無事にナッシュよりも先に女子寮に戻った私は、急いで身支度を整えた。
早朝の散歩程度バレたところで大ごとにはならないはずだが、念のため。
ナッシュはたまに変なスイッチが入っちゃうから。
「…………あれ?」
せっかく身支度を整えたのに、いつまで待ってもナッシュは来ない。
いつもならとっくに到着している時間なのに。
今日は一人で授業棟へ向かおうかと思ったところで、部屋のドアがノックされた。
「おはようございます、お嬢様」
ナッシュだ。
時計を見ると、いつもよりも二十分も遅れている。
「おはよう。時間に正確なあなたが遅れるなんて、珍しいわね」
挨拶をしながらドアを開けると、部屋の外には暗い顔をしたナッシュが立っていた。
「実は、込み入った事情がありまして……お嬢様。今、よろしいでしょうか」
「いいけれど、時間も時間だから移動しながらにしない?」
私の至極まっとうな提案を、ナッシュは了承しなかった。
「申し訳ございませんが、お部屋にお邪魔してもよろしいでしょうか?」
「ここでは出来ない話なの?」
「出来なくはありませんが……歩きながら伝えるような内容でもありませんので……」
ナッシュの歯切れが悪い。
何でもズバズバと言う彼がこのような物言いをするということは、軽い内容の話では無いのだろう。
「どうぞ」
私は部屋にナッシュを招き入れた。
ナッシュはこの間もずっと暗い顔をしている。
「今朝、良くない知らせが届きました」
話の内容が私にとって良くないものだろうということは、ナッシュの顔を見た瞬間に察していた。
……もしかして、『死よりの者』関連だろうか。
セオ以外に私が“扉”だと知られてしまったとか……それだとかなり困ったことになる。
しかし、私の予想は外れた。
「こちらの手紙が今朝、私のところに届きました」
ナッシュが差し出してきたのは、一通の手紙だった。
差出人は公爵。ローズの父親だ。
「お父様からの手紙……私には届いていないわ。どうしてナッシュにだけ?」
本物のローズと両親は、決して悪い関係ではなかったはずだ。
ローズが“扉”になってから感情を露わにしないようにしていたため、パッと見で分かる仲良し親子でもなかったが、ローズが『死花事件』の犯人として捕まった際には冤罪を訴えていた。
そういえば『死花事件』のことを、この前の『死よりの者』にもっと詳しく聞いておけばよかった。
『死よりの者』が人間を襲う理由は分かったものの、どうして心臓から花が咲いているのかは分からず仕舞いだった。
そうやって相手を殺す特殊な魔法があるのだろうか。
今度聞いてみよう。
次に彼と会えるのはいつだろう。
私が思考を横道に逸らしている間、ナッシュはただ黙っていた。
私がナッシュの話に集中していないことに気付いたのかもしれない。
「あっ、ごめん。ちゃんと聞くから話してちょうだい」
私が思考をこの場に戻すと、ナッシュはゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。
「私にだけ手紙が届いた理由ですが、手紙でいきなりお嬢様に伝えるにはショックの大きい内容のため、私からお嬢様に伝えるようにと指示があったのです。さらにお嬢様がショックを受けてどうにかなった場合には、私が介抱するようにとの指示もありました」
ものすごく慎重な対応だ。
それだけ気を回す必要のある内容なのだろう。
「私にとって、そんなにショックの大きい話なの?」
「ええ。ですが、まだ最悪の事態ではありませんので、どうか悲観し過ぎないでください」
「最悪の事態って……じゃあ話というのは、もしかして」
「公爵夫人……お嬢様のお母様が倒れられました」
* * *
公爵夫人が倒れた連絡を受けた私は、今日は授業を欠席することにした。
手紙の指示通りナッシュは私に付き添おうとしたが、それは断った。
実のところ、私は本物のローズではないから、公爵夫人が倒れた事実にショックを受けているというのとも、また違った。
だって私は公爵夫人とは会ったこともないのだから。
「でも、ローズのお母さんなのよね……」
私は大きく息を吐いた。
原作ゲームはウェンディルートしかプレイしていないから、公爵夫人がそんなことになっていたなんて知らなかった。
公爵夫人は持病持ちだったのだろうか。
「冤罪で捕まった上に、離れて暮らすお母さんが倒れていたなんて……」
ということは原作ゲーム内で、ローズの両親がローズの冤罪を訴えていたというのは、公爵夫人が元気になったという優しい嘘だったのだろうか。
それとも公爵夫人はこのあと本当に回復するのだろうか。
……分からない。分かりようがない。
「だって公爵夫人が回復するかどうかは、私にとっては『未来』のことだもの。どうやったって分かるわけがないわ」
ローズルートをプレイしていれば分かったのかもしれないが、考えても仕方ない。
「悩みばかりが増えていくわね……」
果たして、このまま何もしないでいて良いのだろうか。
ローズは『私』に自分の身体を託してくれた。
嫌がらせの意図もあったのかもしれないが、それでも事実として私の命を救ってくれたのだ。
そんなローズの家族を、このまま放置しても良いのだろうか。
弱っている母親に、娘の顔を見せてあげなくても良いのだろうか。
もしかすると、死に目に会えなかった、なんてことになるかもしれないのに。
「…………しっかりしなさい。今は私がローズ・ナミュリーなのよ! ローズなら諦めない。使える手はすべて使うはずよ!」
私は自分を鼓舞しながら部屋を出ると、厩舎、用務員室、倉庫を見て回った。
セオと会うためだ。
学園からローズの屋敷まではかなりの距離がある。
ナッシュによると、最低でも馬車で五日間はかかるらしい。
しかしセオの使った転移魔法陣があれば、すぐにでも公爵夫人のもとへ行くことが出来るはずだ!