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第十二湯 ユーナ・ユトリノは勇者と呼ばれたい(後編)

 食堂を出た後、馬車の中で、ユーナは不満げに口走った。


「箱入り娘扱いはうんざりよ。お腹をコルセットで締め付けながら旅行するなんて、もう無理っ。実は、騎士学校時代の服を持って来たの。ここからはコルセットを外して、これを着て、男装の剣士姿で旅してみたいなぁ」


 そして、小悪魔のような笑みを浮かべる。


「名前もユーナじゃなくて、ユーシャって呼んでほしいかも」


 ヴァン・ダイノンは、あきれながら答えた。


「お嬢様、それはいけません」


「なんで? おとなしく辺境に行くんだし、それくらいの自由は認めてよ」


「野盗などが襲ってきた時、かえってお嬢様が戦闘に巻き込まれやすくなる。危険です」


 馬車の中での言い争いに飽きたユーナは、こう提案した。


「だったら、私の剣の実力を見てよ。練習試合で私が勝ったら、男装を許可して」


「お嬢様に勝ち目はありませんが、まあ、良いでしょう」


 ヴァン・ダイノンは、ヤレヤレとため息をついた。そもそも、ユーナに剣術を教えたのは他ならぬ彼だ。彼女の実力は良く知っている。勝負になるわけがないと思った。


 馬車を止め、街道ぞいの草原で、二人は練習用の木剣を握りながら向かい合った。ユーナは姿勢を低くして、慎重に間合いを測る。一方のヴァン・ダイノンは、自信たっぷりに木剣を高く構えた。二人がにらみ合う中、ライアンは馬車から、ハラハラして見守る。


 最初に仕掛けたのはヴァン・ダイノンだった。先手必勝の剛剣。雄叫びを上げてユーナに突進し、圧倒的パワーで振り下ろす。しかしユーナの動きは、以前に比べて飛躍的に速く、鋭くなっていた。


(なっ、何だこの動きは……?)


 ヴァン・ダイノンの顔に、かすかなあせりの色が浮かぶ。


(そう言えば、必殺技を秘密特訓してるとか言ってたが……まさか、本当だったのか⁉)


 ユーナは、すばやい回避行動でヴァン・ダイノンの攻撃をかわし、隙を突いて反撃の突き技を繰り出した。まさに神速の動き。ヴァン・ダイノンは上体をのけぞらせるが、避け切れなかった。ユーナの剣先が、今まさに、ヴァン・ダイノンへ届く。


 しかしその寸前、突如として透明な壁が現れ、ユーナの一撃を弾き返した。防御魔法を発動させる魔道具の宝玉が、二人の間に投げ込まれたのだ。


「これ以上続けたら、どっちかが怪我すると思って……。出しゃばって、すみません」


 魔道具を投げ込んだのは、ライアンだった。ライアンは帽子を取り、頭を下げた。


「預けた貴重な魔道具を無駄づかいするな、ライアン。だが、いい判断だ。試合はここまで」


 ヴァン・ダイノンは静かに告げ、木剣を収めた。


「ちょっと待ってよ。こんなの、やり直しよ!」


 ユーナは猛然と抗議したが、ヴァン・ダイノンは首を縦に振らなかった。


「私は護衛で、お嬢様の身をお守りするのが任務です。どっちが怪我しても、任務は全うできない。私の判断ミスでした。今のお嬢様の剣の腕前は、相当なものですしね」


 ヴァン・ダイノンの言葉を聞いたユーナは、しばらく考え込んだ後、勝ち誇ったような笑みを見せた。


「つまり、私の勝ち……ってこと? 男装してもいいのね?」


「それとこれとは話が別ですが……仕方ないですね。男装は許可しましょう。ただし、名前はユーシャとかじゃなくて、ユーナ様のままで、お願いしますよ」


 こうして、ユーナは騎士学校の制服に着替え、男装の剣士にふんしながら、旅を続けることに決まった。


「よーし、田舎に行っても、俺はまたお風呂を作るぜ!」


 男口調で宣言したユーナを見て、ヴァン・ダイノンは頭を抱えながら、愚痴をこぼす。


「男爵領へ着くまでに、私の胃に穴が開かなければ良いのですが……」


 ライアンは楽しげに笑いながら、手綱を打ち付けて馬車を発進させた。出発初日から、三人の間には不思議な連帯感が生まれていた。


 五月の緑風が吹き抜ける街道を、馬車は静かに進んでいく。三人を待ち受ける旅路で、これから何が起きるのか。この時はまだ、誰も知らなかった。


 賢さと無邪気さが同居するユーナの眼は、晴れ渡る青空の彼方を見上げていた。今、ただ一つだけ確かなのは、その琥珀色の瞳に燃え盛る、お風呂への強烈な意志だけであった。

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