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第22話:Ordinary & Special

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インターハイ都大会から3週間が過ぎ、あっという間に1週間後にはインターハイ南関東大会が開催されようとしていた。


放課後の部活動。

いつものように陸上部の面々は練習を行っていた。

短距離・フィールドブロックは、共通のウォーミングアップと練習メニューを1時間ほどで終えたところであった。


「今日はここからは、各ブロック自主トレの時間に回していいぞ。上がり時間も各ブロック長に任せる。」


室井はそう言って短距離・フィールド陣に指示を出した。

長距離ブロックは、別で外部コーチと共に学校の外周でタイムトライアルをしていた。



各々が個別に練習に向かっていく中で、若越は当然のように棒高跳びのマットや器具を準備して、跳躍練習をしようとしていた。

そこへ伍代が現れて、何やら困ったような顔で若越に両手を合わせていた。


「…悪ぃ、若越。今日俺ここで上がるわ。

桃が居てくれると思うから、跳躍練習やるなら桃に手伝ってもらってくれ。」


普段誰よりも練習に励む伍代が、珍しく練習を切り上げて帰ろうとしていた。

その様子に若越は疑問に感じたが、伍代は南関東大会を控えている事もあって、敢えて深追いはしなかった。


「…わかりました。まあ、程々にやらせてもらいます。」


若越がそう言うと、伍代は桃木の元にも謝りに行ったのか、桃木にペコペコ頭を下げたと思えばそのまま部室へと向かって行ってしまった。


桃木も不思議そうな顔をしながら、棒高跳びピットで準備をする若越の元に近づいた。


「…珍しいね?拝璃が練習しないで帰るなんて。」


「今までは無かったんですか?」


若越は跳躍練習に向けて、スパイクの靴紐を固く結びながら桃木にそう聞いた。


「…んー、ほっとんど無い気がする。体調崩すタイプでも無いし。まあ、緊張してんのかな?少しリラックスしたいのかも。」


桃木は自分なりに勝手に答えを出して納得していた。若越はそれに余り納得はしていない様子であったが、今は伍代の事を気にしてる場合じゃないと1人跳躍練習に向かった。



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練習用のゴムバーを4m95cmに設置し、若越はその上を殆どバーに触れずに跳んでみせた。



「…踏み切り誤差3cmって感じかな?ちょっと入ってたかも。」


若越が跳躍の空中動作の中で手放したポールを、桃木は受け取りながら若越の踏み切り足の位置をしっかり確認してそう言った。


マットから降りながら若越はそれを聞き、ボックスにポールを突き刺しながら踏み切り足の確認を行った。


「…上の感じは自分の中ではスムーズかなって思ったんですけど…踏み切り突っ込んでましたかね。(※1)」


若越は足の位置を確認しながら、首を傾げてそう言った。


「んー、確かに踏み切り足はほんの少し前には出てたけど…私から見てもその後は結構スムーズに動いてたように見えたよ。」


桃木は素直に感じた事を若越に伝えた。

彼女は確かに全くの素人ではあるが、伍代と共に棒高跳びに向き合ってくる中で得た知識や経験を基に、多少のアドバイスを率直にくれる。

若越にとって、より専門的な同じ競技者としての目線での伍代のアドバイスもありがたいものではあるが、桃木の客観視から生まれる直感的な意見がありがたく思う事もあった。

どちらかと言えば、今の若越は桃木のアドバイスが心地よいとさえ感じていた。


「…本当ですか?よかった。ありがとうございます。」


若越は桃木にそう礼を言った。


「…もう少し意識しながら、もう1本やってみます。」


若越はそう言うと、桃木からポールを受け取って再び助走のスタート位置についた。



すると、短距離の練習のサポートをしていた巴月が、練習がインターバルに入ったのか若越の側を通ってグラウンドを出ようとしていた。


助走路で少しストレッチをしながら風向きを確認する若越の表情を、巴月が覗き込んで言う。


「…なんかさ、跳哉くん。今日いつもよりも楽しそう…っていうか、嬉しそう?に見えるね。」


巴月はそう言いながら不思議そうに若越の顔を見ていた。

その様子を横目に気がついたのか、若越は手にタンマグを馴染ませながら巴月に答えた。


「…ん?そうか?逆に、いつも楽しそうじゃないように見えてたの?」


若越の声は、心なしかいつもよりも明るいように聞こえた。


「…うん…なんだろ、何か普段から結構怖い顔してる時の方が多い気がするけど、今日は全然そんな事ないなーって。」


「…気のせいじゃね?…あっ、いい風。桃さん!足お願いしますっ!」


確かに、若越に追い風が吹いていた。

若越は急いで桃木に合図を送ると、跳躍の構えに入って、走って行った。



(…いつの間に、"桃さん"なんて呼ぶようになったんだか…。)


巴月は心の中で、そう独り言を呟いていた。

勢いよくマットに向かって跳躍して行った若越は、ゴムバーに触れる事なくその上を華麗に跳び越えていった。

そして、マットから降りて桃木からアドバイスを受ける若越の表情を見て、巴月はある事を考えた。


(…もしかして、跳哉くん…桃木先輩のこと…。)


