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第14話:Result Of the Battle

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4m70cmの2本目、助走路に立つ伍代の視線の先にある吹き流しは乱れ流されていた。


時刻は気がつけば11時を迎えようとしていた。

空には雲が出始め、時折強い日差しを遮るように太陽に覆いかぶさる。


トラックでは女子の100mハードルの競技が行われようとしていた。



(…早めにペースを取り戻さないと…。)



伍代の心に焦りが芽生え始める。

これまで、伍代が焦りを感じる事は早々なかった。

それは彼が、であったから。常に高みを目指して記録を意識し続けてきた伍代は、焦りよりも記録を越えた時の高揚感の方が多く感じてきた。

しかし、今は

今の伍代は、自らの記録を追う立場でありながらも、周囲から追われている立場である事にプレッシャーを感じずにはいられなかった。



伍代は、ポールを握る両手を何度も見返した。

時折、吹き流しに視線を送り、風向きのタイミングを見極めながら。



すると、伍代の視界の先が急に明るくなり始めた。

太陽を覆っていた雲が流れて、刹那的ではあるが再び強い日差しが現れた。


それに伴い、乱れながら吹いていた風も一時的に大人しくなる。

そのタイミングを、伍代は見逃さなかった。



「…行きまぁぁぁぁぁす!!」


ポールの先を高く宙に上げると、伍代はそう叫ぶ。

伍代の合図に羽瀬高メンバーが応えると、伍代は軽く息を吐いてから走り出した。


やはり、伍代の助走スピードはこれまで跳躍してきた誰よりも速い。

しかし、スピードに左右されない体幹も持ち合わせているので、上半身はがっしりと構えられていた。


踏み切り位置に到達すると、伍代は勢いよくポールを前に押し出すように突き刺し、左足で踏み切ったパワーを乗せて宙に跳び上がった。


1本目の修正はここまでは完璧だ。

バーとの距離は離れすぎず近すぎず。

上下反転した体は、バーの上5cm程上を越えていく。伍代の体感では余裕で越えたように思えているが、外から見てるとその差はかなりギリギリであるように見えた。


ポールから離した右手がバーの上を通過すると、今度はバーは微動だにせずに2本の支柱の上に留まった。


伍代の体がマットに着地し、審判員が白旗を振る。

伍代の記録は、4m70cmの2回目成功となった。



ポールを拾い上げてマットから降りる伍代は、大きく息を吐いた。

伍代を襲っていた緊張感が少し和らいでいるようにも見える。


伍代はそのまま控えテントに戻った。

次の高さに調整されるまで少し時間があったので、宙一はテントの下で伍代を迎え入れた。


「…いやぁあぶなかった!」


伍代の顔は笑顔だった。その表情は作られてるようではなく、心の底から溢れ出る感情のようだ。


「んだよ、70で勝ったと思ったんだけどなぁ…。」


宙一はそう言いながらも、伍代とハイタッチした。

互いに競い合う間柄とはいえ、記録を出す事に危険なリスクを背負いながら戦っている選手にとっては、"ライバル"であり"仲間"でもあるのかもしれない。


「80が勝負だ、宙。」


伍代はそう言うと、勢いよく水分補給をした。



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バーの高さが4m80cmに上げられる。


この高さに挑むのは、羽瀬高の伍代と継聖学院の高薙 宙一の2名だ。

自己ベストで言えば伍代が上であるが、シーズンベストは宙一の方が上である。


今年度も間違いなく全国に駒を進めるであろう2人の挑戦に、観客席のギャラリーの注目度も高まった。



しかし、次第に天候は曇り始める。

気温は競技開始から数度落ち込んでいるようにも思えた。

風もまた、荒れ始める。



挑む2人の跳躍は、共に2本目までを失敗に終えて3本目に突入した。



試技順が先の伍代が準備をして助走路に立った。



ズキッ…!



