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「…行きまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっす!!!!!!!」
皇次の叫び声がグラウンドに響き渡った。
観客席の継聖学院メンバーも、負けじと大きな声で彼の宣言に応えた。
走り出した皇次の助走は、支部予選の時よりも強い意志が乗っている様に感じられた。
強く踏み切って跳び上がった皇次の体は、ポールの曲がりに合わせて上下反転しバーの上を狙う。
ふわりと跳び上がった皇次の体が、バーの上を通過する。
バーと腹部には僅かながら空間が生まれており、皇次の靭やかな体の動きも相まって非常に鮮やかな跳躍となった。
マットに落ちた皇次は、すぐさま起き上がると観客席に向かってガッツポーズをした。
観客席から見守る継聖学院のメンバーは大きな拍手や歓声で皇次の跳躍を讃えている。
すると、周囲で見ていた他の観客たちも皇次に向けて拍手を送った。
皇次への労いが、棒高跳びピットに鳴り響いた。
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「…高薙くんの弟くんも、流石兄弟って感じね…。」
桃木の言葉は非常に抽象的で、一見理解に苦しむ内容であった。
しかし、若越だけはその言葉の意味をなんとなく理解している様子であった。
「…高薙 皇次は、宙一さんとは少し違いますが、あいつなりの独特の威圧感があります。
前回、間近でその跳躍を見た時も思いました。」
若越は、支部予選を振り返りながらそう呟いた。
その言葉に、巴月は不思議そうに若越を見た。
「…私、元々スプリンター選手だったんだけど…跳哉くんの言う"威圧感"って、跳躍選手にとってどういう感覚なの?スプリンターの
巴月がそう言う通り、彼女は中学生まで100mや200mに出場する選手であった。
陸上は愚か、スポーツ経験が体育の授業程度にしかない桃木に比べて、巴月はより選手に近い感覚を持っている。
「…なんて言うんだろ…なんとなく分かるんだよ。
"あ、こいつこれ跳ぶな。"とか、"あ、これは失敗するな。"とか。
ただ、
ピットで放っている威圧感みたいなものが、"失敗"って概念を一瞬忘れさせるような感じがしたんだ。」
若越の説明では、巴月でも納得していない様子であった。
もちろん、桃木はもっと理解できていない様子である。
「…なんていうか、難しいね。やっぱり棒高跳びって。他の種目の概念とは違う
桃木は全くの素人目線として、若越にそう説明した。
伍代に付いて棒高跳びを見てきてはいるが、実際にその競技をしたりましてや試合に出場していない桃木には、到底理解し難い内容なのかもしれない。
「…基本的には、変わらないと思います。僕も、棒高跳び以外の種目は殆どやった事ないので分からないですが…"勝ちたい"って概念は一緒ですし。
だけど、勝つまでに賭ける時間とかトレーニングとか、メンタルの持ちようはもしかしたら他の種目とは少し違うのかもしれないです。」
そう言う若越にとっては、もはや競技未経験者の桃木や巴月の感覚が分からないのかもしれない。
3人に少し不思議な空気が流れる中、桃木は何かに納得したように再びグラウンドを見つめた。
「…確かに、拝璃がこれまで棒高跳びに賭けてきた時間とかトレーニングとか、大きな試合での経験とかはちょっと他とは違うのかなって思う。
だからこそ、どんなに高薙くんたちや六織さんたちが強くても、拝璃には負けて欲しくない…かな。」
何処か意味深げにそう言った桃木の視線の先では、江國が4m55cmを1回目でクリアしていた。
彼もまた、皇次や宙一と同じように伍代にとっての大きなプレッシャーとなっているように、観客席からも見て取れた…。
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続く4m60cmの跳躍にて、漸く伍代と宙一が参加してきた。
皇次はこの高さをパス。江國は3本目まで失敗にてこの高さで脱落。1発クリアで次へ進む宙一に対し、伍代は2回目での成功を経て続く4m70cmの高さに進んだ。
遂に、六織も登場し都大会の争いは熾烈を極めることとなった…。
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そして、時は進み
都大会を終えて数日経ったある日。
3限目の授業を終えた若越は、ボーッと窓の外を眺めていた。
その様子を、前の席に座る巴月が振り返って声を掛けた。
「…もしもーし。跳哉くん?生きてますかー?」
若越の顔の側で巴月が手を振るも、若越はそれを無視していた。
クラスメイトの男子たちの、その様子を何処か羨ましいく、そして妬ましく見ている視線は若越も薄々感じてはいた。
そこに、同じくクラスメイトで同じ陸上部員の高津が現れた。
「…無理ないよ、はづ。あんな試合見たらボーッとしちゃう気持ち、私も分かるもん。」
普段の部活中は後ろに1つで括っているが、今日は真っ直ぐ降ろしていた高津の髪が、少し開いた窓の隙間風に靡いている。
「…高津は、中学も陸上部だったんだっけ?」
すると、ボーッとしていた若越が高津の存在に気がついたのかそう言った。
「そ。ちなみに、中学の頃の同級生があの高薙 皇次。あいつなんか斜に構えててさ。殆ど話したことなかったけど、中学の頃から何回か大きな大会で結果残してるのは知ってた。」