巴月がそこまで考えていると、彼女は音木に呼ばれて再び短距離の練習のサポートに戻った。




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19:00を回った頃、練習を終えた若越は1人グラウンドを横目に帰ろうとしていた。

既に蘭奈や他の部員たちは練習を終えて帰宅していたり、長距離メンバーはまだ部室に残ったりしていたが、若越は帰りを共にする同じ方面の部員もいなかったので、1人で部室を出て行った。


校門の近くまでたどり着くと、偶然そこには同じように帰宅しようとしていた制服姿の桃木がいた。


「あっ、若越くん。お疲れ様!帰るの?」


「…あっ、桃さんお疲れ様です。これから帰ります。」


若越はそう言うと、桃木に軽くお辞儀をした。


「…ねぇ、よかったらちょっと一緒に寄り道して帰らない?」


桃木の突然の誘いに、若越は少し戸惑った。

しかし断る理由もなく、桃木も若越と同じく電車通学ということからも、どの道駅までの帰りは同じ方向であった。



駅へ向かう道を2人並んで歩く際、若越は自然と車道側を歩いた。


「若越くん、紳士だね。」


桃木がそう感心する意味を、若越はよく分かっていないようであった。

それもそのはず。若越がまだ幼い頃、両親と並んで歩く時は必ず、真ん中の若越を挟んで外側を父、浮地郎、内側を母、歩美華が歩いていた。

それが自然なことだと思いこんでいた若越は、これまでも誰かと歩く時、例えそれが男友達であっても自分が外側を歩くことが身についていた。


若越は桃木と、普段してこなかった話を沢山した。

部活動以外での学校生活の様子や、お互いのこれまでの話、それに互いの趣味や好みに関したことまでを幅広く語り合った。


駅に近づくと、学校周辺の閑静な住宅地の景色から様々なお店が立ち並ぶ賑やかな景色へと移り変わっていた。

帰宅の時間帯ということもあり、駅はそこそこ人で賑わっていた。


「今電車混んでるよね?よかったらちょっと時間潰さない?」


桃木の提案に、若越は迷わず賛成した。

若越があまり人混みが好きでは無いように、桃木もそうであるようであった。

そうである以前に、自ずと若越は、桃木と共に過ごす時間を楽しんでいたからでもあった。


2人は近くのファストフード店に入った。


桃木は軽食のセットを注文したが、若越は飲み物だけを注文した。


「…それだけでいいの?」


桃木が心配そうにそう聞くも、若越ははい。と一言答えるのみであった。


それぞれが注文した商品を持って席につく。

桃木が「いただきます!」と笑顔で手を合わせて、軽食を口にした。

若越はその様子を黙って見ながら、ドリンクを飲む。


数口食べた後、桃木はその手を止めて若越に問いかけた。


「…若越くん、あんまりご飯食べない方なの?」


若越はストローを口にしながら、桃木の問いかけにドリンクを持つ手とは逆の左手を左右に振って否定した。


「…今日は、仕事終わりに母親が夕飯を用意してくれる日なんです。」


思いもよらなかった若越の答えに、桃木は申し訳無さそうな顔をした。

そして、腕時計の時間を確かめた。


「…えっ、それは本当ごめん!そんなつもりじゃなくて…。」


桃木が必死に謝る様子を見て、若越は桃木を庇うようにスマートフォンに映るメッセージアプリの通知を見せた。


「気にしないで下さい。仕事終わりと言っても、まだ多分終わってないです。

大体いつも、母親が仕事終わるの20時半くらいなので。」


若越が見せたスマートフォンには、『跳哉ごめん!今日も残業で20時半終わりになりそう…。』というメッセージが届いていた。


「…そうなんだ。若越くん、なんだか意外というか…とってもいい男の子だね。」


桃木は微笑みながらそう言った。

若越は桃木の一言が意味する真意が分からずに不思議そうな顔をしていた。


「…そうですか?普通じゃないですか?」


若越は飾ることなく本心のままにそう言った。


「うーん、私も分かっているわけじゃないけど…普通若越くんくらいの男の子だったら、お母さんに反抗したり、仲良くするのを避ける年頃じゃない?」


若越は桃木のその言葉に、少し俯きながら答えた。


「…普通じゃないからですかね?僕も分からないですけど。

母親はこれまで、僕の我儘だったり、競技のこと、私生活でもたくさん支えてくれた存在だから。

それに、僕にもう父親はいないですし。祖父母も遠いところに住んでるので、唯一近くにいる家族がこれ以上突き放すわけにもいかないですよ。」


若越が淡々と語るその言葉の一つ一つを、桃木は心のなかで噛みしめるように聞いていた。

競技中や競技に関わる中での若越は、どこか内気ながらもライバルたちや自分自身に対する熱意を燃やす野心に溢れた男の子として桃木には映っていた。

しかし実際の若越は、周囲への思いやりと優しさに溢れた、特別な高校生男子だという事を知ったのは、今のところ桃木しかいないだろう。


「…若越くんは、強くなると思うよ。必ず。」


若越に聞こえるか聞こえないかの声でそう呟く桃木は、静かに若越の姿をただ見つめていた。


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