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第35話:Each Battle

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暦の上では秋とは言え、まだまだ暑さは心地よさを蝕んでいた。

新人戦大会東京都支部予選。

ここ世田谷陸上競技場で、その戦いの第一歩が踏み出される。


「うぉっしゃぁぁぁぁっ!!!蘭奈 陸の名前を、絶対全国のスプリンターたちに覚えさせてやるっ!!!!」


漸く自分が選手として参加できる公式大会とあって、蘭奈はこれまで以上にテンションを高めている。

もちろん、その様子は周りの仲間たちは迷惑そうに見ていた。


「…何いってんの?陸。この大会は南関東大会まで。全国大会はないの!」


うるさい蘭奈への怒りを顕にしながら、巴月がそう訂正した。

しかし、蘭奈には彼らしくないある考えがあった。


「いやいや、巴月分かってねぇなぁ?南関東大会までぶつかる相手には、その実力を直接見せつけることができる。それ以外のエリアのやつだって、この"新人戦大会"は次のインターハイの前哨戦と考えてるやつも多い。

この大会で結果を残せば、必ず他のエリアの奴らに"蘭奈 陸"という存在を注目させることができるって訳よ。」


蘭奈はすっかりドヤ顔である。

巴月は蘭奈の考えが少々楽観的すぎではないかと呆れたが、思いがけない人物が蘭奈を後押しした。


「こいつの言うとおりだ、巴月。今回は第4支部のみで行われる予選だ。

この大会でまず都大会へ突破すれば、必ずインハイの支部予選でぶつかる第1支部にはマークされるだろう。それに、南関東で万が一結果を残せれば、殆ど必ずと言っていい程に注目選手になるだろう。南関東ブロックは、それだけ競合ブロックと言っても過言ではない。」


そう言うのは、兄勝馬であった。

インターハイでは、悔しくも南関東大会に進む事ができなかった彼だからこそ、その言葉の重みは誰よりもあった。

今回は、来年の最後のインターハイに向けて、南関東大会への進出を成し遂げたい彼は、部長としても選手としても一段と成長している様に感じられる。


「…もちろん、狙うべきはそこっす。その為に、今回必ず公認自己ベストを叩き出してやりますよっ!」


蘭奈はいつも以上に自信を露わにしてそう言った。



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9:15


第3コーナー内に設置された男子棒高跳びピットにある選手の控えテントに、伍代と若越は荷物を置いてウォーミングアップの準備をしていた。


そこへ、見慣れた3人が現れる。


「よっ!足はもう大丈夫なのか?伍代。」


そう声をかけたのは、宙一であった。


「よう。久しぶりだな。

まあ、ぼちぼちだな。今日はあの時みたいなヘマはしないから、覚悟しておけよ?」


伍代は左足を大きく2回叩くと、自信満々にそう言ってみせた。

伍代にとっても、インターハイ支部予選や全国大会のリベンジマッチとなる今大会。

宙一に対する対抗心が、伍代の中で強く燃えていた。


「それと…若越。今日は楽しみにしてるかんな。」


宙一は、伍代の意気込みを軽く流すと、そう言って若越にグッドサインを送った。

若越は、軽く頭を下げるだけでそれ以上の反応はしなかった。



緊張は然程感じない。

今胸の内で強くその存在感を示しているのは、多くの視線から受けるプレッシャーと、ライバルに勝ちたいという欲望。

そして、亡き父親の事。



(…あれ…?何でだろう…今更父さんの事が…何かハッキリとは言えないけど…引っかかる…。)






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10:00


フィールドでは男子棒高跳びの競技が、トラックでは男子100mのタイムレース予選が行われる。



羽瀬高陸上部からはそれぞれ、棒高跳びにはもちろん若越と伍代が、100mには七槻、蘭奈、紀良が出場する。

同一校からの同一種目への出場人数が3名までに絞られる為、音木は200mに専念すると100mへの出場は辞退した。


よって、羽瀬高陸上部短距離・跳躍ブロックの出場ラインナップは以下の通りとなった。


男子100m

・七槻 勝馬

・蘭奈 陸

・紀良 光季


男子200m

・七槻 勝馬

・音木 満康

・蘭奈 陸


男子棒高跳び

・伍代 拝璃

・若越 跳哉


女子100m

・丑枝 彩芽

・高津 杏珠


女子200m

・丑枝 彩芽

・高津 杏珠



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フィールド、男子棒高跳び。

練習跳躍を終えて本番の試技を迎えるにあたり、選手たちは審判員から最初の高さを問われた。


「…若越、決めたらどうだ?」


宙一が気を利かせて、公認記録の無い若越にその選択権を与えた。

しかし、若越はその事をよく思わなかったのか、ムスッとした顔をしたがすぐに答えを出した。


「…4m60から。皆さんの自己ベスト的にもそれで問題ないでしょう?」


少々喧嘩腰に若越はそう言って、跳躍の準備に向かおうとした。

試技順は、公認記録のない若越からであった。


「…じゃ、じゃあ、4m60からということで…。

パスする場合は、試技前に申告してください。」


審判員は選手たちにそう言い残すと試技の準備に入った。


「…はぁ?なんだあいつ。」


若越の態度に、皇次はあからさまに怒りを口にした。

もちろん江國はその様子に全くと言っていい程興味を示していない。

若越を睨みつける皇次を、宙一は宥めた。


「…まぁまぁ、前回のこともあるし、気張ってんだろ。

何も言い返す必要はない。結果で黙らせればいいだけだ。」


宙一はそう言って皇次を宥めつつも、若越の態度には良くは思っていない様子であった。

その一部始終に、伍代はというと全く絡むことが出来ずに、ただただ申し訳無さそうに宙一や皇次、審判員の様子を見ているだけであった。


(…何だ…?この前の練習の時からか、前の若越に戻っちまった気がする…?)