伍代は、右足の太腿に違和感を覚えた。

気温の低下と短い時間で本数を重ねている事による、筋肉稼働に少々異常が起こっているようだ。


しかし、競技をするのにそこまで支障はない。

伍代は肩にポールを掛け、両足の太腿を力強く叩いた。

これにより、外側から筋肉への刺激を加えて運動的な司令を与えることが出来る。スポーツ選手がよく自身の体を叩くのはこの為だ。



風は相変わらず定まらない。都合の良い追い風は狙えない。

伍代は辛うじて風が弱まるのを待った。


吹き流しの動きが、ピタッと止まった。

風の流れが止んだ合図であった。


その好機を逃さぬよう、伍代はポールを持ち上げる。


「…行きますっ!!!」


伍代が走り始めた。風はまだ大人しい。



(…行けるっ!)



伍代のスピードの流れが、彼の確信を表している。

ポールを突き出して踏み切ると、大きく曲がるポールの流れに合わせて、伍代は足を高く振り上げた。


高さは完璧。バーの上を確実に捉えた。


…はずだった。


焦りから流れを急かしすぎ、奥行きが足りずに伍代の足がバーに触れる。

勢いが乗せられ無かったことで、着地位置がマットの平行部分ギリギリとなり下手したらボックスに落ちていたかもしれない場所となった。


もちろん、バーは落下している。

審判員が赤旗を上げた。



次に控える宙一も、すかさずポールを置いてマットの伍代に駆け寄った。


「…大丈夫か?」


そう声を掛けられた伍代は、失敗の悔しさや着地の恐怖感が募っていたにも関わらず、笑顔で右手を軽く上げて答えた。


「…あぁ、大丈夫大丈夫。」


その笑顔は少し無理をしているようにも見えた。

"大丈夫"は言葉通りの意味の時もあるが、今の"大丈夫"はそうではない。


マットから降りて控えテントに戻る伍代は、少し右足の太腿を擦っていた。

違和感はそう簡単には消え無かったようだ。周囲の人間が集まって心配する程では無かったが、見る人が見れば分かるくらいに伍代の歩き方は不自然であった。

ただ、1番近い距離に居て普段の伍代を知る人物は、生憎その姿を見ていなかった。



その様子を横目に、宙一は助走路で構えていた。

状況的には宙一がどのような結果になろうと、伍代が4m80cmを3回失敗した時点で宙一の優勝は決まっていた。

しかし、伍代より一段高い記録を出して勝利し予選を通過するのか、それとも伍代と同じ高さで跳躍回数の差で勝利し予選を通過するのか、宙一へのプレッシャーはまだまだ終わっていなかった。


(…都予選大会で、が出てくるだろうということを考えたら…ここは一歩前に出なければ…。)



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同時刻、江戸川陸上競技場。

こちらでも、インターハイの東京都支部予選が行われていた。


フォレストグリーンのユニフォームに身を包み、その男子選手は眼鏡のレンズ越しに目の前のバーを強く睨んでいた。


『…フィールドで行われております、男子棒高跳び決勝。バーの高さは5mに上がりました。

この高さに挑戦するのは、第3支部、緑川学園みどりかわがくえん高校、六織むしきくん。』


風が一気に追い風となり、六織と呼ばれたその選手が走り出した。

高く跳び立った彼のその体は、バーの上を優雅に越えていく…。


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(…今年は絶対、に追いつくんだ。…伍代より、先にっ!)


吹き流しが、僅かに追い風を示した。


「…行きまぁぁぁぁす!!!」


決意を胸に、宙一はそう叫んで走り出した。

継聖学院メンバーの、大きなはぁぁぁい!と言う返事が更に宙一の背中を押す。


宙一の力強い助走に、今度はスピードも増していく。

その姿に、思わず皇次も控えテントを飛び出して見守った。


踏み切りも文句なし。跳ね上がった体を、素早く振り上げて宙一はそのバーの上を狙った。

宙一の体は、バーの上を通過しようとした。

しかし、高さが僅かに足りない。

バーを手放した右腕がその上を越えきれずに、バーを巻き込みながら宙一はマットに落下していく。


悲鳴が混ざったような落胆の声が観客席から聞こえてくる。

棒高跳びや跳躍競技の経験者でない人から見ても、その跳躍の惜しさが分かる程に、あと僅かの差であった。


審判員が赤旗を振り上げた。

マットに落下した宙一は右手でマットを叩きつけ、悔しさを顕にしながら雲間から太陽が覗くパッとしない空の様子をただただ見つめていた…。





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