよねっ」
文豪・志賀直哉が電車事故で負傷し、城崎温泉で温泉治療した経験をもとに書かれた名作が、『城の崎にて』だ。
主人公は散歩中に蟹を眺めたり、旅館で蜂の死骸を見つけたり、石を投げられて逃げ回る鼠を見たり、自分が投げた石でイモリを死なせたりする。そして、生と死についてあれこれと悩む。
「なんでイモリ死なせてんだよ! ってね」
橋を渡って左へ曲がると、川沿いの美しい柳並木が、画面に映った。しかし柚菜は、景色よりも食べ歩きに興味がある。
「松葉ガニと
買い回ったテイクアウトメニューを、次々と紹介していく。
笹の葉に包まれた、「カニおこわ」のおにぎり。モッチモチの揚げ天に、カニの脚が一本丸ごと入った「かに棒」。但馬牛メンチカツや但馬牛まんは、噛むと口の中に肉汁が溢れる。
「城崎温泉では、旅館のお風呂を
コウノトリが傷を湯で
後堀河天皇の姉君が訪れた、
柳の下から湧き出した、柳湯。
地元の人々に古くから親しまれる、地蔵湯。
有名な漢方医・香川修徳が『天下一』と太鼓判を押した、一の湯。
定休日が全部違うんで、全店営業してる週末に行くのが、外湯を回るオススメの攻略法ですねー!」
外湯めぐりをゲームの攻略にたとえる柚菜の説明に、視聴者が一斉に反応した。
「全部回る気かよ」
「謎の使命感(笑)」
「RPGのクエストみたいだな」
「勇者じゃなくて湯者?」
柚菜は、さっそく「一の湯」から、外湯
「海に近い、城崎温泉。泉質は、ナトリウム・カルシウムー塩化物泉です!」
塩化物泉とは、温泉水一キログラム中に溶けている成分が千ミリグラムを超え、そのうち陰イオンの主成分が塩化物イオンであるものを言う。
「要するに、塩分が溶け込んだ温泉ですね!」
塩化物泉の湯に浸かると、体がカッカと温まり、
「複数の温泉施設を回るから、湯冷めしにくいのは、すっごくありがたい泉質です。飲んだら、胃炎や便秘にも効くらしいですよ!」
一の湯の前にある飲泉場で、ユーナは塩化物泉の湯を飲む。
「一の湯には、洞窟風呂もあるそうです。楽しみー!」
天然の岩盤を削り出したドームの中に、設置された洞窟風呂。外気も入るから、半露天風呂である。ライトアップされた神秘的なムードの中で、ゴツゴツの岩肌を背中に感じながら、城崎温泉の湯へ肩まで浸かるのだ。
「洞窟風呂だなんて、マジでダンジョン攻略っぽいよね。やっぱ、ここって異世界……?」
◆◇◆◇
「……ユーナお嬢様、起きて下さい! ごはんですよ!」
「ぐお?」
華麗なる男爵令嬢ユーナ・ユトリノは、馬車で気持ちよく寝ていたところを、御者のライアンにデカい声で起こされ、目を覚ました。
(また、前世の夢?)
ユーナは、夢の記憶と、昨夜のワイン樽風呂の湯の感触を交互に思い出しながら、馬車を降りる。
王都を離れ、辺境の男爵領を目指す旅の初日。旅のお供は、馬車を操縦する若きライアン。そして護衛を務める騎士のヴァン・ダイノンである。
朝から何も食べてない三人は、街道ぞいの村の食堂へ入ることにした。貴族でもユトリノ男爵家くらいの規模だと、旅先では、主人と使用人の席を分ける余裕もない。三人は同じ席に座ることにする。ライアンが即座に口を開いた。
「この店は、野菜スープがおすすめですよ。」
王都では、食堂やレストランをあまり見かけない。貴族の屋敷には専属の料理人がいるし、庶民は貧しすぎるから、外食産業が発展しないのだ。
しかし街道沿いには、旅人のために食事を出す店が多い。御者であるライアンは王都の外へ出かける機会も多く、そういったグルメ情報に詳しかった。
「野菜のスープ?肉は入ってないの?」
「庶民の店ですからねえ。おーい!スープセットを三人前頼む!」
腹ペコでガッツリ食べたいユーナの不安をよそに、ライアンは勝手に仕切って注文を出した。程なくして、パンとチーズを添えたライアンおすすめのスープセットが運ばれてきた。
なるほど、ユーナが想像したよりも、はるかに多くの種類の野菜がギッシリ詰め込まれた、具だくさんのスープだ。
にんじん・玉ねぎ・豆類を中心に、素材は長い時間をかけてコトコトと煮込まれ、味付けはコンソメとバター。充分に食べごたえがあった。
「なるほど、要はトマトなしのミネストローネよね」
「トマ……ミネ……何ですかお嬢様?」
「何でもない。これ、すごくおいしいよ!ライアン、ありがと」
「いやあ、お嬢様に気に入って頂けて何よりです」
ライアンは頭に手をやりながら、照れ笑いした。
パンとチーズも、なかなか美味だった。
しかし、ある重大なことに、ユーナはやがて気づいた。
よく見ると、ユーナの分の食事が、ライアンやヴァン・ダイノンより少ないのだ。スープは皿じたいのサイズが違うし、パンとチーズも、明らかに小さい。
「ちょっと、どういうこと? 私の分の食事が、少ないんだけど!」
「お嬢様が貴婦人姿だから、店主が余計な気を回して、少なめに出したんでしょう。あまり大声で怒らんで下さい。庶民いじめと思われる」
ヴァン・ダイノンはユーナを制止して、まだ手をつけていない自分のパンとチーズを、ユーナの分と取り換えてやるのだった。