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第二日

第11話

 東條が食堂に下りた後、おれは黒岩の部屋を探した。他に手がかりもない、あの怪しい男たちを調べるのは悪い考えではないはずだ。

 おれが廊下をうろついていると、一番奥から黒岩と若い男が出てきた。二人はにやにやと笑っており、何事かをひそひそと話しながら階下に降りていく。おれは二人が出てきた部屋に入った。


 その部屋は客間で、ベッドが二つ並んでいた。本来は夫婦の客のために使われる部屋なのだろう。部屋の奥にある、開け放たれたままの衣装箪笥には旅行鞄が二人分つっこまれている。男二人を同じ部屋に通しているということは、やはりあの二人は親子なのだろう。

 部屋の中は広いが、その分を差っ引いても他の部屋に比べて調度が足りないように見える。花瓶や置物の類は置かれておらず、壁には絵画がない。全体的にさびしく、がらんとしている。

 壁に近づいて仔細に見てみると、絵画が飾られていた鈎針らしきものの跡がある。おそらく、この部屋に黒岩たちを通すにあたって取り外したのだ。どうやら、かれらの手癖を警戒しているらしい。かれらの嫌われようが窺える。

 部屋の奥にはもう一枚扉があった。覗いてみると洋風の浴室だ。二人分の洗顔用具が隅に置いてある。この館は贅沢にも、客間に専用の浴室があるようだ。


 箪笥の中の鞄を探ろうとして手を掛け、おれは舌打ちした。当然のことだが、鞄はあっけなくおれの手をすり抜ける。しかしおれが残念がる間もなく、背後で扉が乱暴な音を立てて開いた。

「ああ食った。さすがに子爵様のお宅の朝飯は旨いな、親父」

 若い方がずかずかと室内に入り、寝台にどすんと腰かけた。そのまま、腕を枕にして寝転ぶ。

「おお食っておけ、相模サガミ。せっかくお招きいただいたんだから」

 黒岩は息子の名を呼ぶと自身は安楽椅子に腰を落ち着け、紙巻を咥えてマッチを擦る。手前のテーブルの上には分厚い酒瓶が乗っているが、上等のウイスキーだ。なんらかの方法で階下の談話室からかっぱらって来たものに違いない。


「それで親父、どうする? あの子爵様、今日は会わねぇって言ったんだろう」

 黒岩は旨そうに深々と紙巻を吸い込む。

「時間までには会うに決まってらぁ、大事な大事な奥様のためだからな」

 善麿様は先代様とちがって莫迦じゃねぇ、おれたちの用件だってちゃあんと分かってるさ。黒岩は薄笑いを浮かべて煙を吐き出す。

「へぇ、子爵様はそんなに小夜子が可愛いかねぇ」

 相模はおかしそうに頬杖をついた。

「そりゃあそうよ、なんてったって」

 黒岩は煙草の灰を落とす。


「あいつは善麿様の腹違いの妹なんだから」


 なんだと? こいつは今なんと言った?


 おれの驚愕を他所に、黒岩は得意げにしゃべり続ける。

「先代様がお若い頃に俺の妹のミオに入れあげて、それで生まれたのが小夜子よ。いやぁ、あん時ァ大騒ぎだったぜ」

 相模はげらげらと笑う。

「何度聞いても傑作よなァその話。ミオの叔母貴は赤坂で大した売れっ妓だったんだろう?」

「そうさ、政財界の大旦那たちが何人ものぼせ上ってな。でもガキまで産ませたのは忠明様だけじゃねェか?」

 あのお方も今の若様に負けず劣らずの色男だったからなァ、黒岩も心底おかしそうに笑う。


「あの三笠とかいう三百代言と、久世の犬コロが小夜子を取り上げに来なかったら、あいつも大分稼げるタマだったんだけれどな」

「でも親父、その分子爵様からはたっぷり巻き上げたんだろ?」

「巻き上げたなんて人聞きが悪ぃや、おれは可愛い妹のために当たり前のお手当てを頂戴しただけだぜ。あいつらが無理やり小夜子を連れて行って、ここの分家の娘って扱いにしちまってからも、おれはこうして姪を気遣ってことあるごとに顔を見せに来てやってるんだしな」

 身内思いな男よおれは。そう嘯く黒岩に、相模は腹を抱えて笑う。

「おれだって従妹思いの男さ。おれは安心したんだぜ? あんな別嬪に育った小夜子が、藤原様とめでたく婚約したって聞いた時は。それなのに、あんなことになっちまってよう」

「ああ、おれも驚いたぜ。芸妓の娘から侯爵家の奥様たぁ大出世よ。それなのに藤原家の若様はあんな風にあっさりくたばっちまうんだからなぁ、二度吃驚よ」


 それよ、と相模は身を乗り出す。

「善麿様がやったって噂あるだろ? 小夜子が惜しくてさぁ。未だにあれの犯人は捕まってねぇ」

「結果的に噂じゃなかっただろうが」

 黒岩は煙草を指に挟んだ。紫煙が細く上る。

「大親友がくたばって、その直後に大親友の婚約者とご結婚だろ? しかも奥様は分家筋の二従妹はとこっていう体裁になっているが、蓋を開けてみりゃ実の妹だ。なんにもねぇと思う方が道理が通らねぇぜ」


 あんな虫も殺さぬご面相で鬼畜よ、善麿様は。親友を殺して妹とつがうなんざね。

 黒岩はわざとらしく声を潜める。死神と呼ばれて当然なんだ、あのお方は。


「はっ、善麿様が藤原の若様と大親友ねぇ」

 相模は鼻で笑う。

「東條家の人間と藤原家の人間が仲良くできる訳ねぇだろう、あいつらはご維新からずっと、大蔵大臣の鼻息窺って喧嘩してんだ」

 早稲田のご学友って話だがね、どれほど芝居しようがバレバレなんだよ。結局は小娘ひとり巡ってこのザマさ。にやにやと笑う相模に、黒岩は膝を打って応じる。

「おうよ。もう六年前になるか? 忠明様が死んで翌年に、藤原様の方に国立銀行の許可証が下りたんだからな。願い出てたのは東條家の方が先だったってのに」

「藤原様はさぞや胸がすいただろうな。ほらあれ、まだ忠明様が生きてた頃か? 吉田新田の開発を八咫銀行に持ってかれたときの藤原様の吠え面ったらなかったぜ」

 「ああいうお偉方が喧嘩してくれているから、俺たちみたいなのが食い扶持稼げてるんだ。藤原様にはたっぷり払って頂いたし、感謝しねぇとな」


 黒岩は煙草を灰皿に擦り付ける。

「あの両家の確執は筋金入りさ。坊っちゃん同士が学校で仲良しこよしのお友だちだったって? 冗談も休み休み言えってんだ」

 本当に小夜子が藤原家に嫁いでりゃあ、ちったぁ仲良くなれたかもしれんのによ。黒岩がわざとらしく残念がると、それを見て相模は更に笑った。

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