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第十五湯 泉女降臨(前編)

 水竜はユーナを乗せて急上昇すると、滝の上へとさらに連なる大きな滝を次々と越え、緑青色の岩山の遥か上空に舞い上がった。ユーナは全身の力を両手にこめ、水竜にしがみつきながら、歓声を上げた。


「わー! すごい、すごい! こんなに高く飛べるの⁉」


 水竜は、猛スピードで谷間を目がけて降りたかと思うと、再び高度を上げて山々を左右にかわし、優雅に雲を越え、きらめく湖水の上を滑るように旋回した。


「めっちゃえる湖……まるで鏡みたい!」


 ユーナは一瞬だけ右手を放して、拳を高くノリノリで突き上げた。水竜は荒涼とした大地を越え、風を切って飛び続ける。


「次はどこへ行くの?」


 やがて水竜は、美しい滝が山肌を流れ落ちる緑青色の岩山へ舞い降りた。


「あれ? ここは元の場所だよね?」


 濃い霧が立ちこめる山の高台に、水竜は着陸する。ユーナは手を放して地上に飛び降りると、水竜に尋ねた。


「もしかして今のは、サービスで遊覧飛行してくれたの? 遊園地のアトラクションみたいな?」


 水竜は何も答えなかった。


 高台に降りると、霧の奥に木々の影がぼんやりと見えた。神秘的なムードに誘われて、ユーナはゆっくりと木々のほうへ進む。


 すると霧の中から、木陰に囲まれた小さな池が見えてきた。池の水は周囲の岩の色を反射して、深い青緑色をたたえている。


「きれい……」


 ユーナは、その池にそっと手をひたした。手に、ほんのりと温かい感覚が伝わってくる。


「えっ、嘘でしょ……これって、温泉? 温泉なの⁉」


 ユーナは、まだ自分の発見が信じられなかった。この世界にも、人々にその価値を知られぬまま、こんこんと地の底から湧く天然の温泉が、しっかりと存在していたのだ。


 お風呂文化を知らない異世界人の国でも、大自然の恵みは、慈悲深く平等であり、偉大であった。ユーナは興奮と感動を抑えきれずに叫んだ。


「やっぱり温泉だ! こんなところにあったなんて!」


 専門家の手で管理されていない源泉そのままの温泉にいきなり入るなど、常識的に考えれば無謀極まりない行為ではある。


 だが、水竜はきっとこの温泉へ導くために自分を乗せてくれたのではないか、とユーナは直感した。


 泉質を化学分析するための機材もない今、水竜の恩返しを信じることに、今は賭けてみるしかない。


 ユーナは、試しに湯を口に含んでみた。匂いは無臭。かすかな塩味が、口の中に広がる。間違いなく塩化物泉だ。


 お風呂大好きユーナさんの行動はすばやかった。迷いなく服を脱ぎ捨て、湯の中に足を差し入れる。


「うはぁ、絶妙にいい感じの温度……!」


 ユーナは手のひらに湯を2回、3回とすくって体にかけ、湯温を確かめると、たまらずザブンと飛び込んだ。天然温泉の湯が肌を包む感触は、他では味わえない特別なものだ。


「塩化物泉ということは、この岩山全体を覆ってる青緑色の岩って、緑色凝灰岩グリーンタフなのかな?」


 緑色凝灰岩グリーンタフとは、堆積たいせきした火山灰が変質して出来た緑青色の石である。日本では、高級浴槽の素材に使われる十和田石とわだいしが有名だ。


「きっと何千万年も前に、この山の緑色凝灰岩グリーンタフが海の水を吸収して、スポンジみたいにそのまま成分を保持しているのね」


 だから、この岩山に湧き出す温泉は、内陸地にもかかわらず、海水成分が混じって塩化物泉になるのだ。


 そして湧き出した温泉は、少しずつ岩場を流れて、徐々にめながら何段もの滝となって落水し、川へと注いでいるのだろう。


「きっと大昔は、このあたり一帯が海だったんだね……」


 ユーナはこの世界に生まれてから、まだ海を見たことがない。彼女にとって海の記憶は、前世での思い出が全てだ。塩化物泉特有の温熱感と、肌への程よい刺激が、どこか懐かしい感覚を呼び起こして、ユーナの疲れた心をリラックスさせた。


 その時だった。虚空から声が響きわたり、温泉の静寂を切り裂いた。


「レベルアップ、おめでとうございます!」


 突然、ユーナの体が光に包まれた。彼女は不測の事態に驚きながらも、自分の体の奥底に、電流が走るような強烈なパワーが湧き上がるのを感じ取った。

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