食堂を出た後、馬車の中で、ユーナは不満げに口走った。
「箱入り娘扱いはうんざりよ。お腹をコルセットで締め付けながら旅行するなんて、もう無理っ。実は、騎士学校時代の服を持って来たの。ここからはコルセットを外して、これを着て、男装の剣士姿で旅してみたいなぁ」
そして、小悪魔のような笑みを浮かべる。
「名前もユーナじゃなくて、ユーシャって呼んでほしいかも」
ヴァン・ダイノンは、あきれながら答えた。
「お嬢様、それはいけません」
「なんで? おとなしく辺境に行くんだし、それくらいの自由は認めてよ」
「野盗などが襲ってきた時、かえってお嬢様が戦闘に巻き込まれやすくなる。危険です」
馬車の中での言い争いに飽きたユーナは、こう提案した。
「だったら、私の剣の実力を見てよ。練習試合で私が勝ったら、男装を許可して」
「お嬢様に勝ち目はありませんが、まあ、良いでしょう」
ヴァン・ダイノンは、ヤレヤレとため息をついた。そもそも、ユーナに剣術を教えたのは他ならぬ彼だ。彼女の実力は良く知っている。勝負になるわけがないと思った。
馬車を止め、街道ぞいの草原で、二人は練習用の木剣を握りながら向かい合った。ユーナは姿勢を低くして、慎重に間合いを測る。一方のヴァン・ダイノンは、自信たっぷりに木剣を高く構えた。二人がにらみ合う中、ライアンは馬車から、ハラハラして見守る。
最初に仕掛けたのはヴァン・ダイノンだった。先手必勝の剛剣。雄叫びを上げてユーナに突進し、圧倒的パワーで振り下ろす。しかしユーナの動きは、以前に比べて飛躍的に速く、鋭くなっていた。
(なっ、何だこの動きは……?)
ヴァン・ダイノンの顔に、かすかな
(そう言えば、必殺技を秘密特訓してるとか言ってたが……まさか、本当だったのか⁉)
ユーナは、すばやい回避行動でヴァン・ダイノンの攻撃をかわし、隙を突いて反撃の突き技を繰り出した。まさに神速の動き。ヴァン・ダイノンは上体をのけぞらせるが、避け切れなかった。ユーナの剣先が、今まさに、ヴァン・ダイノンへ届く。
しかしその寸前、突如として透明な壁が現れ、ユーナの一撃を弾き返した。防御魔法を発動させる魔道具の宝玉が、二人の間に投げ込まれたのだ。
「これ以上続けたら、どっちかが怪我すると思って……。出しゃばって、すみません」
魔道具を投げ込んだのは、ライアンだった。ライアンは帽子を取り、頭を下げた。
「預けた貴重な魔道具を無駄づかいするな、ライアン。だが、いい判断だ。試合はここまで」
ヴァン・ダイノンは静かに告げ、木剣を収めた。
「ちょっと待ってよ。こんなの、やり直しよ!」
ユーナは猛然と抗議したが、ヴァン・ダイノンは首を縦に振らなかった。
「私は護衛で、お嬢様の身をお守りするのが任務です。どっちが怪我しても、任務は全うできない。私の判断ミスでした。今のお嬢様の剣の腕前は、相当なものですしね」
ヴァン・ダイノンの言葉を聞いたユーナは、しばらく考え込んだ後、勝ち誇ったような笑みを見せた。
「つまり、私の勝ち……ってこと? 男装してもいいのね?」
「それとこれとは話が別ですが……仕方ないですね。男装は許可しましょう。ただし、名前はユーシャとかじゃなくて、ユーナ様のままで、お願いしますよ」
こうして、ユーナは騎士学校の制服に着替え、男装の剣士に
「よーし、田舎に行っても、俺はまたお風呂を作るぜ!」
男口調で宣言したユーナを見て、ヴァン・ダイノンは頭を抱えながら、愚痴をこぼす。
「男爵領へ着くまでに、私の胃に穴が開かなければ良いのですが……」
ライアンは楽しげに笑いながら、手綱を打ち付けて馬車を発進させた。出発初日から、三人の間には不思議な連帯感が生まれていた。
五月の緑風が吹き抜ける街道を、馬車は静かに進んでいく。三人を待ち受ける旅路で、これから何が起きるのか。この時はまだ、誰も知らなかった。
賢さと無邪気さが同居するユーナの眼は、晴れ渡る青空の彼方を見上げていた。今、ただ一つだけ確かなのは、その琥珀色の瞳に燃え盛る、お風呂への強烈な意志だけであった。