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第5話 新しいお客様

「イノシシの肉ってもっと臭いと思ってました……!」

 テオはイノシシ鍋を一口食べて、目をキラキラさせて顔を上げた。

 あまりにも嬉しそうにするものだから、グロリオサは、ぷ、と吹き出してしまう。

「あなたの故郷ではイノシシを食べる風習は無かったのね」

「はい、ウサギや鹿狩りはあったんですけど、そもそも僕の田舎ではイノシシってあまり目にしなかったので」

 ずず、と汁を啜る。骨からとった出汁と、野菜の旨味が溶け出たスープが疲れた体にしみわたっていくようだった。

「こんなにうまくイノシシを料理できる人間はそうそういないぜ」

 アシルはビールの瓶を栓抜きで開けると、しみじみそう言った。

「だーよね、別の大食いイノシシを討伐した人からお肉貰ったことあるけど、それは臭かったもん」

 ガヴァンは野菜をスプーンでつつきながらそう続ける。

「アンタたちが早いうちに血抜きしておいてくれたおかげでもあるわよ、最初の処理が良いとお肉に臭みが残りづらくなるからね。それに、この季節も幸いしたわね」

 グロリオサはカウンターでワインを傾けながら、そんな風に言った。例年に比べると気温の低い春。そのおかげで、肉が傷むのを避けることができた。当然、生肉は低温で運搬、処理できるのが好ましい。


 夜も深まってきた頃、ドアベルと共に見慣れない顔が店に現れた。黒の短髪に、頬に十字傷。アシルよりは年下……20代だろうか。

「あら、いらっしゃい」

 グロリオサは入ってきた男に笑顔で対応する。

 いつも常連でにぎわうこの店だが、『Bar・Nocturnal』は一見いちげんに冷たいわけではない。どんな人でもこの店のドアをくぐればまずはお客様、というモットーでやっているグロリオサは、自分の姿を見てぎょっとしてしまったお客にも怯まずに近づいていく。

「はじめまして、よね? アタシはグロリオサ。この『Bar・Nocturnal』の店主よ。よろしくね」

 筋骨隆々の二の腕を露出した濃紺のドレスで右手を差し出したグロリオサに、男はすこしたじろぐ様子を見せて、それから戸惑い気味に握手を交わした。

「俺は流浪の冒険者、バジリオだ」

「バジリオね、今美味しいイノシシ鍋があるの。食べていく?」

「頂こう」

 グロリオサはバジリオにカウンターに座るよう促すと、早速テオに頼んで鍋の中身を器に盛ってもらい、棚から酒瓶を取り出した。

「何か飲む?」

「ああ、だが、酔いが回る前に仕事の紹介が欲しい」

「あら、失礼。それじゃお仕事の話をしましょ」

 グロリオサはレターケースから紙を取り出すと、ペンと一緒にバジリオに渡す。

「必要事項の記入をお願いね、それから、冒険者証も見せてね」

 テオのときは新人とわかり切っていたので、冒険者ランクも一番低いFランクからスタートだった。冒険者証はスタンプ式になっていて、冒険者ギルドの中央組織へ申請して認可が下りると、認可書をもとにその地域のギルドの受付嬢が該当ランクの部分にスタンプを押してやる決まりになっている。

 基本冒険者証のスタンプ欄はSランクまでだが、これを超える能力が認められると、中央から新たな冒険者証が発行され、大きくSSと表記されることになっていた。

 アシルはCランク、ガヴァンでさえAランクだ。この街に、SSランクの冒険者証を持つ者はただ一人しかいない、それほどまでにSSランクへの道は長く険しいものなのである。


 さて、この男バジリオはと言うと、アシルの一つ上、Bランクであった。グロリオサに差し出されたヒアリングシートに、彼の名前、ランク、希望する仕事の方向性を記入すると、自信ありげに提出する。

「Bランクの中でも少し難しい奴でもいいぜ、骨のあるのを頼む」

 グロリオサは受け取ったシートを眺めて、それからバジリオの顔、身体に視線を移した。自信ありげなつり目がちの黒い瞳、無駄のない引き締まった身体、過不足なく揃えられた装備。そして、この店に入ってきたときの歩き方や態度も思い返しながら、レターケースの中の依頼書をあさった。

 ヒアリングシートには、『討伐系』の仕事に大きくマルがつけてあった。なんでもやる、というわけではなさそうだ。希望報酬についても、相場より高い金額が記載してある。

(なるほどね……)

 グロリオサは少し考えて、それから一枚の紙を取り出した。

「今あなたにご紹介できそうなのは、これかしらね」

 他の客が酒を飲んで楽しそうに談笑する声を背に、バジリオは紙を受け取った。

「……これしかないのか?」

「ごめんなさいね、小さな街だから。今ある依頼であなたの希望に合いそうなのはこのくらい」

 依頼書には、東の山麓にて暴れまわっている狼退治について書かれていた。狼の性質については、魔性を孕むものではなく、ごく一般的な狼。ただ、狂暴な性格の個体故に山に入るものを襲っては持ち物の食料を奪っていくというのだ。数は、確認されているだけで三頭、群れの可能性があるので注意されよ、とのことだった。

「……しけた報酬だな」

 報酬額は、バジリオが望んだ額の三分の二。

「そう? これくらいなら相場だと思うけれど……」

 嫌ならいいワ、と引っ込めようとしたグロリオサを、バジリオは慌てて止める。思っていた金額より低くても、日銭を稼がねば冒険者はやっていけない。

「いや、行く。行かせてもらうさ。……狼がもし三頭以上いた場合は、報酬は上乗せされるんだろうな?」

 その時のバジリオの表情が、グロリオサはなんとなく危なっかしいように感じた。

「……それは、そうだけれど。でも待って、アナタお仲間は?」

「流浪人だもんでね、ひとところに留まるやつらとは絡まないのさ」

 どことなく棘のある、偉そうな物言いにアシルがあとちょっとで立ち上がるところだった。ガヴァンは直接止めはせず、酒を勧めることで注意を逸らす。

 まるで自分は孤高の剣士だとでも言いたそうなバジリオに、グロリオサは進言する。

「最低でも狼は三頭よ、群れで行動する生き物だし、誰か一緒に……」

「構わない、俺一人でこなせる」

 報酬は山分けになるんだ、取り分を持っていかれちゃたまんないんでな、俺より下のランクの人間に。

 そう言ったバジリオにガヴァンはかわいそうなものを見るような視線を向けて、それから自分の酒に視線を戻した。

「ん~、まあ、依頼書としてはBランクなら問題ないとおもうけれど、くれぐれも油断しないでね。薬は多めに持って行ってね」

「心配性だなあ、あんた。この俺が犬っころ三匹にやられるようにみえるか?」

 グロリオサはバジリオの顔をのぞき込み、そしてゆっくりと答えた。

「……見えないわね。――三匹なら」

 それに犬っころじゃないワ。それ以上の数に出くわしたら、下がって態勢を整えたりも考えてね、というグロリオサを、口うるさい母親でも見るような目で見るとバジリオはイノシシ鍋をかっ込んだ。

「酒を貰えるか?」

「お任せで良いの?」

「強めのを頼む」

 グロリオサは、氷の入ったグラスにウイスキーをそっと注いだ。そこに、レモンで香りづけしたバーボンを同量注ぐ。手際よく、オレンジジュースとソーダ、グレナデンシロップを加えると、マドラーでくるりとそれを混ぜてバジリオの前にコト、と置いた。


「どうぞ、――スーサイドよ」


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