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第12話

 しばらく笑い転げた後、黒岩は次の煙草に手を伸ばした。

「とにかく、善麿様にとって小夜子はそこまでしてめとった奥方なんだ。さぞや手放したくねぇだろう」

 そして黒岩は衣装箪笥に突っ込まれた鞄の方に目を走らせる。

「今は文明法治の天下よ、以下に子爵様といえども妹との結婚なんざご法度だ。どんなに戸籍上は二従妹の扱いだろうがね、おれは小夜子が東條忠明様の娘だっていう証拠をちゃあんと持ってるんだ。

 これをしかるべきところに出せば、あの二人の結婚は無効になる。子爵様もこんなこと、世間に吹聴されたくねぇだろう」


 得意げに煙草をふかす黒岩に、相模は小首を傾げる。

「でもよぉ親父。それであの二人が離婚しちまったら、金の引っ張りどころがなくなるんじゃねぇか?」

「ばか野郎、おれだって可愛い姪の不幸なんざ望んでねぇよ。むしろその逆で、おれはむしろ小夜子に子爵夫人としてちゃんとした扱いを求めてやりてぇんだ」

 そして黒岩は左手の人差し指と親指で円を作ってみせた。


「この屋敷の名前の由来にもなってる銀烏涙ぎんあるい、忠明様が倫敦ロンドンの商人から譲られたっていう三十カラットのダイヤモンドさ。一財産だろ? ここのどこかに隠されてるらしいが」

 相模は興味深そうに父親の話を聞いている。

「小夜子は可哀想に、あんな身の上だ。持参金もなにもあったもんじゃねぇ。今のご時世、婦女子もちゃんとした自分の財産を持つべきだ。そうだろ?」

 だからおれは、小夜子に銀烏涙の権利を保証してやりてぇんだ。小夜子だってれっきとした奥様なんだから、そのくらいの権利はあるはずだろう? 仔細らしく頷く黒岩に、相模は噴き出す。


「そんなこと言ったって親父、小夜子づたいにその宝石をおれたちが頂いちまおうっていう腹だろ?」

「お前はさっきから人聞きが悪ぃな、か弱い姪の代わりに親切な叔父さんが預かってやるってだけさ。どうせ小夜子が持ってたって、いずれ耶蘇の神様に寄付しちまいそうだしな」

「ああ、そういえば例の天堂とかいう坊主もここに来てたな」

 そうよ、と黒岩は応じる。

「あの坊主もとんだ生臭よな、あいつは善麿様と小夜子が兄妹だと知ってて祝言を挙げさせたんだぜ。閻魔大王も耶蘇の神様も金さえあれば買収できるのさ」

 けっ、と相模が吐き捨てた。

「嫌だねぇどいつもこいつも、けだものばっかりで悍ましいや」

「そうだろう? だからおれたちがしっかり善麿様にそのあたりのことをご理解いただいて、小夜子を畜生どもから守ってやらねぇとな」

「あはは、こういう強請ゆすりは親父の得意技だからなぁ」

「こら相模、いい加減にしろ」


 悪党二人の哄笑が耳に障る。腸が怒りで煮えて千切れそうだ。信じられないほど悍ましい話だ。そうだ、こんな話は到底受け入れられない。

 小夜子は東條の妹だった。それだけでも驚かざるをえないのに、さらに東條はかつての小夜子の婚約者を殺して彼女を妻にしたのだという。

 あんな悪党どもの言うことだ、すべてが真実とは限らない。しかし、彼らが何の根拠もなくこの館に乗り込んだとも思えなかった。かれらには強請が成功するという確信があるのだ、小夜子が東條の妹だというのは真実なのだろう。


 いったいいかなる事情が、実の妹を娶ることに正当性を与えるというのだろう? 東條は小夜子の美貌に目が眩み、愚かにもそんな真似をしたのだろうか。黒岩たちと同調したくはないが、鬼畜の所業としか思えない。

 珠名が小夜子の腹の子の父親に疑念を抱くのも当然だ。夫でない男の子を孕むのと実の兄の子を孕むのの、どちらがより小夜子にとっての地獄なのか、おれには到底判断がつかない。


 吐き気がする。小夜子を取り巻く悪意の数々に心底ぞっとする。この館には、彼女を食い物にしようとする魑魅魍魎ばかりが蠢いているようだ。小夜子が頼るべき夫である東條すら、そうした悪魔のような男たちの一人かもしれないのだ。かれが立場の弱い妾腹の妹を、いかに脅して己に従わせたのか考えたくない。ここで彼女が信用できるのは、女友だちの珠名一人だけなのだろうか。小夜子の心細さは察するに余りある。

 小夜子を守ってやりたいが、死神の身の上ではできることは限られる。おれにできるのは、黒岩たちが怪しい行動をとらないよう見張ることだ。


「そうだ親父、小夜子なら銀烏涙の在処を知ってるんじゃねぇのか」

「おお、そうだな。姪を見舞ってやらないと」

 二人は立ち上がった。連れ立って部屋を出ていく。小夜子の元に行く気だろう、おれは二人の後を追った。

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