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第十三湯 王子殿下の秘密指令(後編)

 翌朝。出発前にユーナは、風呂がないなら、せめて川で水浴びをしたいと言い出した。ヴァン・ダイノンが止める。


「ダメです。お嬢……ユーナ殿。街道沿いは人目があります」


「川岸は見渡す限り、背の高い草が生えてるじゃないか。上流の方へ十五分も歩けば、誰も来やしないぜ」


 結局、ユーナのわがままに付き合って、ヴァン・ダイノンが一緒に川沿いの草むらを進む羽目となった。ライアンは馬車で待機する。


 ユーナとヴァン・ダイノンが川岸をしばらく進むと、対岸の小高い岩山から流れ落ちる、美しい滝が見える場所へと出た。ユーナはそこで足を止める。


「この辺でいいだろう。見ろ! ヴァン。立派な滝だよなあ。壮観だぜ」


「ここで見張ってますから、早く済ませてきて下さいよ……あと、なんで誰もいないのに、その口調なんですか」


 ユーナは草むらに身を隠しながら男装を脱ぎ捨て、川の中へ入った。朝の水は、まだ冷たかった。対岸の滝つぼまで移動し、朝日にきらめく落水へと、手をかざしてみる。


「あっ……滝のほうは、水温が少し高いかも?」


 滝を天然のシャワーとして利用しながら、ユーナは丹念に髪と体を清めることにした。すると、すぐ後ろから、パシャンという音が聞こえてきた。


 ユーナが視線を送ると、滝つぼの水面から、何度も跳び上がっている魚が見えた。体長は、三十センチほど。体は青白く、左目の下には、黒いほくろのような愛らしい模様がある。


「ひょっとして、この魚、滝を登ろうとしてるのかな?」


 高さ約五メートルほどの滝。人間の走り高跳び選手でも、飛び越すのは無理だろう。魚は、届くはずもない滝の上に向かって、繰り返しジャンプした。そしてそのたびに力及ばず、滝の水に押し返されていた。


「いやいや、無謀過ぎるよ……いくらがんばっても、無理なものは無理。そのうち力尽きて、死んじゃったらどうするの?」


 ユーナは魚の様子を悲しげに見つめながら、いつしか、自分の今の境遇を、その魚に重ね始めていた。


 そうか。お風呂がない世界で湯や水に入りたがる私って、異世界人の目から見たら、人間の国で暮らしてる半魚人みたいに映ってるんだろうな。


 そして、お風呂がない世界で、お風呂を作ろうとしてる自分は、この魚と同じくらい無謀な挑戦をしてるんだ。


 それでもやっぱり、魚は水がないと生きられない。


 そしてこの魚は、滝に登らずにはいられない。


 魚に「あきらめればいいのに」とか言ったって、納得するだろうか?


 ユーナは、あれこれと悩むのはやめにした。自分は、志賀直哉を気取る柄じゃない。今は、行動の時だと思った。なぜだかは分からないけど、私は今、この魚を助けたい。


「魚さん、余計なお世話かもだけど、手助けさせてね」


 ユーナはそう言うと、魚をつかみ捕りで手際良く捕まえ、右腕に抱きかかえた。


 ユーナは滝の上を目指して、その青みがかった岩山の崖を、スルスルとい登っていった。

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