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第10話

 ふっと意識が戻る。おれは東條の部屋の中に立っている。周囲を淡い朝日が囲んでいる。振り向くと白い寝台の中で東條が寝ている。

 おれはサイドテーブルの上の懐中時計を探った。七時だ。寝台に片膝をついて身を乗り出すと、東條の頬を数度叩く。


「……あれ……瑞祥君……」

 東條は目をこすりながら起きた。ゆっくりと左右を見回す。

「……なんで私、また生きてるんですか?」


 死んだはずですよね私。いかにも不機嫌そうな声音だ。ふざけるなよ、おれは思わず怒鳴る。

「勝手に死ぬな、おれが認めない死は許さん」

「勝手にって……いいじゃないですか、どうせ死ぬんだから」

「お前が死ぬのは明日だ」


 東條は数度頭を掻く。状況を飲み込もうとしているようだ。

「もしかして、君が時間を巻き戻したんですか? 死神にはそんなことができるんですか」

「そうだな、世界の因果律を保つために必要な能力だ」


 おれはさも当然そうに答えて見せるが、時間を巻き戻したのは初めての経験だ。しかし、必ずできるという確信があった。

「お前は因果の要だ、因果律を修正するためにお前だけは記憶を保持してある。昨日のことを覚えているだろう?」

「……はい。昨日というか、今日なのでしょうが」

「ならいい。今日死なないようにしろ」


 東條は大きなため息をついてうなだれる。

「……ずっと、こうなんですよねぇ」

「……?」

 意味が分からず、おれは眉をひそめる。

「ですから、ずっとこうなんですよ。私は今日の終わりに死んで、また今朝に戻っているんです」

「お前、何を言っているんだ? どういうことだ」

「こちらの台詞ですよ」

 東條は顔を上げて俺を睨んだ。


「助けてください、ずっとそれで困ってたんです。君という死神が来てくれて、これでもう死ねると思っていたんです。それなのにまた生き返ってしまうだなんて、私は何回大晦日をやればよいのでしょうか?」


 そして東條はおれに縋りつく。

「早く私を殺してください、そしてこの無間地獄から解放してくださいよ」


 いつになく東條の目が真剣で、おれは思わず目をそらした。どういうことなのかちっとも解らないが、今日この男を死なせる訳にはいかない。


 明日だ。

 そう、明日なのだ。どうしても明日でなければいけない。理由は思い出せないが、強い確信だけはある。


「……だめだ、お前が死ぬのは明日だ」

 おれが繰り返すと、東條は大きくうなだれた。


 おれは東條を起こした。寝台に並んで座り、ふてくされている東條をさとし始める。

「とにかく、状況を知りたい。お前は何で死んだんだ?持病でもあるのか」

「ありません、健康そのものです」

「では……毒だな」


 おれは東條の死に際を思い出した。かれは立ち上がると突然苦しみだし、倒れた。他に外傷は見られず、あの場には誰もいなかった。毒を盛られたのだろう。

 あの時の東條は煙草を吸い、酒を飲み、チョコレートを食っていた。あの中に誰かが毒を仕込んだに違いない。


「殺される心当たりはあるか?」

 東條はむっとした声で答える。

「だから言ったでしょう、私はちまたで死神と呼ばれているんです。私を殺したい人間なんて貨物車一杯いますよ」

「真面目に考えろ」


 おれが怒鳴ると、東條は渋々目を閉じて黙った。しばらくして口を開く。

「考えられるとするなら……黒岩さんでしょうね。彼はその、やくざ者とつながりがありまして」


 東條の話によれば、東條の銀行はかつて黒岩と関係のあった非合法な企業への融資を、無理やり打ち切ったことがあるらしい。それで東條は黒岩から恨みをかっていた。

「殺人の前科があるとも言われている人物です、邪魔者を排除するのにためらいはないでしょう」

 なるほどな、おれは呟いた。その時、扉が二回ほど叩かれる。


「旦那様、お目覚めでしょうか?」

「はい、入ってください」

 昨日と同じ出で立ちの久世が現れた。映写機で再生するように、前と全く変わらぬ光景が繰り広げられる。再び孔雀のように飾られていく東條を尻目に、おれはこの、死にたがりの子爵を生き延びさせる方策について考え始めた。

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