伍代は若越の様子に違和感を感じていた。

しかし彼はまだ、若越の変化の原因に自分自身が含まれていることを、知る由もなかった…。




「…それじゃあ、試技に移ります。

最初は4m60cmから。第1跳躍者は高薙 皇次くん。準備に入ってください。」


審判員がそう告げると、宙一、伍代、皇次は驚いた。

3人は揃って若越に目線を送る。

若越はまだ、ユニフォーム姿にはなっていない。


(…はぁ?何考えてんだこいつ…。60パスって、俺たちを挑発しようとでも思ってんのか…?)


皇次は慌ててユニフォーム姿に着替えながら、そのような事を考えていた。

インターハイ支部予選、4m50cmを記録なしで終えた若越が4m60cmの高さをパスしたという事は、それだけ彼自身の自信の表れなのか、それとも周囲に対するプレッシャーなのか。


「…60、跳ばないのか?」


思わず、伍代は若越にそう言った。

若越は何食わぬ顔で伍代を見上げると、大きなため息を吐いて言った。


「…僕の勝負は既に始まっているんです。…あんたに勝つための、ね。」


若越はそう呟くと薄く笑みを浮かべた。その笑みはどこか冷たく、伍代の心をざわつかせた。

若越はそう言い残すと、立ち上がって軽く体を動かした。まるで伍代の存在など眼中にないかのように。


(…勝負は既に始まっている…ね。前にも感じたこいつの違和感…あれはそう、俺がこいつを誘ったときの跳躍勝負…。

俺が先に4m90を成功させたにも関わらず、こいつは全く動揺する素振りを見せなかった…。

まるで俺ではない、別の何かを見ているような…。勝負をしていたのは確かに俺だったはずなのに、相手である俺を、あいつは全く見ていないように感じた。あれは気のせいではなかったということ…なのか…?)


確信に近い嫌な予感を、伍代は胸の中に感じていた。



皇次は仕方ないといった反応を示しながら、助走路に入った。

そして、追い風のタイミングを見計らって助走をスタートさせた。


インターハイ予選で4m70cmの記録をマークしている皇次は、その4m60cmの高さのバーを難なく跳び越えてみせた。

続く江國、伍代も1本目の跳躍にてその高さをクリアしていった。


最後に試技を迎えたのは宙一である。

インターハイでの活躍もある為、彼に対する期待は十分にあった。



ユニフォーム姿の宙一は助走路に立つと、目の前のバーを見上げた。

まだ時刻は昼時にも関わらず、宙一はぼんやりと視界が薄暗くなっていくのを感じていた。



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ーインターハイの決勝で感じた、高揚感と緊張感が入り混じった、まるで世界が自分だけのものになったような、あの特別な感覚。

俺はもう一度、あの状況下に立つ。

そして今度こそ、あの状況下で勝利を掴んでみせる…。ー



宙一が掲げる思いはただ一つ、インターハイのリベンジ。

ポールを握る宙一の手は、力強い。

しかし、その思いを簡単には叶えるまいと、宙一の意思に反して吹き流しは横風を示し続けている。

その風は、宙一自身もその身で感じていた。



あの時は、何も恐れるものはなかった。ただ真っ直ぐに目の前のバーだけを見て、跳躍に挑んだ。

しかし、今は何かが違う。


全国で4位の結果を残したことで、宙一の今後に対する周囲の期待は以前より増している。

最高の跳躍を見せなければ、これまでの努力が全て無駄になってしまうのではないかという不安が、宙一の心を締め付ける。

すぐ近くにいる伍代や皇次、インターハイで悔しい思いをしたライバルたちの存在が、彼のその不安をさらに煽る。


(…そう簡単に、神様ってのは欲しいものを与えてくれやしねぇ。

だからこそ、挑み続けるしかないんだ。どんなに重圧を感じようともなぁ!!)



ふと、吹き荒れていた横風が止んで一瞬の静寂が訪れた。

その瞬間を逃すまいと、宙一はポールの先端を高く持ち上げる。

タイミングは十分である。しかしその顔には、彼自身が抑えきれない程の、力みと焦りが滲み出ていた。


「行きます!」と声高らかに宣言し、宙一は走り始めた。

自ずと、その助走の踏み込む足は力強くなる。

それは僅かに、とも見えるが…。



踏み切って高く跳んだ宙一の体は、バーの上目掛けてふわりと跳ね上がった。

しかし、その体は本人が思うよりも浮き上がらずに、バーを巻き込みながら重力に沿ってマットへと落下していった。


見る者全員がその結果に驚きの反応を見せている。

皇次や伍代も、宙一のまさかの結果に動揺を隠せずにいた。


しかし、江國と若越だけは全くの無反応を示していた。

彼らにとって宙一の結果は、大きな影響と捉えてはいない。

2人は何食わぬ顔で、自らの出番に向けた軽いウォーミングアップやストレッチを行っている。



その後、宙一は2回目の試技も失敗するも、3回目の試技にて漸く4m60cmの高さをクリア。

4m60cmをパスした若越を含めた全競技者が続く4m70cmの高さへと駒を進めることとなった…。






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