高津の突然の暴露に、若越は少しビクッと反応したが、それでもそこまで大きなリアクションではなかったのでその話をそのまま流した。
「…そうなんだ。でもやっぱり改めて、
六織さん、あの人と高校生として戦える唯一のチャンスだったかもしれないのに…。」
そう言う若越が口にした六織の名に、3人は都大会の彼の跳躍を思い出していた…。
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バーの高さが4m80cmに上がり、残る跳躍者は伍代と宙一、そして六織であった。
伍代が1発目の跳躍でクリアする中、宙一はクリアならず。
ここまでで六織が跳んできた跳躍数は僅か2本。
対して伍代は5本、失敗した宙一も5本目を跳んでいた。
圧倒的且つ計画的な六織の試合運びに、試技差で優位に立つも伍代は焦りを感じていた。
そして、六織の4m80cmの1本目。
それなりに体格も大きい六織の威圧感は、彼が助走路に立っていながらも観客席まで伝わる程であった。
短く、そしてはっきりとした声で「行きます!」と彼が言うと、緑川学園のメンバーと田伏は大きな声ではい!!と返事をした。
それを合図に、六織が走り始める。
助走路の中心線から全くブレることのない上半身の体感の強さ、そして力強い助走の走り、そして地面を揺らすのではないかという程に見える踏み切り足。
その強靭さからも、伍代や宙一の扱うポールとは1レベル上のポールを扱える六織は、彼らより強い反発力をポールから授かり、狙う4m80cm上空にあるバーの上に下半身を巡らせた。
バーの上10cm以上差をつけた跳躍を見せる六織に、もはや選手や審判員だけでなく観客席まで唖然として見つめることしか出来ずにいた。
彼が落下したマットから立ち上がると、緑川学園メンバーを始めとする観客席からは割れんばかりの大きな拍手が贈られた。
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「…まあそれでも、その六織さんに勝っちゃう伍代先輩。流石にかっこよすぎたなぁ。」
高津はそう言いながら恥ずかしそうに頬を赤らめた。
彼女が言う通り、その後の4m85cmの跳躍を六織がまさかの失敗。
1発で超えていた伍代は続く4m90cmの跳躍を失敗するも、見事1位にて都大会を通過した。
「でも、都大会は流石に条件が悪すぎる。
棒高は小雨でも十分なパフォーマンスが発揮できない。だからこそ、南関東がある意味激戦になるんじゃないかと思う。」
伍代の結果に浮かれ気味な高津に対し、同じ種目の選手である若越は冷静に分析していた。
しかし、そう言う彼の心臓の鼓動は少し速くなっていた。やはり後悔や焦りによるものであろう。
「南関東は私たち応援行けないからね…。跳哉くん、桃木先輩としっかり伍代先輩をサポートしてきてね!」
高津は目を輝かせながら若越にそう言った。
若越は少し引き気味に、お、おう。と言ってそれに応える。
「…このインターハイが終わったら、今度は秋の新人戦ね…。跳哉くん、杏ちゃんたちの活躍が今から楽しみだよ!」
巴月がふと、2人を見ながらそう言った。
彼女の言葉に、若越はズキっと何かが突き刺さる感覚を覚えた。
新人戦大会。秋に迎えるその大会が、若越にとってインターハイ予選での屈辱を果たす次なる大きな大会となる。
若越は突然席を立つと、廊下に向かって歩き始めた。
「「えっ…?」」
巴月と高津は、若越が突然大きく動き出したことに驚いた。
「…トイレ行くだけ。悪い?」
若越は2人に少し冷たくそう言うと、教室を出て行ってしまった。
「…んー、彼やっぱりまだ引きずってんのかなー?」
高津は不安そうに巴月の顔を見た。
巴月もまた、心配そうに若越の後ろ姿を見送っていた。
「…無理もないよ。彼が背負ってるものは、私たちとは違うんだもん。多分。」
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若越はトイレには行かず、徐に水道で手を洗った。
すると、そこに教材を抱えながら友人と談笑しながら歩いてくる、桃木の姿があった。
「あっ、桃木先輩。こんにちは。」
若越は、タオルで手を拭きながら彼女にそう挨拶した。
「若越くん!こんにちは。…あっ、ごめんちょっと先行ってて。私もすぐ行くから!」
桃木はそう言って、友人に先に教室へ向かうように促すと、若越を廊下の端に連れていった。
「…若越くん、最近はどう?」
桃木の突然の質問に、その意図が分からず若越は少し不思議そうな顔をしながら答えた。
「どう?って…まあ、前に比べたら練習には前向きに挑んでいるつもりではあります。都大会での伍代先輩たちの姿を見て、改めて自分が同じ場所にいない事への悔しさを感じたので。僕も、もっと強くなるしかないです。」
若越はそう言って、タオルで拭いた右手を握りしめて見つめていた。
「…なるほどね。普段部活中じゃ中々こう言うお話出来ないから聞いてみただけなの。
…あっ、じゃあ私、次移動教室だから行くねっ!じゃあねっ!」
桃木はそう言うと、手を振りながら若越の元を離れて行った。
彼女のその後ろ姿を、若越はまたも呆然と見つめていた。
そして、ある感情を抱いている事に、若越自身も少しずつ気がついているようであった。
(…なんだろう…桃木先輩と、もっと話がしたい…。)