昨日の『死よりの者』との会話で考えることが多かったせいか、眠りの浅かったらしい私は、朝早くに目が覚めてしまった。
こういうときに部屋にいても悶々と考え込んでしまうだけだと思った私は、早朝の散歩をすることにした。
「まだ薄暗いわね」
早朝の学園内を歩くと、朝の少し冷たい風が私の脳を覚醒させた。
考え込むことが嫌だったから散歩に出たはずなのに、勝手に思考が巡ってしまう。
『死よりの者』は、この世界の被害者だ。
しかし同時に、加害者でもある。
人間を殺せば浄化してもらえるという価値観を日本で植え付けられたせいではあるが、それは『死よりの者』に殺された者たちには関係の無いことだ。
少なくとも、最初に殺された清掃員と旧校舎で殺されたルドガーの友人は、『死よりの者』に対して何もしていない。
紛うことなき、ただの被害者だ。
「……はあ。どうすればいいのよ、こんな状況」
思わず溜息が出てしまう。
私は『死よりの者』と関わりの深い“扉”として、一体何が出来るのだろう。
「……ルドガー?」
早朝の学園で、小さくうずくまる人影を見つけた。
私に声をかけられた人影、ルドガーは私を見て意外そうな顔をした。
「一人でいるなんて珍しいな。いつも一緒の二人はいねえのか?」
たぶんルドガーが言っているのは、ナッシュとジェーンのことだろう。
「常に一緒にいるわけではないわ。特に最近の私は一人で行動しがちなの」
「……ああ、確かに。そういえば旧校舎にも一人で来たもんな」
旧校舎と言ったルドガーは、目の前に置かれた石に視線を移した。
石の近くには花が置いてある。
ルドガーの行動と供えられた花で、目の前の石が何を意味するのか察してしまった。
「ここってもしかして……彼のお墓?」
「この下に遺体は眠ってねえよ。俺が勝手に作った慰霊碑みたいなもんだ」
「そうなのね」
『彼』とは、旧校舎で『死よりの者』に襲われたルドガーの友人のことだ。
「私も手を合わせてもいいかしら」
「俺に許可を取る必要はねえよ。手を合わせたけりゃ勝手に合わせればいい」
「……そうするわね」
私は慰霊碑に手を合わせた。
彼の死には、不用意に扉をあけてしまった私にも責任の一端がある。
「お前は、こいつと話したことがあったのか?」
「……いいえ。話したことがないと、手を合わせては駄目かしら」
「そんなことはねえよ。ただ、話したこともないやつのために手を合わせることが意外だっただけだ」
「……じゃあ彼の代わりに、ルドガーが彼のことを教えてくれる?」
私の言葉を聞いたルドガーは、驚いてはいたが、遠い目をしながら彼の話を始めた。
「あいつは俺の悪友だったんだ。中等部の頃からの付き合いで、寮を抜け出しては一緒に夜遊びをしてた」
「学園内で夜遊びをする場所なんてあるの?」
「いくらだってあるぜ。旧校舎もそうだし、倉庫に潜り込むこともあった。食堂でつまみ食いをしたこともあったな」
「食堂でつまみ食いだなんて、怒られなかったの?」
ルドガーは楽しそうに口の端を上げた。
「怒られたぜ。でも俺たちの侵入がきっかけで学園の防犯が強固になったんだ。今の食堂なら誰かに侵入されて毒を盛られるなんてことは絶対にあり得ねえ。そう考えると、ある意味で俺たちは功績者だろ?」
確かに防犯が強固になったのはいいことだ。
つまみ食いをしたルドガーたちが功績者かはさておき。
「彼とは悪友だったのね」
「ああ。この先もずっと一緒にいるもんだと思ってた」
「…………」
私は懐から杖を取り出すと、慰霊碑として置かれた石に向かって振った。
私の魔法を受けた石は、石を見た誰もが慰霊碑だと分かる形へと姿を変えた。
「……そっか。お前は魔法が得意なんだったな」
「余計なことをしたかしら」
「いいや。この見た目なら、この石があいつの慰霊碑だと気付いて、俺の他にもあいつに手を合わせてくれる人が来るかもしれねえ……ありがとな」
こんなことをしても何にもならないことは分かっているが、それでも死んでしまった彼のために何かをしたかった。
私の、せめてもの償いだ。
「……学園のどこかに、最初に襲われた清掃員の慰霊碑もあるのかしら」
「さあな。そんな話は聞いたことがねえな。俺みたいに誰かが勝手に作ってる可能性はあるだろうがな」
「どこにあるかは、分からないわよね?」
「そもそもあるかどうかすら分からねえよ」
「そうよね……」
最初に殺された清掃員は、ルドガーの友人以上に、私が殺してしまったという罪悪感が大きい。
私がジェーンを助けたことで、清掃員はジェーンの代わりに殺されてしまったのだから。
「……こういうことは、気持ちが大事なんだよ。墓や慰霊碑の有無は重要じゃねえ」
肩を落とす私に、ルドガーが声をかけた。
「お前に冥福を祈る気持ちがあるなら、どこででも手を合わせればいい。場所なんか、気持ちの前では小さなことだ」
きっと、暗い顔をする私のことを気遣ってくれたのだろう。
ルドガーは一見乱暴で不良だが、親しくなった相手のことはものすごく大切にする。
私がルドガーとどのくらい親しくなった状態なのかは分からないが、暗い顔をしていると気遣ってもらえる程度の仲にはなっていたようだ。
「もしかして、あの清掃員はお前の知り合いだったのか?」
「そういうわけではないけれど。でも、冥福を祈りたいの」
私の言葉を聞いたルドガーは、私の考えを肯定も否定もしなかった。
ルドガー自身は見知らぬ他人に愛情を注ぐ慈愛に満ちたタイプではないが、清掃員の冥福を祈りたいという私の気持ちを否定するほど他人に非情なわけでもないのだろう。
「……そろそろ戻らないと。ナッシュが迎えに来ちゃうわ」
気付くとずいぶんと太陽が昇っていた。
そろそろ寮に戻って身支度を整えないと、私の不在を知って最悪の想像を巡らせたナッシュが暴走してしまう。
「あいつって本当に過保護だよな。子離れできない親みたいだ」
「そうかもしれないわね。ナッシュに私のぬいぐるみでも作って持たせておけば、少しは過保護が収まるかしら」
「あいつがお前のぬいぐるみに愛情を注げば、過保護が分散されて軽くなるってことか? そうはならねえだろ」
ルドガーは私の妙案を鼻で笑った。
なかなか良い案だと思ったのに。
「お前って変なやつだよな」
「おもしれー女ってこと?」
「変なやつってことだよ」
私はもう一度慰霊碑に手を合わせると、女子寮へと戻った。