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第8話 おっまたせぇええええ!!

「おっまたせぇええええ!!」

「!?」

 バジリオの目の前に、4インチの真っ赤なピンヒールが降り立つ。必死で後ずさりをしていたバジリオは気づかなかったが、彼が吹き飛ばされた方向から走ってきていたのだ。

「グロリオサ、ただいま到着いたしましたァ~!」

 ドラゴンも口を開けたまま驚いたように固まってしまっている。唐突に目の前に男とも女ともつかぬ姿の(人間から見ればどう見てもムキムキの男ではあるが)新手が現われたのだから無理もない。

「あらっ、この子アタシの事覚えてないかしら……」

 気を取り直して吼えたドラゴンの口に、グロリオサは鞘に収まったままの剣を縦方向にしてつっかえ棒よろしく突っ込んだ。

 ――アガッ。

「ごめんなさいね~、噛まれたら痛いからね、ちょっと我慢してネ」

「あ、あんた……」

 バジリオが涙目で見つめてくるのを、グロリオサは笑顔で振り返る。

「遅くなってごめんなさいネ、怖かったでしょう、さあ、下がってらして」

「こ、このドラゴン強いぞ、受付嬢のあんたに何ができ……」

「おだまり」

 ぴしゃり、と言い放ってグロリオサはドラゴンの方を向いた。


「ドラゴンちゃん、アナタが暴れたのにはちゃんと訳があるわよね? 少し身体を見せて」

 ――フガ。

 口を閉じられないドラゴンはなんだか滑稽な姿のまま唾液をぽたぽたと地面に垂らし、そのまま地面に伏せの体制をとる。その頭をグロリオサは宥めるように撫でた。

「大丈夫、大丈夫よ、もうアナタをいじめたりしませんからね」

 それからグロリオサはドラゴンの周りをゆっくりと一周。月明りだけでは見づらいので、外套のホルダーにつけていたライトで照らしてやるときらきら光る鱗のうち、左足の外側が剥げていることに気づいた。

「ああ、これね……」

 脱皮して柔らかくなったところを、何者かに襲われてしまったのだろう。よく見てみれば、傷口に噛まれたような痕がついていた。

「暴れ狼にどこかで襲われたのかしら、災難だったわね」

 そして、グロリオサはもう一度ドラゴンの前に出ると口に突っ込んでいた剣を取ってやる。

「な、何してんだ食われるぞあんた!!」

 次こそ殺される、と騒ぐバジリオに、グロリオサは大丈夫よ、とのんびりした声で伝えた。

「もう興奮してないものね? ドラゴンちゃん、少し沁みるかもしれないけど、お薬を塗っても良い?」

 グロリオサはドラゴンの赤い瞳を見つめ、そして優しく問うた。

 ドラゴンは少し考えるように鼻から息を長く吐き、それから「きゅう」と可愛らしい声で返事をする。それを同意と受け取り、グロリオサはありがとう、と笑って左足にそっと触れた。

「……なんでドラゴンと……」

 グロリオサは外套から軟膏が入ったケースを取り出し、がっしりとしたドラゴンの足の負傷部分へ塗りこんでいく。

「この子はね、もとはとてもおとなしい子なの。ドラゴン種は気性が荒いと思われて誤解されがちだけど、争いを好まないのんびりした性格の子なのよ」

 目を閉じて治療を受けるドラゴンは、グロリオサの言う通り本当におとなしい。怪我をした動物はもっと暴れるものだが、驚くほど従順にグロリオサの手に撫でられている。

「だからね、立ち入り禁止っていうのはそういう事。この子を刺激しないように、この子の領域に誰も入らないようにって街のみんなで決めてるの。この子はあの街と共生しているモンスターなのよ」

 そうしてこのドラゴンを守ってあげることで、生え変わりの時期に落ちた鱗、脱皮した皮なんかはこの子自身が洞窟の前にそっと置いておいてくれるらしい。

「でも、鱗を置いておくのはもうやめてもらった方がいいかもね、こうして奥まで取りに来ようとする人がいるかもしれないから……」

 バジリオはぎくりと肩を揺らした。

「アタシが少し遅れてたら、危なかったわね、アナタも、この子も」

 手負いで休んでいるところを襲われたら、ドラゴンでなくても怒っちゃうわよね、とグロリオサは薬を塗り終えたドラゴンの足を見遣る。

 ――くー、くーぅう。

 ドラゴンは子犬が甘えるような声を出して、グロリオサにすり寄った。

「ほらね、こんなに良い子なの」

「……」

 それから、肩のあたりをカリカリと身づくろいして、ドラゴンは自分の鱗を咥えてグロリオサに渡した。

「ヤダお礼なんていいのよ、逆にアナタには迷惑かけたんだから」

 ――きゅー。

 ぐいぐい、と鱗をグロリオサの手に押し付け、ドラゴンは頭を下げる。

 意思疎通ができていることに、バジリオは驚いて声を出せずにいた。

「バジリオ、あなたが思っている以上に、この子達には感情があるものよ」

 致し方ない事情や、人間への害意で固まっている子はどうしても討伐しなければならない対象になってしまうが、こうして互いにテリトリーを侵さずに生活しているのであれば共生することだって可能だ、とグロリオサはバジリオを諭す。

「さ、ドラゴンちゃん、鱗を無理に剥がしたりはしないでね、お薬はこちらの過失のお詫びでもあるから」

 その一枚はありがたくいただくわね、とドラゴンの口から鱗を受け取ると、グロリオサはドラゴンの頬ずりを受ける。

「あら甘えん坊さんね、今度は狼に襲われないようにね、安静にして。またお薬、塗りに来るワ」

 ――きゅい!

 ドラゴンは嬉しそうに頷くと、くるっと背を向けてのしのし歩いて洞窟へと姿を消した。


「さて……」

 バジリオは振り向いたグロリオサにびく、と肩を揺らす。

「帰りましょっか」

「へ……」

 てっきり怒られると思ったのだが、差し伸べられたのは大きく温かな手だった。

 バツが悪そうにバジリオは視線を逸らしながらその手を取る。

「立てる?」

「あ……はい……」

 立てる、とは言ったものの、さっき吹き飛ばされたときの打撲で足と腰と尻に激痛が走る。

「ぅ……!」

 小さくバジリオが呻いたのをグロリオサは聞き逃さなかった。

「あらっ……ケガしてるの? いけないワ、救急のクリニックに行きましょう」

「えっ、そんな、あの、今回の事は俺が悪いので、その」

「関係ないわよ、けが人はさっさと病院! 常識でしょ」

 ほら、とグロリオサはしゃがみ込んで背中をバジリオに向ける。

「え? あの」

「抱っこしてあげたいとこだけど、ちょっとあなたの体格はさすがのアタシも、ね!」

 180cmの長身にピンヒールを履いたグロリオサにそんなことを言われても、という気はするが、そこそこ筋肉のついた成人男性を運ぶならば街までの距離は背負った方が安全だ。

 バジリオは躊躇う様子を見せたが、そんなことも言っていられない。捻った右足が痛んだ。おずおずとグロリオサの背中に身体を預けると、たくましい腕がバジリオの太ももをしっかりと支えた。

「ちゃんとつかまっててね」

「……はい」

 グロリオサの首筋から、ふわりと薔薇の香りがする。

 背中は女性のそれとは比べ物にならないくらい広く、遠い過去の記憶が引っ張り出される。公園で遊んで、転んで怪我をしたときに――。バジリオは少し混乱しながらつぶやいた。


「……田舎の父ちゃんみたい……」

「なんですって?」


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